第20話:開示は、いたしかねます
不開示の決定に対する異議申立ては、三十日以内に出せる。
俺は三日で書いた。書いた翌週、機構の担当が支社まで来た。来た事に驚いた。普通は書面で返す。
応接室に通すと、彼は座る前に言った。
「開示は、いたしかねます」
三十代の後半だろうか。名刺には、総務部 情報管理課とあった。
鞄は薄い。書類を持ってきていない。持ってこないという事は、こちらに渡す物が無いという事だ。それでも来たのは、書面で断ると記録が残る形が一つ増えるからだろう。
断るために移動する。俺も何度かやった事がある。やった時、自分の会社を少し嫌いになった。
「理由を伺えますか」
「決定通知に記載のとおりです。事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある」
「その一文は、私も使った事があります」
彼は、少しだけ動きを止めた。
「使った事があるので、分かります。それは、出したくない時に書く文です」
「……」
「私が知りたいのは、どの部分が、どう支障を及ぼすのかです」
「そこまでは申し上げられません」
「では、質問を変えます」
俺は湯呑みを彼のほうへ寄せた。彼は手をつけなかった。
「あなたは、この件で困っていますか」
「困る、というのは」
「上から言われて、支社まで来て、断る事だけを言って帰る。それは、あなたの仕事として気持ちのいいものですか」
「……仕事です」
「私も仕事です。ですので、あと三十分だけ、仕事の話をさせてください」
俺はファイルを開いた。
「貴機構は、当社の探索者団体契約の再保険を引き受けています。七年前から」
「存じています」
「新層特約の引受割合は十割です。つまり、新層で発生した事故の保険金は、最終的に全額を貴機構が負担している」
「はい」
「では、貴機構は、この保険契約の当事者ですね」
彼のペンが、止まった。
「……当事者、と申しますか」
「保険法上、再保険は独立の保険契約です。ただ、うちが払った保険金の全額を最終負担しているのは貴機構です。うちが不当な請求で払わされていたのなら、損害を被っているのは、うちではなく貴機構です」
「……」
「私は今、貴機構の損害の話をしています」
これは、査定の基本的な手だ。相手が守っているものを崩すのではなく、相手が守っているものの側から話を作り直す。開示させたい時、こちらの権利で押すと必ず断られる。相手の損得に置き換えると、相手は自分で計算を始める。
計算を始めた人間は、もう断り続けられない。断るなら、断る理由を自分で作らなければならなくなるからだ。
彼は湯呑みに手を伸ばして、また戻した。
「つまり、何をおっしゃりたいんですか」
「十七件について、貴機構は当社に対して求償できます。あるいは、当社と共同でクランに返還請求ができます」
「共同で」
「はい。その場合、資料の相互提供は業務上の必要に基づくものになります。開示請求ではなくなります」
彼は、しばらく黙っていた。
「……それは、こちらが返還請求に加わればという話ですよね」
「そうです」
「加わらなければ」
「加わらない理由を、どこかに書いていただく事になります」
俺は次の紙を出した。
「これは、当社から貴機構への照会状です。十七件について、貴機構が求償権を行使するかどうか。行使しない場合は、その理由を」
「そんな照会は」
「出せます。うちは再保険料を払っている側です。払っている側が、引受先に確認を取るのは通常の実務です」
彼は照会状を、しばらく見ていた。それから、初めて自分から口を開いた。
「鵜飼さん。これ、うちの誰が答えると思いますか」
「引受を決裁した部署です」
「そこ、理事直轄なんですよ」
俺は手帳を開いた。
「理事の、どなたですか」
「……言えません」
「では、書きません」
彼は湯呑みを取って、今度は飲んだ。冷めていたと思う。
「私、四年目なんです。この仕事」
「はい」
「入った時から、この様式でした。この番号で、この枠で、この注意書きで。誰が作ったかなんて、考えた事もなかった」
「普通は考えません」
「考えないほうが、楽ですよね」
「楽です」
彼は照会状を、鞄にしまった。持ち帰るという意思表示だった。断るなら、置いていく。
「持ち帰ります。答えられるかは分かりません」
「ありがとうございます」
「あの、ひとつだけ」
彼は立ち上がってから、言いにくそうに続けた。
「機構の外郭に、共済機構安全研究財団というのがあります。うちのOBが行く先です」
「研究財団」
「そこに、元査定人の方がいます。保険会社出身で、二十年くらい前に機構へ出向していた人です。……様式の設計に関わっていたと聞いた事があります」
「お名前は」
「そこまでは。ただ、うちの職員名簿には載りません。外郭なので」
「なぜ、教えてくれるんですか」
彼は少し考えた。
「私も、あの注意書きは変だと思っていたので」
変だと思っていた人間は、たぶんこの七年で何人もいた。思っただけで、誰も動かなかった。動かなかったのは怠慢ではない。動くための入口が、どこにも用意されていないだけだ。様式は変だと思った人間に、様式を変える手続きを教えない。
俺の仕事は、その入口を一つ作る事だと思っている。入口ができれば、変だと思っていた人間が、勝手に入ってくる。
彼が帰ったあと、六花が課に戻ってきた。三角巾は取れていたが、まだ左腕を使っていない。
「なんか、いい人でした?」
「悪い人ではありませんでした」
「じゃあ、こっちに来ますか」
「来ません。あの人は自分の仕事の範囲で、いちばん遠くまで行っただけです」
俺は照会状の控えを、ファイルに綴じた。
この日の収穫は、紙では一枚も増えていない。増えたのは、行き先が一つだけだ。
査定の仕事の八割は、こういう日でできている。断られて、次に断られる場所を教わって、そこへ行く。3億が動くのは最後の一日で、そこに至るまでの九十日は、湯呑みに手をつけない人間の前で座っている時間だ。
六花はそれを退屈だと言わない。現場も同じらしい。潜っている時間のほとんどは、歩いているだけだと彼女は言った。
組織を相手にすると、たいてい人が出てくる。人は組織より優しい。優しいが、組織の外までは来ない。来られる人間は、もう組織を辞めている。だから俺は、辞めた人間を探す事になる。
「六花さん。財団に行きます」
「財団って」
「機構の外郭です。元査定人がいます。様式を作った側の人間かもしれません」
「アポ取れるんですか」
「取れません。名簿に載っていないので」
六花は左腕をかばいながら、椅子を引いた。
「じゃあ、わたしが行きます」
「あなたは療養中です」
「療養中なので、暇なんですよ」
彼女は右手で、自分の顔を指した。
「それに、鵜飼さんが行ったら、たぶん門前払いです。あんた、顔に『開示請求』って書いてあるので」
「顔に出ませんよ」
「出てます。今も出てます」




