第14話:その縄の番号、控えておきます
立入の前日、俺と六花は支社の装備庫にいた。
査定第二課の装備庫は、倉庫の半分を仕切って作ってある。ヘルメット、照明、簡易担架、酸素、縄。現場調査は年に十数回しかないので、どれも新品同様の顔をして埃をかぶっている。
「これと、これと、これ」
六花は迷わなかった。三分で選び終えた。
「照明、二つでいいんですか」
「二つ持って、片方を腰の後ろに回します。前が消えた時、振り返らないで済むので」
「なるほど」
「メモしなくていいですよ、そんなの」
俺は書いていた。書くと覚える。覚えると、次に誰かを送り出す時に使える。
装備には、一点ずつ管理票がついている。品目、規格、払い出し元、管理番号。俺は受領書を作るために、全部を書き写した。
「几帳面ですねえ」
「几帳面ではないです。受領書が要るだけです」
「誰も見ないですよ、それ」
「事故が起きた時に、いちばん先に見られます」
六花が、ヘルメットを持つ手を止めた。
「……そういう事、平気で言いますね」
「言いました。すみません」
「謝らないでください。慣れてます」
俺は書き写しながら、途中で手を止めた。払い出し元の欄だ。
ヘルメット、支社。照明、支社。担架、支社。酸素、支社。縄だけ、本社になっていた。
「六花さん」
「はい」
「この縄、本社から来ています」
「ああ、たまにありますよ。支社の在庫が切れると、本社から回してくるんです」
「在庫は切れていますか」
俺は棚を見た。同じ規格の縄が、三本ある。六花も見た。見て、少しだけ黙った。
「……切れてないですね」
「切れていません」
「まあ、そういう事もありますよ。事務なんて」
彼女はそう言った。俺も、そう思った。思ったが、俺は手帳を開いた。
「その縄の番号、控えておきます」
「はい?」
「管理番号です。控えておきます」
「わたしが使う縄の番号を、ですか」
「はい」
六花は変な顔をした。それから、笑った。
「鵜飼さん。それ、呪いみたいですよ」
「呪いですか」
「番号控えられたら、切れないじゃないですか」
俺は番号を書いた。十二桁あった。書き終えて、手帳を閉じた。
支給品の番号を控えるのは、査定人の癖だ。事故が起きた時、支給品が基準を満たしていたかどうかは、必ず争点になる。基準を満たしていない装備で事故が起きれば、それは使用者の過失ではなく、支給側の過失になる。
だから俺たちは、事故の前に番号を控える。控えておけば、あとから差し替えられない。差し替えられないという事は、誰かが差し替えたくなるほどの意味が、そこにあるという事でもある。
この時の俺は、その後ろ半分をまだ考えていなかった。
その日の午後、俺は3件のうち残り2件のクランに電話をかけた。一件目は、すぐ切られた。二件目は、事務の女性が出た。話の分かる人だった。
「三年前の特約ですか。ありましたね」
「どういう経緯で掛けられましたか」
「マスターが、説明会で勧められて」
「説明会」
「機構の説明会です。新しい層の安全対策の。年に何回かあるんですよ。あの時、新層向けの特約は保険料が安く抑えられているという話が出て」
「安い、というのは」
「発生から三十日以内の層は、料率が下がるって。だから、入るなら早いほうがいいって」
俺は手帳に、三十日、と書いた。
「勧めたのは、機構の職員ですか」
「保険会社の方だったと思います。……いえ、機構の方だったかも。すみません、三年前なので」
「いえ、助かりました」
電話を切ってから、俺はしばらく手帳を見ていた。
発生から三十日以内は、料率が安い。安いという事は、危険が少ないと見積もられているという事だ。
17件は、全部が新層で起きている。危険が少ないと見積もられた場所で、17人死んでいる。どちらかが間違っている。料率か、事故かのどちらかだ。
夕方の前に、俺は本社に電話をかけた。三度目でつながった。
「蓮見です」
「立入の件です。延期を申請します」
「理由は」
「機構の条件が、一名までとなっています。単独の現場調査は、うちの安全基準に反します」
「立会が二名つくと聞いたけれど」
「機構の職員です。うちの人間ではありません」
「同じ事でしょう」
「違います。緊急時に、誰の指揮で動くかが決まっていません」
少し、間があった。
「鵜飼くん。あなた、担当を外れているわね」
「外れています。これは課としての申請です」
「課の判断は、あなたがしているの」
「そうです」
「では、課として行かせなさい」
俺は受話器を持ち直した。
「部長」
「日野さんは元Bランクよ。うちの誰よりも、あの層に詳しい。行かせない理由が、あなたの心配だけなら、それは業務の理由じゃないわ」
「危険です」
「危険なのは、査定人が一人で戦っている今の状態のほうよ」
彼女は、そこで一度、言葉を切った。
「明日、彼女に行かせなさい。それは指示です」
通話が切れた。
俺は受話器を戻して、しばらく手を離さなかった。この人の指示は、いつも筋が通っている。通りすぎている。
夕方、六花が装備を積み終えて、課に戻ってきた。
「明日、六時に出ます」
「早いですね」
「機構の立会が二名つくんです。向こうの都合です」
「立会二名」
「はい。一名までって条件でしたけど、うちからが一名って意味らしいです」
俺は少し考えた。考えて、言葉にしなかった。三人で降りるという事が、その時の俺にはまだ、ただの人数だった。
「鵜飼さん」
「はい」
「怖い顔してますよ」
「元からです」
「元からですけど、今日はちょっと違います」
六花は自分の椅子に座らずに、机に腰かけた。行儀は悪いが、様になっていた。
「言っときますけど、わたし、四層で死にません」
「はい」
「五層でも死にません。あそこはもう、行かないので」
「はい」
「あと、書類も書きます」
「それがいちばん心配です」
「そこ心配するんですか、そこ?」
彼女は笑った。俺も、たぶん少し笑った。顔には出なかったと思う。
「鵜飼さん。ひとつ、宿題出していいですか」
「どうぞ」
「わたしが帰ってきたら、あの質問、答えてください」
「どの質問ですか」
「なんで発生日から見るのか、です。今度は、欄の話じゃなくて、あんたの話」
俺は手帳を持ったまま、しばらく動かなかった。
「……分かりました」
「はい、約束」
彼女は指を一本立てて、それを俺の手帳に軽く当てた。
「これに書いといてください。忘れるので」
俺はその日の最後の行に、こう書いた。
——日野六花、帰還後。発生日の理由を話す。
書いた事を、翌日の午前十一時に思い出す事になる。




