第13話:あなたは担当を外れなさい
3件の報告を上げた翌週、俺は担当を外された。
伝えたのは蓮見本人だった。本社に呼ばれて、十四階の小さな会議室で、五分で終わった。
「三ツ谷案件、本社預かりにするわ。あなたは担当を外れなさい」
「理由を伺えますか」
「告発人が査定人だと、中立性を欠く。相手方の代理人が必ず突いてくる」
「まだ告発は出していません」
「出す気でしょう」
「出します」
「なら同じ事よ」
彼女は書類を一枚滑らせた。担当変更の通知だった。決裁欄には、もう署名が入っている。あの几帳面な字だった。
「新しい担当は」
「本社の第一課。三人体制で見るわ」
「私が出した返還請求は」
「取り下げないわ。取り下げたら、私が通した八件を私が守った事になる。そういう形は取らない」
俺は少し黙った。
「部長。あなたが何をしたいのか、私には分かりません」
「分からなくていいの」
「分からないと、次の判断ができません」
「判断は、しなくていいと言っているの」
彼女は初めて座った。座ると、少し小さく見えた。
「鵜飼くん。あなた、五年でよくここまで来たわ。私が二十年前に行きたかった所より、ずっと先まで来ている」
「行かなかったんですか」
「行けなかったの」
その一言だけ、他の言葉より短かった。
「二十年前に、私も同じ物を見たわ。同じ形の書類が、違う会社から同じ枠で出てくるのを」
俺は手帳を開いた。開いてから、開くべきではなかったと思った。蓮見は、俺の手元を見ていた。見て、それから言うのをやめた。
「今日はここまで。支社に戻りなさい」
「部長」
「戻りなさい」
支社に戻ると、六花が課の入口で待っていた。話は先に届いていた。
「外されたんですか」
「外されました」
「そんなのアリなんですか」
「規程どおりです。おかしなところは、ひとつもありません」
俺は自分の机に座った。三ツ谷剛のファイルは、もう机の上に無い。朝のうちに本社便で送られている。
五年やってきて、担当を外されたのは初めてだった。手が、少し余った。
査定人の仕事は、ファイルの厚みでできている。朝、机の上に積まれた分だけ、その日にやる事が決まる。何も無い机は、休みではなく、外された事の形だ。
俺は空いた机を見て、それから引き出しを開けた。手帳の古い巻が、十冊並んでいる。一冊目は、五年前だ。表紙の内側に、当時の自分が書いた行がある。
——分からない事は、分からないと書く。
誰に教わったのかは、もう覚えていない。たぶん、あの冊子だ。
「鵜飼さん」
「はい」
「そういう時は、飯食ってください」
六花は俺の机に、コンビニのおにぎりを二つ置いた。
「一本ぶんの貸し、これで返します」
「缶コーヒー一本と、おにぎり二つでは合いません」
「利子です」
午後、法務課長が四階まで上がってきた。珍しい事だった。あの人はいつも、俺を呼びつける。
「聞きましたよ」
「はい」
「外されて、どうするんですか」
「規程を読みます」
「……そう来ますか」
彼は俺の机の端に、返還請求の書面の控えを置いた。
「本社第一課、三人体制だそうですね。三人で見るというのは、三人で薄めるという事です」
「そう思いますか」
「二十年この仕事をしていれば、そう思います。……ただ」
彼は控えの束を指で叩いた。
「あなたが出した書面は、もう外に出てます。他社七社と、裁判所と、所轄の相談記録。三人で薄めても、外の分は薄まらない」
「それが狙いでした」
「知ってますよ。だから来たんです」
彼は帰り際、ドアの前で振り返った。
「鵜飼さん。負けそうになったら言ってください。負ける準備は、私の仕事なので」
その夜、俺は支社の規程集を頭から読んだ。三時間で、一つ見つけた。
査定業務の担当は、案件ごとに割り当てられる。だが、現場調査の実施権限は、案件ではなく課に属している。査定第二課は、支社管内の全案件について現場調査を実施できる。実施の判断は、課長が行う。
うちの課長は、半年前から病気休職中だ。課長不在の場合、実施の判断は、課の在籍者のうち上位者が行う。在籍者は二人。俺と、六花。
「……つまり、わたしが行けって事ですか」
翌朝、俺の説明を聞いた六花は、二回まばたきをした。
「行けるのは、あなただけです」
「鵜飼さんは」
「私は担当を外れています。案件に関する調査には出られません」
「じゃあ何のための現場調査ですか」
「案件のためではなく、課のための調査です。〈鴉ノ巣〉の第四層について、当社が引き受けている迷宮指定特約のリスク評価を行う。名目は、それです」
六花は口を半分開けた。
「……それ、屁理屈ですよね」
「屁理屈です」
「通るんですか」
「通ります。規程に書いてあるので」
彼女は、しばらく俺を見ていた。それから笑った。今度は、はっきり声を出して笑った。
「鵜飼さんって、ほんとに戦えないんですね」
「非戦闘員です」
「戦えないのに、ぜんぜん負けないの、なんなんですか」
「負けています。担当を外されました」
「勝ってますよ、それ」
申請は三日で通った。通ったが、条件が二つ付いていた。
一つ。第四層への立入は、迷宮災害共済機構の許可制になっていた。〈鴉ノ巣〉は事故の再調査中という扱いで、事故当時の関係者は入れない。
二つ。立入は一名まで。同行者は認めない。
俺は通知書を三度読んだ。三度目に、条件の下の但し書きに気づいた。
——査定人資格を有する者の立入は、当面認めない。
「わたししか行けないって事ですね」
六花は、あっさり言った。
「これ、変ですか」
「変です」
「どのへんが」
「機構が、査定人だけを名指しで外しています」
俺は通知書を机に置いた。
「相手は、私が行くと困る」
「じゃあ、わたしが行くのは困らないんですか」
「困らないんでしょう。あなたは書類を書かないと思われています」
六花は、その一言を聞いて、少しだけ黙った。
「……なめられてますね、わたし」
「なめられています」
「はっきり言いますね」
「事実なので」
彼女は通知書を取り上げて、日付の欄を指でなぞった。
「行きます」
「危険です」
「危険なのは知ってます。四層ですよ、四層。前に鵜飼さんを連れて降りた所です」
「一人で降りるのは、別の話です」
「別の話ですけど」
六花は通知書を折りたたんで、胸ポケットに入れた。
「わたし、一回、人を見捨ててるんです」
〈鴉ノ巣〉の話ではない。あの層は一か月前にできたばかりだ。彼女が言っているのは、二年前の第五層の事だった。
俺は何も言わなかった。彼女も、それ以上は言わなかった。
支給品の申請書に、彼女は自分で名前を書いた。今度は、止まらなかった。




