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26.黒いフードをかぶった男

 サニエ男爵領に戻ってから、平穏な日々が続いた。

 最初は身構えていたけれど、これまでと同じ。

 男爵領について学び財政を知り、教会で子どもたちに勉強を教える。


 違うのは、屋敷にルネがいること。

 ただいつもいっしょかというとそうではなく、ルネはいつも忙しそうにしていた。


「セドリック。あたし、ハミルトン羊毛商会に行きたいのだけど」

「ルネさまが戻って来るまで、お待ちになっては?」

「んーと、大丈夫。馬車で行くから!」


 そのとき、あたしは忙しそうなルネに遠慮する気持ちもあったし、ちょっと気が抜けて、王都で聞いた話はもしかして幻だったんじゃないかと思ったりもしていた。



 ハミルトン羊毛商会に行く途中、馬車が突然、ガタンと揺れて止まった。


 ……どうしたのかしら?

 窓から外を見ると、炎が見えた――まずい!

 馬車の扉ががちゃりと開けられた。


「ようこそ、アニエス」

 

 片手の手のひらに炎を浮かべながら、黒いマントを着て黒いフードをかぶった、二十代半ばくらいの男がにやりと笑う。

 背中がひやりとする。


「あなたは誰?」

「おや? もう知っているだろう? ニコラス・ミヘットだよ。……もうすぐミヘット伯爵になるさ」

「ミヘット伯爵はまだお若いから、爵位を譲ったりはしないと思うわ」

「若くても、急な病で死ぬかもしれないだろ? 或いは、事故、とか」


 ニコラスはそう言うと、あたしの腕を乱暴に握り、馬車の外へ無理やり出し、地面の上に投げ出した。

 あたしは顔をあげて、きっと不敵な笑みを浮かべる彼を睨んだ。


「何をするの⁉」

「何って、事故に遭っていただくんだよ、アニエス嬢」


 ニコラスは笑いながら、手のひらの炎を馬車に放った。

 炎はあたしの横を通り過ぎ、後ろの馬車に命中する。

 馬車は、ぼっと音を立て火だるまになった。


 待って! 御者は⁉

 見ると、御者は馬車の近くに倒れて意識を失っているようだった。

 よかった。火の中にはいない。

 でも!

 あのままじゃ、御者に火が燃え移っちゃう‼


 あたしは水魔法を発動させた。

 火だるまになった馬車の上にぽわんと水球が出現する。揺らぐ大きな水の球は、炎を上げて燃える馬車を包み込むようにして落ち、じゅうじゅうと鎮火させた。


「ふん、なんだ、それくらい」


 ニコラスはそう言うと、身体の周りに小さめの火球を、ぽっぽっといくつも浮かべた。

 それを放つ!

 炎が尾を引いて、びゅんとあたしに向かってくる。

 あたしは水で火球を包み込み、次々に消火させていく。

 じゅうっという音が辺りに響いた。


 ハミルトン羊毛商会のときは、資料の下敷きになっていたからうまく発動させられなかったけれど、このくらい、あたしでも出来るんだから!



「おやまあ、なんという魔力量だ。回復魔法にも驚いたが、その魔力量も実に脅威的だ」


 ニコラスの後ろから、同じ黒いマントの男が現れる。ゆったりとした、少し甲高いその声、そして黒いフードを外した顔――


「ヴァーンさま!」

「光栄だね。私の名を呼んでくれるとは」


 にやり。

 ヴァーン司祭は右手を少し上げた。


「ニコラス。お前には無理だ」

「しかし、ヴァーン司祭!」

「下がりなさい」

「はい」

 ヴァーン司祭はニコラスの前に出て、あたしと対峙した。


「アニエス嬢、腕に火傷が出来ていますよ」

「えっ?」


 本当だ、気づかなかった。

 腕に手を当て――回復魔法を使う。

 火傷はするりと消えた。


「……憎らしいですね、その力」

「あなたもお持ちでしょう?」

「ええ。『奇跡』はね、私だけが持っていればいいんですよ」


 ぼっという音を立て、ヴァーン司祭の頭上に巨大な火球が出現した!


 何、あの大きさ!

 大きすぎる……‼ あたしの水魔法で抑えられるかしら。


 手のひらがじっとりと汗ばむ。

 でも、やるしかない。


「……ほんとうに忌々しい。ジョスリン殿下が婚約破棄宣言をしたところまでは完璧だったのに。火事のときだって、そうだ」


 ヴァーン司祭の目が黒く光る。

 そして、その体から、黒い霧のようなものが出て辺りに広がっていく。

 黒い霧は頭上の巨大な火球に吸い込まれ、黒炎はずずずずと、回転しながらさらに膨らんだ。


「死ね! 今度こそ」


 あたし一人を包み込めそうなほど大きな黒い火球が向かってくる。火の子を辺りに撒き散らしながら。――水を飛ばすけれど、火が大きすぎて、出すそばから、じゅっと蒸発してしまう。水蒸気の白い煙が辺りに広がる。


「アニエス、下がって!」


 ルネ?

 どうしてルネがここに?


 あたしは訳が分からないまま、後退った。

 すると、あたしと巨大な火球の間に、土の壁がどどどっと音を立てて立ち上がった!

 そしてその土壁は火球を取り囲むようにして次々に立ち並ぶと、大きな音と土煙を立てて、不気味な黒炎の上に、どっと一気に崩れ落ちた。

 後には大きな土の山があるばかりだ。


「アニエス、大丈夫?」

 差し伸ばされたルネの手をつかみ、立ち上がる。

「うん。……どうしてここに?」

「屋敷に戻ったら、アニエスが出かけたと聞いて――絶対に狙われると思って、急いで追いかけたんだ」

 

 ルネが乗って来た馬が見えた。

 その少し後ろから、もう一頭馬が来て、馬に乗った人物が口を開く。


「アニエス、単独行動はよくないよ。立場を理解してね? 君、要注意人物なんだから」

「ロレシオ殿下まで!」

「ちょっと打ち合わせがあったんだけど、ね? ルネが急いで行ってしまうから、追いかけてきたんだよ」



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