11.羊が一匹、羊が二匹……
そのとき、あたしは羊に苦しんでいた。
いや、羊の数に。
サニエ男爵領は羊の放牧が盛んだ。領地の羊毛は品質が良くて有名であり、羊は大切な資源なのである。
領地には羊農家がいくつかあり、それぞれが二十頭程度の羊を育てている。多いところだと三十頭以上にもなる。そして、羊農家を束ねる商人がいて、羊毛はまとめて売買されている。
だから何かというと、サニエ男爵領の支出入を帳簿で確認していて、羊の頭数が大事になってくるというわけ。
羊の頭数には年によって増減がある。
「疫病が流行ると、羊の頭数が減ってしまうんですよ」
「そうね。それがこの帳簿に書いていないから、意味が分からないのよ」
「疫病などの記述は備忘録に書いてあります」
「……いっしょに書いておくと便利なのに……! それに、羊農家の数も実は増減していない?」
「増減していますね」
「羊農家の戸数がはっきりしないから、いまいち分からないのよ」
あたしは帳簿をばん! と置いて、溜め息をついた。
計算はさほど苦手ではないけれど、こういう細かいものの支出入を見て金額を確認したり、そこから税率を考えたりすることは、全く得意ではない。
何しろあたしは、当て馬ヒロインだし(逃げ出したけど!)、前世でも金融関係の仕事にはついていない。小学校の先生になりたかったなと思っていただけの、単なる事務員だ。
「アニメの主人公じゃないんだよお!」
「アニメ? 何のことですか?」
帳簿に突っ伏していると、後ろからルネの声がした。
ルネは今日もサニエ男爵邸に来ていて、セドリックについて高等算術や経済などを学んでいる。
「……いいの、何でもないの」
「何に悩んでいらっしゃるんですか?」
ルネはあたしの手元を覗き込む。
「あのね、あたしが領地に無償の学校を作りたいって話はしたでしょう?」
「はい」
「それでね、学校を作るなら、領地の財政をきちんと考えるべきだって、セドリックに言われて、ここ数年の帳簿を見ているのよ」
「なるほど」
「それで、最初からつまずいていて。羊毛が主な特産品だから、羊毛のことを調べているのだけど、帳簿の意味がよく分からなくて」
「……見せていただいてもよろしいですか?」
「うん」
ルネは帳簿を見て言った。
「これは――分かりづらいですね」
「そうでしょう!」
「ですから、まず、表にして書き直してみてはいかがですか? 新しい形式を作るんです」
「そうね、そうするわ! そこに、疫病が流行ったから、羊の頭数が減ったことも書くの。……いいでしょう? セドリック」
あたしはそばに控えていたセドリックを見た。
「もちろん。……長年そのように書いてきましたが、確かに何も知らない人が読んで、分かりやすいものではありませんね。申し訳ありませんでした」
「ううん、いいの。セドリックは一人でいろいろな仕事をしてくれていたのだもの」
セドリックは目を細め口角をわずかに上げると、「よいと思ったことは、どんどん取り入れていきましょう、アニエスさま」と言った。
「じゃあ、帳簿のつけ方を変えるわ。まず、ヴェイユ暦順に並べて、ばらばらに書いてある羊の頭数も入れましょう。羊農家の戸数も。羊毛の量はそのまま使えるわね」
「羊毛の質も書くといいですよ。羊毛の質で値段が違ってきますから」
ルネが備忘録を開きながら言う。
「ほんとだわ! 備忘録に羊毛の質のことが書いてあることもあるのね。……ねえ、ルネ。お願いがあるの」
「いいですよ」
「えっ、あたしのお願いの内容が分かったの?」
「新しい帳簿作りを手伝って欲しいんでしょう?」
「そうなの! ……だって、どう考えても大変そうだもの」
「手伝いますよ、アニエス先生」
「……ねえ、その『先生』、もうやめない?」
今は、あたしがルネに教えることはほとんどなかった。
ルネはセドリックに教わりつつ、あたしが行かない日には孤児院で先生をしてるほどだった。
「でも、先生は先生だから」
「だけど、もうルネに教えられること、ほとんどないし。……手伝ってもらうし」
「……考えておきます」




