15.Sideルネ
教会の生活に不満はなかった。
お金があるとは言えないが、シスター・リナはいい人だし、教会内の孤児院にしてはなかなかいい生活が出来ている。
何より俺は貴族が嫌いだった。
「ルネ、お父さまを恨まないで。ほんとうに優しい方なのよ。ただ少し弱いだけで」
母さんはいつもそう言っていた。
だけれど、でも貴族なんてみんな鼻持ちならない。
母さんはずっと「お父さま」を思って生き、一人で俺を育て、そして流行り病で死んでしまった。あっけなく。
「お父さま」がいったい何をしてくれた? 母さんと恋愛をして、でも家に引き裂かれ、俺が生まれたことも知らないだろう。――母さんが死んでしまったことも。
母さんが死んだあとは教会で育ててもらった。
母さんは死に際、「お父さまを頼って」と言ったけれど。
「あなたはジャックの――お父さまの、お母さま、あなたにとってはおばあさまにそっくりなのよ。顔立ちに金髪碧眼、そして魔力もある。すぐにあなたが伯爵の血を引くと分かってくれるわ。大丈夫。お父さまは優しい方だから」
でも俺は伯爵家に行くつもりはなかった。今さらなんだ?
――俺は自ら教会に行ったのだ。
でも、居心地のよかった教会にいられるのも十六歳までだ。
俺もそろそろ何をして生きていけばいいか決めなくてはいけない。
領地内の様々な仕事を見て、どうすべきか考えていた。
そんなときだった。
アニエスが教会に現れたのは。
貴族の令嬢がどんな気まぐれで来たんだろう? と最初は思った。
貴族なんてそんなもんだろ?
でも違った。
文字や算術を教えたいと、アニエスは真剣な目で言った。
……もし、文字が書けたり算術が出来たりしたら、孤児であっても仕事の幅が広がる。
俺は自分のためにも、教会にいるみんなのためにも、懸命に勉強した。ここを出て一人立ちした後でも、みんなに勉強を教えることが出来たらいいと思ったのだ。
アニエスはいつも楽しそうだった。そして、貴族の令嬢とは思えぬ親しみやすさがあった。子どもたちはすぐにアニエスに馴染んだ。
――俺も。
……気づくと、いつもアニエスを目で追っていることに気づく。アニエスが来る日は朝から落ち着かなかった。会える日が待ち遠しかった。
騎士団長のセレジュが教会に初めて来たとき、アニエスの反応が気に入らなかった。
あいつはもう来なくていい。来るな!
――なぜ? そう思うのだろう?
「アニエス先生は、あんなやつが好きなの⁉」
口をついて言葉が出ていた。
――そうか。俺はアニエスが好きなんだ。「先生」じゃなくて。
アニエスとインク羽根ペンを作るのはとても楽しかった。
頼りにされている感じがして。
アニエスは何にでも一生懸命でほんとうにかわいい。
力になれるよう、もっと頑張りたい。……年下だって、頼りになるんだって思ってもらいたい。
ロレシオ殿下がいらしたときは、ついうっかり隠していた風魔法を使ってしまった。
母さんに絶対に隠せと言われていたのに。
アニエスと結婚したいだなんて言うから、つい。
アニエスといると、素の自分に戻ってしまう。
せっかく穏やかでいい子の「僕」でいたのに。
ロレシオ殿下と結婚はしないと言った、アニエス。
でも、身分のことを言われた。……俺は平民だ。アニエスと結婚するのは難しいだろう。
それよりも何よりも、アニエスに恋愛対象にされていないのがつらい。
俺は弟じゃないよ、アニエス。
アニエスは目標を持って頑張っている人が好きだと言った。いろいろなことを知っている人も。
アニエスにそう思ってもらえるよう、頑張ろう。年下である事実は変わらないけれど。
「……ねえ、その『先生』、もうやめない?」
驚いた。
心の中で呼び捨てにしていることを見透かされた気がして。
それでも俺は一人称を「僕」のままにして、「アニエス先生」と呼んだ。……二人の関係が壊れてしまうのが怖かったから。
もっとずっとアニエスに近づいて、俺のことを意識してもらえたとき、「アニエス」と呼んでみたい。
羊農家に行くとき、馬に二人乗り出来て嬉しかった。アニエスも少し顔を赤くしていたから、少しは俺のことを意識してくれただろうか。
アニエスは思っていたよりもずっと小さく、俺の腕の中にすっぽりと収まって、なんだかとてもかわいらしかった。
羊毛の帳簿の不正を見つけて――俺のことをもっと頼りにしてくれるといい。
いつか自然に「先生」がとれるといい。
「アニエス!」
火が回る中、夢中で叫んでいた。
ハミルトン羊毛商会に行き裏帳簿を見つけたとき、モーリスに火をつけられた。
しかも、倒れかけた本棚から、アニエスが俺をたすけた。
ルネ、ごめんね。
――ごめんねって何だよ。
ルネはまだ若いから。
――たった五つしか違わない。アニエスだって、まだ充分若いじゃないか!
「死ぬなんて、許さない!」
さっきモーリスは扉に鍵をかけた。
でも、そんなのは風魔法で扉を吹き飛ばせばいい。
とはいえ、火に風は相性が悪い。火が大きくなってしまう。
――扉を壊しつつ、火を土で消してしまえばいい。
俺はこれ以上ないほと集中して、魔力を放った!
――よし。成功だ!
「アニエス! 大丈夫だ。たすかるから! アニエス‼」
ちくしょう。
あの男、モーリス。
絶対に逃がさない。




