第19話:そちらの様式番号を、教えてください
迷宮災害共済機構の事故調査委員会は、九人で構成されている。
長机がコの字に組んであって、その内側に椅子が一つ置いてある。座らされるのは、俺だ。議題は〈鴉ノ巣〉第四層の崩落。負傷者一名、当社職員。
俺は査定人であって、被災者ではない。それでも呼ばれた。理由は、調査を申請したのが俺だからだ。
「では、確認します」
委員長が書類を読み上げた。
「今回の立入調査は、共栄海上ダンジョン保険 査定第二課の申請によるもの。申請者は鵜飼遼。ただし鵜飼氏は当該案件の担当を外れていた。相違ありませんか」
「相違ありません」
「担当外の職員が申請を行った理由は」
「課の権限で行える調査だからです」
「規程の潜脱ではありませんか」
「規程の範囲内です」
「その解釈は、貴社の見解ですか」
「私の見解です」
委員のうち三人が、同時にペンを走らせた。
この場の目的は、事故原因の究明ではない。俺は五分で理解した。目的は、この崩落を「無理な調査を強行した保険会社の自業自得」にする事だ。そう決めておけば、縄の話が出ても、話は装備管理ではなく申請の妥当性に落ちる。
「日野六花氏は、単独での降下に不安を表明していましたか」
「していません」
「では、貴社側に安全上の懸念は無かったと」
「ありました。私が本社へ延期を申請しています。記録が残っています」
「その申請は、却下されたと」
「はい」
「却下したのは、貴社の内部の方ですね」
「そうです」
「では、これは貴社内部の問題ですね」
俺は少し黙った。
「委員長」
「なんでしょう」
「今の質問は、事故原因に関するものですか」
「関係します」
「どう関係しますか」
「……調査の妥当性は、事故の背景として当然に」
「では伺います。支点の金具は、どちらが打ちましたか」
委員の一人が、書類をめくった。
「機構です」
「打設は何年前ですか」
「……記録を確認します」
「確認してください。それは、事故原因に関する質問です」
「装備は、どちらの管理ですか」
「……は?」
「当日、日野が使用した縄です。管理は、どちらですか」
委員長が、手元の書類をめくった。めくる音が、少し長かった。
「支給は、貴社からと聞いています」
「支給はうちです。払い出し元は本社。本社が保有していた在庫は、貴機構からの貸与品です」
部屋の空気が変わった。ペンの音が止まった。
「そちらの様式番号を、教えてください」
「様式番号」
「貸与品台帳の様式です。番号があるはずです。うちの管理番号と頭四桁が違いますので、そちらの体系だと分かります」
「……その件は、所掌が違います」
「では、所掌の部署を教えてください」
「本日の議題ではありません」
「本日の議題は、事故原因の究明ではありませんか」
委員長は答えなかった。
俺は鞄から紙を出して、机に置いた。三枚あった。
「開示請求です。三件」
委員の一人が、腰を浮かせた。
「一件目。〈鴉ノ巣〉の発生観測記録。閾値を超えた時刻と、観測地点」
「二件目。安発第百四十七号の改正に係る起案文書。六年前の改正分です」
「三件目。貸与品台帳のうち、当該管理番号に係る払い出し履歴の全部」
誰も紙を取らなかった。俺は三枚を、委員長の前まで押した。
「本日この場で提出します。受領印をいただけますか」
委員長が、部屋の右奥を見た。俺はその視線を追った。
コの字の外側に、椅子がもう一つある。長机には着いていない。壁際に離して置いてある。そこに、老人が座っていた。
六十を超えている。背広は上等だが古い型で、鞄は持っていない。手ぶらだ。腕を組まず、脚も組まず、ただ座っていた。
委員長が、その老人を見た。老人は動かなかった。頷きもしなかった。それでも、委員長は受領印を押した。
委員会というのは、結論を出す場ではない。結論を出した事にする場だ。九人が座っていて、九人とも自分の所属に持ち帰る一行を探している。誰も嘘はつかない。ただ、自分の一行に都合の悪い質問を、丁寧に議題の外へ置く。そうやって、二時間で議事録が一枚できる。一枚できれば、その事故は片づいた事になる。
調査は一時間で終わった。
退出する時、俺は壁際の椅子の前を通った。老人は座ったままだった。目だけが、こちらを追った。
俺は名刺を出した。
「共栄海上ダンジョン保険、査定第二課の鵜飼と申します」
老人は名刺を受け取った。両手ではなく、片手だった。受け取って、目の高さまで上げて、読んだ。名前のところを、少し長く見ていた気がした。
彼は名刺を返さなかった。自分の名刺も出さなかった。一言も、話さなかった。
廊下に出ると、若い職員が追いかけてきた。
「鵜飼さん。開示は、正式には二週間かかりますので」
「分かりました」
「それと、あの」
彼は言葉を選んでいた。
「先ほどの方には、あまり」
「どなたですか」
「……理事の、鳥飼です」
俺は足を止めた。
「鳥飼統一郎さん」
「ご存じでしたか」
「名前だけは」
「あの、私の口からは何も。今のは聞かなかった事にしてください」
彼は逃げるように戻っていった。
支社に帰ると、六花が三角巾のまま机で書類を読んでいた。読んでいるふりかと思ったが、本当に読んでいた。
「どうでした」
「一時間で、うちが悪い事になりました」
「うわ」
「開示請求は三件出しました。受領印はもらいました」
「押してもらえたんですか」
「押しました。……押させたのは、たぶん私ではありません」
「え?」
「壁際に、人が座っていました。何も言わずに」
俺は椅子に座って、手帳を開いた。その日の欄には、一行しか書けなかった。
——鳥飼統一郎。一言も発しない。名刺を片手で受け取る。名前を長く見る。
「鵜飼さん」
「はい」
「その人、鵜飼さんの事、知ってました?」
「分かりません」
「顔、見ました?」
「見ました」
俺は蓮見の言葉を思い出していた。名前を名乗る前に、相手の顔を見なさい。俺は名乗ってから見た。順番を間違えた。
二週間後、開示の一部が届いた。3件のうち、届いたのは1件だけだった。〈鴉ノ巣〉の発生観測記録。
紙は三枚。ほとんどが黒く塗られていた。観測地点は非開示。閾値の数値も非開示。残っていたのは、日付と時刻だけだった。
四月十二日、午前二時十七分。
俺はその日付を、特約の締結日と並べた。四月九日。三日の差は、まだそこにあった。
残り2件の開示は、不開示の決定通知が来た。通知書は一枚もので、理由の欄はほとんど定型文だった。
俺はその紙を、裏返した。裏の右下の隅に、小さな数字が刷ってあった。桁が多かった。見た事のある並びだった。
俺は鞄から、記載要領の三枚目を出した。同じ場所に、同じ桁の数字がある。頭の六桁が、一致していた。
不開示の通知にも、様式番号は刷られる。刷った人間は、そこまでは見ていなかった。




