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『名前が消えた朝、俺は自分を削除したらしい』 ──ログイン履歴に“存在しない自分”が残っていた件──  作者: Yolu大臣


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第7話:お前は、俺じゃない


『優先存在判定、開始』


赤い文字が空間中に浮かび上がる。


警告音が鳴っているはずなのに、妙に遠かった。


耳の奥で、水の中みたいにくぐもっている。


目の前には、俺がいた。


同じ顔。


同じ身長。


同じ声。


なのに、鏡を見ている感じとは少し違う。


あいつの方が、“俺として完成されている”。


そんな感覚があった。


「……なあ」


喉がうまく動かない。


乾いている。


「お前、本当に俺なのか」


“もう一人の俺”は、少しだけ笑った。


その表情が自然すぎて、逆に気味が悪い。


「今さら?」


軽い声だった。


「顔も声も同じだろ」


「記憶だって、俺の方が持ってる」


胸の奥がざわつく。


反論したいのに、言葉が出てこない。


確かに俺には何もない。


名前も。


過去も。


自分が何者だったのかさえ。


あるのは、“今ここにいる”感覚だけだ。


それだけ。


「だったら」


無意識に口が動いていた。


「なんで、お前は消されてない」


その瞬間。


空気が止まった気がした。


女がこちらを見る。


白衣の裾だけが、空調の風でわずかに揺れている。


男は黙ったまま目を細めた。


“もう一人の俺”だけが、静かに瞬きをする。


「……そこ、気づくんだ」


小さく笑う。


でもその笑いは、さっきより少しだけ硬かった。


「普通、そこまで辿り着かないんだけどな」


背中に嫌な汗が流れる。


モニターが点滅した。


『同期誤差、拡大』


『識別エラー』


『記録不整合』


赤い警告が次々に増えていく。


白衣の女が、信じられないものを見る目をした。


「まさか……逆?」


その言葉に、“もう一人の俺”が目を細める。


「やっと気づいたか」


心臓の音だけが、やけに近い。


「……何を」


声が掠れる。


あいつは少し黙ってから、静かに言った。


「消そうとした側は、お前じゃない」


意味が、すぐには頭に入ってこなかった。


理解より先に、嫌な予感だけが身体を満たしていく。


「お前は“残った側”じゃない」


そこで一度、言葉が切れる。


その沈黙が、異様に長く感じた。


「“消された側”だ」


喉の奥が、ひゅっと狭くなる。


視界が少し揺れた。


「……は?」


やっと出た声は、自分でも驚くほど弱かった。


“もう一人の俺”は、困ったように笑う。


「お前は、自分を削除した人間じゃない」


「削除されたあとに残った、“人格の残響”だ」


その瞬間。


頭の奥で、何かが軋んだ。


視界が白く明滅する。


雨の匂い。


濡れたアスファルト。


誰かの泣き声。


『もう耐えられない』


『だから、お前だけ残す』


そこで映像が途切れた。


呼吸が止まる。


肺がうまく動かない。


膝から力が抜け、床に手をついた。


冷たい。


やけに床が冷たい。


「……俺は」


声が震える。


違う。


違う違う違う。


だって俺はここにいる。


考えている。


怖がっている。


こんなに苦しい。


それなのに、“偽物”なわけがない。


「そんな顔するなよ」


“もう一人の俺”が、静かに言った。


その声には、初めて少しだけ感情が混じっていた。


「別に、お前を責めてるわけじゃない」


「むしろ——」


言いかけた瞬間、モニターが激しく点滅した。


『優先存在:確定』


空気が張り詰める。


表示された文字を見て、白衣の女が息を呑んだ。


『優先存在:オリジナル』


その下。


俺の識別情報。


『分類:残響人格』


終わった。


そう思った。


自分の輪郭が、少しずつ薄くなっていく気がする。


指先の感覚が曖昧だった。


このまま消える。


そう理解した瞬間——


エラー音が鳴り響いた。


鋭い警告。


モニターの表示が乱れる。


『残響人格、自己認識を確認』


『矛盾発生』


『個体固定化、開始』


「ありえない……!」


白衣の女が声を上げる。


男も一歩後ろへ下がった。


「残響が、“自己”を確立している……!」


“もう一人の俺”の表情が、初めて崩れた。


「……なんでだ」


低く呟く。


モニターがさらに乱れる。


『新個体認定』


『名称未登録』


『存在固定処理、開始』


その瞬間だった。


空白だった俺の名前欄に、一文字だけ表示される。


『——』


知らない文字。


見たこともないはずなのに。


なのに、なぜか分かった。


ああ。


これは——


“俺の名前”だ。

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