第26話:議事録には、想定の範囲内と書いてあります
開示は、二度目の異議申立てで通った。
一度目は、三行で断られた。二度目に添えたのは、断られた理由への反論ではない。断った側が背負う事になる説明の量を、数えて並べただけだ。
人は、正しさでは動かない。手間の量で動く。それは五年で学んだ数少ない事のひとつで、たぶん、いちばん役に立っている。
通ったのは、こちらの主張が正しかったからではない。数が揃ったからだ。当社の主任計理人補が出した確率の書面。宗方克巳の陳述書。他社四社の調査開始。所轄の捜査。三ツ谷剛の留守番電話の証拠提出。
どれか一つなら、機構は断り切れた。五つ同時に来ると、断る理由の在庫が尽きる。
届いたのは段ボール一箱だった。黒塗りは、前より少ない。俺と六花は、三日かけて読んだ。
「鵜飼さん、これ、なんて読むんですか」
「ぎんみ、です」
「ぎんみ」
「よく調べる、という意味です」
「じゃあ最初からそう書けばいいのに」
六花は左手でページを押さえられるようになっていた。まだ痛むはずだが、言わない。
三日目の午後、俺は一冊の議事録に手を止めた。
迷宮災害共済機構 理事会。二年前の九月。議題の四つ目に、こうあった。
——探索者死亡事案の年間発生件数の推移について(報告)
資料が添付されていた。棒グラフが一枚。年間の死者数が、五年で二倍近くになっている。
俺は発言の記録を読んだ。
——理事A:件数の増加傾向について、対策の要否は。
——鳥飼理事:想定の範囲内です。新層の探索者人口が増えているため、母数の増加に伴うもの。率としては横ばい。
——理事A:了解。
議題四つ目は、それで終わっていた。三行だ。
俺は棒グラフを見た。それから、自分の作った表を横に置いた。
率としては横ばい。その率を計算するための母数は、機構が集めている。集計の元になる事故報告書には、発生日の欄が無い。欄の無い書類から出した率を、横ばいだと言っている。
「六花さん」
「はい」
「議事録には、想定の範囲内と書いてあります」
「なにが」
「五年で死者が二倍になった件です」
六花はページを覗き込んだ。そして、読んだ。時間はかかったが、読み切った。
「……三行ですね」
「三行です」
「人、何人ですか。この年」
「二百十一人です」
彼女は、しばらく黙っていた。
「わたし、その中の一人になりかけました」
「はい」
「なりかけた人は、たぶん十倍いますよ」
「いるでしょうね」
「それも、想定の範囲内ですか」
俺は答えなかった。
「鵜飼さん。想定の範囲内って、どういう意味ですか」
「予想の幅の中に入っている、という意味です」
「予想したのは誰ですか」
「その人です」
「自分で予想して、自分で範囲内って言ってるんですか」
「そうなります」
「……それ、なんでも言えますよね」
「言えます」
六花は議事録を閉じて、机に置いた。閉じる音が、少し強かった。
「わたし、こういうの、いちばん腹立つんですよ」
「はい」
「怒鳴られるのは平気なんです。でも、三行で片づけられるのは無理です」
「私もです」
「顔に出てないですよ」
「出ていません」
答える代わりに、その頁の写しを二部取った。一部は資料に綴じ、一部は手帳に挟んだ。
その夜、俺は法務課長のところへ行った。彼はもう帰り支度をしていたが、鞄を置いてくれた。
「理事会に出たいんです」
「……なんですって」
「機構の理事会です。出席を請求します」
「あなた、機構の職員じゃないでしょう」
「うちは、機構に再保険料を払っています。年間で十一億です」
「払ってますね」
「引受先の運営に、こちらが意見を述べる場は、契約上どこにありますか」
法務課長は、天井を見た。それから、鞄から契約書のファイルを出した。この人は、いつも持ち歩いている。十分かかった。
「……ありますね」
「どこですか」
「特約の第十九条。重要な引受条件の変更にあたっては、出再者の意見を聴取する事ができる」
「できる、ですね」
「できる、です。義務じゃない」
「聴取の場は」
「規定が無い。無いという事は、理事会でもいいという事です」
俺は手帳を開いた。
「重要な引受条件の変更を、こちらから申し入れます。新層特約の様式要件の削除です」
「様式要件」
「事故報告書が安発第百四十七号の様式で作成されている事、という条件です。あれを外せと言います」
法務課長の顔が、初めて変わった。
「……外したら、うちの負担が増えますよ」
「増えます」
「うちが自分から損をしに行く提案ですね」
「そうです」
「本社が通しますか」
「通さないでしょう」
「じゃあ、なぜ」
「通さなければ、通さなかった理由が残ります」
彼は、しばらく俺を見ていた。それから、椅子に座り直して、鞄からペンを出した。
「書きましょう。私が書いたほうが早い」
「よろしいんですか」
「負ける準備は、私の仕事ですから」
書面は二枚で済んだ。法務課長の文章は、俺のものより短い。理由を三つ以上書かない。三つ書くと、一つを潰されただけで全部が弱くなるからだそうだ。
二枚目の最後の行だけ、俺が書いた。
——本申入れが認められない場合は、その理由の書面での交付を求める。
この一行が、実際にはいちばん効く。断るのは自由だが、断った理由を紙で残すのは誰も嫌がる。
申し入れは、十日後に受理された。回答は、こうだった。
——次回定例理事会において、出再者の意見を聴取する。所要時間十五分。出席は貴社代理人一名に限る。
俺はその一行を、三度読んだ。
「一名」
六花が、俺の後ろから覗き込んでいた。
「また一名ですか」
「また一名です」
「機構、一名が好きですね」
「好きなんでしょう」
俺は通知書を机に置いた。十五分。一名。長机の内側に椅子が一つ。あの部屋と同じ形だ。
「鵜飼さん」
「はい」
「わたし、行けないんですね」
「行けません」
「入口まで行くのは」
「それは、誰にも止められません」
六花は、少し笑った。
「じゃあ、そこまでは行きます」
「意味がありません」
「ありますよ」
「どんな意味ですか」
「帰ってきた人を、誰かが入口で見てるって意味です」
俺はペンを止めた。
「それは、業務ではありません」
「業務じゃないです。わたしが勝手に立ってるだけです」
「三時間かかります」
「三時間って言いました? 今」
「十五分の枠に、移動と待機が付きます」
「じゃあ本でも読んでます」
「読めるんですか」
「読めないから、練習です」
彼女は缶を開けて、半分飲んだ。今度は、ちゃんと自分の分だった。
「それより、あんた、十五分で何を言うんですか」
俺は鞄に、資料を詰め始めた。一次案。要領。再保険特約。確率の書面。宗方の陳述書。留守番電話の反訳。17件の一覧。
重かった。全部を持っていく必要は、たぶん無い。十五分では、三枚しか使えない。
それでも、俺は全部詰めた。置いていくと、置いていったものが無かった事になる気がした。




