↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのダンジョン事故、保険金は下りません 〜戦えない査定人が、S級クランの嘘を数字だけで剥がします〜  作者: 十河迅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/30

第25話:様式第七号、起案者欄

 屋上のトマトは、前より赤かった。


 宗方克巳は、ビニール袋にそれを七つ入れて、俺に押しつけた。断る理由が無いので、受け取った。


「日野の嬢ちゃんは」


「今日は病院です。検査の日で」


「腕は」


「動くようになりました。まだ重い物は持てません」


「そうか」


 彼は折りたたみの椅子に座って、しばらく菜園を見ていた。


「あんた、あの子を現場に出すな」


「私が出したのではありません」


「そういう話じゃない」


 宗方は、こちらを見た。


「出さないと決めておけ、という話だ。決めておかないと、必要になった時に出す事になる」


 俺は答えられなかった。


 彼は立ち上がって、屋上の物置を開けた。中から、古い書類箱を一つ出してきた。埃はかぶっていない。時々開けていた箱だ。


「二十年前、俺が機構に出向してた二年間の記録だ」


「持ち出されたんですか」


「俺の起案分だけだ。それは、持って出ていい事になってる」


 彼は箱から、クリアファイルを一冊出した。中の紙は、少し茶色くなっていた。


「これが、一次案だ」


 俺は受け取った。表題を読んだ。


 ——探索者傷害・死亡事案報告様式(第七号様式)一次案


 右上に、日付。二十年前の四月。その下に、四つの欄があった。起案、審査、決裁、施行。


 起案の欄に、名前があった。


 鳥飼統一郎。


 俺は、その名前を、しばらく見ていた。風が吹いて、紙の端が持ち上がった。俺は手で押さえた。


 起案という言葉は、地味だ。決裁欄の左端にあって、たいてい若い職員の名前が入る。文書を最初に書いた人間の欄だ。


 だが、様式の起案だけは違う。様式を書く人間は、そのあと二十年、業界の全員がどこを見るかを決める。決裁した人間の名前は誰も覚えないが、様式は毎日使われる。


 俺は五年間、この人の作った枠の中で仕事をしていた。枠の外側にあるものを見ないように育てられて、それを自分の判断だと思っていた。


「一次案の段階では、発生日の欄はあった」


 宗方が言った。


「三ページ目の、上から四つ目だ。見てみろ」


 俺はめくった。あった。迷宮発生日。記入は必須と、赤字で注記されている。


「俺が付けた注記だ。必須だと書いておかないと、現場は埋めない」


「なぜ、必須にしたんですか」


「当たり前だからだ」


 宗方は、それしか言わなかった。


「二次案で消えたんですか」


「消えてない。二次案にも残ってる。俺がいた二年間は、ずっと残ってた」


「では、いつ」


「六年前だ。あんたが調べたとおりだよ」


 彼は椅子に座り直した。


「二十年前に一次案を書いた人間が、十四年後に、自分の作った欄を自分で消した」


 俺は紙を持ったまま、動けなかった。


「宗方さん。あなたが二十年前に反対されたのは、何にですか」


「様式そのものじゃない。様式は、よく出来てる。鳥飼さんは優秀だ。あれほど頭の切れる役人は、そういない」


「では」


「再保険だ」


 彼は菜園のほうを見た。


「機構が、事故のデータを集めて、料率を出して、そのうえ再保険を引き受ける。全部を一人が握る形になると言ったんだ。俺は」


「その通りになりました」


「なった」


「なぜ、止まらなかったんですか」


「安かったからだ」


 彼は乾いた声で言った。


「機構が引き受けると、保険料が安くなる。安くなると、クランが入る。クランが入ると、探索者が保険に入れる。……いい事なんだよ、途中までは」


 俺は要領の写しを出して、一次案の隣に並べた。枠が、重なった。右下の番号を、指で並べた。頭の六桁が同じで、後ろの六桁だけが違う。


「同じ体系です」


「そうだ」


「五年前にクランに配られた要領は、機構の内部様式として作られています」


「作れる人間は、限られる」


「起案者は」


「一次案と同じだろうな」


 俺は手帳を開いた。


 3億円の死亡保険金から始まった。書き方を教える紙があった。紙を配ったのは機構だった。機構の様式から欄を消したのも、その紙を作れる立場にいたのも、同じ一人だった。


 敵は、榛原篤ではなかった。蓮見冴子でもなかった。


 様式を作った人間だ。


「宗方さん。これは、お預かりしてよろしいですか」


「持っていけ。俺はもう、それで何もしない」


「証言していただく事は」


「する」


 即答だった。俺は顔を上げた。


「二十年、やらなかった事を、今さらやらない理由が無い」


「ご迷惑がかかります」


「七十二だ。かかる迷惑の量が、もう少ない」


 彼はトマトの袋を、俺の足元に置き直した。


「ただし、条件がある」


「なんでしょう」


「あんたが最後まで書く事だ。途中で誰かに渡すな。渡した書類は、必ず薄まる」


「分かりました」


 俺は箱を鞄に入れた。入れてから、もう一つ聞くべき事を思い出した。


「宗方さん」


「なんだ」


「前に、私の名前を聞いて、帰れとおっしゃいましたね」


 彼の手が、止まった。


「……ああ」


「理由を教えていただけますか」


 宗方は、しばらく黙っていた。長かった。トマトの支柱が、風で少し鳴った。


「鵜飼という名字を、俺は二十年で二度聞いた」


「二度」


「一度は、今日のあんただ」


「もう一度は」


「十九年前だ」


 彼は菜園から目を離さなかった。


「機構の資料室で、鳥飼さんが一人で古い箱を開けてた。俺が入っていったら、慌てて閉めた。……あの人が慌てるのを、俺はあの一回しか見た事がない」


「箱の中身は」


「見てない。ただ、閉める前に、書類の表紙が見えた」


 彼は、そこで初めてこちらを向いた。


「鵜飼、と書いてあった」


 俺は動けなかった。


「あんた、いくつだ」


「二十八です」


「じゃあ、九つか十だな。十九年前は」


「そうなります」


「何か、覚えてるか」


 俺は答えられなかった。


 覚えていない。十九年前の事を、俺は何も覚えていない。両親が死んだ事も、自分が病院にいた事も、全部あとから聞いた話だ。俺が持っているのは、記憶ではなく、記録だけだった。


 九歳の四月に、両親が死んだ。それは知っている。書類に書いてある。どこで、どういう形で死んだのかは、書類の写しでしか知らない。写しは施設に保管されていて、十六の時に一度だけ渡された。渡された時、俺は日付だけを覚えた。


 あの月の事を、俺は一秒も覚えていない。前の月も、後の月も覚えていない。医者は珍しくないと言った。珍しくないなら、それでいい。


 覚えていないので、俺は日付から入るしかない。だから俺は、記録の日付を見る。見ないと、自分がどこにいたのか分からないからだ。


「宗方さん」


 俺の声は、たぶん少し変だった。


「その箱は、まだあると思いますか」


「知らん」


 彼は言った。


「ただ、あの人は物を捨てない人だ。……欄は消すがな」

鵜飼が発生日から見る理由は、ここまで一度も本人の口から語られていません。次の章で、初めてその日の話になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。