第23話:十七件とも、湧いたばかりの迷宮でした
本社の商品数理部は、十六階にある。
俺が入った時、担当は三人いた。全員がこちらを見て、全員が目を逸らした。処分を受けた支社の査定人が、担当外の案件で本社を歩き回っている。歓迎される理由が無い。
応対したのは、四十くらいの男だった。名刺には主任計理人補とあった。
「新層の料率のお問い合わせでしたね」
「はい」
「結論から申しますと、安いです。当然です」
彼は端末の画面を回して見せた。
「新しく発生した層は、探索者の到達深度が浅い。魔物の個体数も少ない。事故率は実測で、成熟層の三分の一以下です」
「三分の一」
「ですので、発生から三十日以内の層を対象とする特約は、通常の料率の四割程度に設定されています。これは当社の判断ではありません。機構が出している参考純率にそのまま乗っています」
「参考純率」
「業界共通の目安です。うちも他社も、ほぼそのまま使います」
俺は手帳を開いた。
「その三分の一という数字は、いつの実測ですか」
「毎年更新されます。直近は昨年度です」
「元データは」
「機構が集計したものです」
「事故報告書ですね」
「そうです」
俺は少し黙った。
「その事故報告書は、発生日欄が空欄でも受理されます」
「……は?」
「発生日の記載を要しない、と様式に書いてあります。六年前の通達で」
彼は画面を戻して、何かを検索した。
「……ああ、本当だ。知りませんでした」
「では、伺います」
俺は手帳を裏返して、白紙の面を彼に向けた。
「発生日が書かれていない事故報告書から、その事故が発生から何日目の層で起きたかは、どうやって集計しているんですか」
彼の手が、止まった。
「……層の名称から、機構の発生日データを引いて」
「引いていますか」
「引いている、はずです」
「はず」
「集計は機構が」
彼は言いかけて、やめた。言いかけた文の続きを、自分で聞いてしまったのだろう。
「集計は、機構がやっています」
俺はうなずいた。
「料率を出すのも、機構です」
「はい」
「事故のデータを集めるのも、機構です」
「……はい」
「集めたデータで、自分が引き受ける再保険の値段を決めています」
彼は椅子の背に、体を預けた。
「鵜飼さん。それ、業界の全部がそうなんですよ」
「知っています」
「うちだけの話じゃない。八社中六社が同じです」
「知っています」
「じゃあ、何を」
「安すぎるんです」
俺は鞄から、紙を三枚出した。昨夜、六花と作った表だ。
「十七件です。アルゴスの死亡事故、過去三年」
「拝見します」
「発生日を、機構の公表値から一件ずつ引きました。空欄の分は、こちらで埋めました」
彼は表を見た。上から下まで、指でなぞった。三分の一まで来て、指が止まった。
「……全部、三十日以内ですね」
「十七件とも、湧いたばかりの迷宮でした」
「いや、待ってください」
彼は指を戻して、もう一度上から数え直した。
「十七件中、十七件。ゼロから三十日。……これ、偶然じゃないですよね」
「偶然かどうかを、あなたに出していただきたいんです」
「私に」
「新層の事故率は、成熟層の三分の一です。あなたが今おっしゃいました」
「言いました」
「では、危険が三分の一の場所で、あるクランの死亡事故が十七件中十七件起きる確率は、どれくらいですか」
彼はしばらく、画面を見ていた。それから、キーを叩き始めた。速かった。この人は、たぶんこの十分で、初めて自分の仕事に戻った。
五分後、彼は画面から目を上げた。
「出ません」
「出ない、というのは」
「小さすぎて、意味のある数字にならないという意味です。……計算上は出ますが、書いても誰も信じない桁です」
「書いてください」
「え」
「書いて、印を押してください。当社の主任計理人補の名前で」
彼の顔が、少し白くなった。
「これ、出したら、うちが機構の参考純率を疑ったという事になります」
「なります」
「そんな書面、通しませんよ、うちの部長が」
「通らなければ、それでいいんです」
「……いい、とは」
「通らなかったという事実が残ります。私は、それも数えます」
彼は、しばらく俺を見ていた。それから、笑った。乾いた笑い方だった。
「あなた、支社で嫌われてるでしょう」
「嫌われています」
「うちにも噂が来てますよ。三億止めて、部長を一人飛ばした査定人がいるって」
「部長は、ご自分で行かれました」
「そこ、訂正するんですね」
「事実なので」
数理の人間は、数字で嘘をつかない。嘘をつく必要が無いからだ。彼らが困るのは、自分の出した数字が、自分の見ていない場所から来ている時だけだ。今日、この人はそれを見た。見てしまえば、もう見なかった事にはできない。
査定の仕事は、たいていこの一点で決まる。相手を説得するのではなく、相手が自分で見る位置に、一枚だけ紙を置く。
彼は書式を呼び出した。呼び出して、少し迷って、それから打ち始めた。
「一日ください。数字は、正確に出します」
「ありがとうございます」
「礼はいりません。……ただ、ひとつだけ聞かせてください」
彼は打つ手を止めずに言った。
「安すぎる料率で、誰が得をするんですか」
俺は答えた。答えは、もう出ていた。
「安く潜れる人間です」
「クランですか」
「クランは、料率が安いと保険料が下がります。それは得です。ただ、額としては小さい」
「では」
「本当に得をするのは、事故を起こしても損しない仕組みを持っている側です」
彼の手が、止まった。
「新層の事故は、十割が機構の負担です。負担しているのに、値段を決めているのも機構です」
「……自分で高くもできる、という事ですか」
「できます。しなかっただけです」
俺は表を回収して、鞄に入れた。
「安く据え置けば、新層に人が入ります。人が入れば、事故が起きます。事故が起きても、うちのような保険会社は痛みません。全部、機構が引き受けているので」
「機構は、痛むでしょう」
「痛みます。金の面では」
「他に何があるんですか」
俺は答えなかった。答えの形は、まだ手元に無い。ただ、向きだけは決まっていた。
誰かが、新しく湧いた迷宮に、人をたくさん入れたがっている。入れたがっている人間が、値段も、様式も、事故の書き方も、全部持っている。
十六階から降りるエレベーターは、途中で三度止まった。乗ってくる人間は、誰も俺の顔を知らない。知られていないというのは、楽な事だ。支社の四階では、俺はもう、通ると空気が変わる人間になっている。
一階のロビーに、会社の理念が石に彫ってある。入社式の日に読まされた。
——事故のあとに、いちばん早く駆けつける会社であること。
悪い言葉ではない。ただ、事故のあとにしか駆けつけない、とも読める。
俺たちは事故が起きてから動く商売だ。起きる前の話は、所掌ではない。所掌ではない、という言葉を、俺はこの数か月で三度聞いた。三度とも、いちばん大事な場所で聞いた。
支社に戻ると、机の上に電話のメモが置いてあった。六花の字だった。左手が使えないので、字が斜めだった。
——戸倉さんから。明日、起訴されるそうです。




