リゼル様旅立つ その二
眞帝国フェルカドを統治する魔王クリューガーには最近憂鬱になることがあった。あえて目を向けることをしないが、執務机の一角に日々増えていく報告書の山の存在だ。最新の報告書はなく、誰かが見終わったような痕跡を残した物が置かれている。報告書を読む順番はクリューガーが一番最後らしい。
(おかしいな?俺はこの国で一番権力を持っているはずなのに………)
目に涙が浮かんだ。しかし、この扱い方も己が悪いと認識はしている。
(リゼルは元気かなあ)
目尻に溜まった涙をそっと拭い、一番上に乗っている報告書を手に取る。それでも最新の物ではない。日付は八日前のだった。
『リゼル様観察日記ーーーリゼル様見守り隊』
観察日記って何だよ!?とクリューガーは心の中でツッコミを入れながらページをめくる。
『ああ、リゼル様は本日も可愛らしく鼻血が止まりません。ーーー水霊エンリル・バアル』
『うむーーー炎鬼バルカン・オットー』
『水霊の言うとおりです。ーーー風魔マリカ・ウォルシュ』
『本当に可愛いなあーーー地精ケレオス・フォレスト』
クリューガーは撃沈した。フェルカド最高戦力である四将軍のコメントに何も言えない。これでは報告ではなく単なる感想じゃないか。しかも、次のページには正妃以下城に勤める者達のコメントが続く。厩番のコメントから後が書かれていなかったので彼らで終わりのようだ。
(おかしいな?俺はこの国の王だよな?)
眞帝国フェルカド魔王クリューガー。彼がリゼルの報告書を読む順番はどうやら厩番の後らしい。
城でクリューガーが頭を抱えていることなど全く知らないリゼルの旅はとても順調に進んでいた。もう人族が住むアイオーン大陸との玄関口である港町カランツに到着する。
本日の見守り隊は港町に相応しく水霊エンリル・バアルだった。そして、リゼルの姉の一人七女ウルティア。リゼル見守り隊は基本的に姿隠しの魔道具を所持することを義務づけられている。その魔道具のおかげでリゼルに姿が見つかることはない。そもそもリゼルに存在を知られてしまったら見守り隊の意味がないからだ。リゼルに見つかることなく、リゼルの障害となりうるものを全て排除することこそがリゼル見守り隊の存在意義である。
「ウルティア様」
「なあに?エンリル」
エンリルは傍らでリゼルを見て激しく身悶えているウルティアに声をかけた。
「本日もリゼル様はどうしようもなく可愛いです。私、先程から鼻血が止まりません」
「ふふふふふふふふふふ」
ーーー何かもう色々とダメな隊だったけれど。
四将軍の一人と姉一人に見守られていると知らないリゼルは早速船着き場の方へ向かった。身分証明はすでに王都で発行済みなため、今必要なのはアルファルド大陸からアイオーン大陸へと出航する船の確認である。
もちろん、リゼル見守り隊の行動に抜かりはない。リゼルがカランツにたどり着く日程をあらかじめ予測しておき、船の出航日を調整しておいた。次期魔王となる長女アリアが王家の圧力をバンバンかけた結果である。一般人には、それとバレないように言い訳を用意しておいたが、カランツ町長及び港管理者には分かりやすくお願いをしたのであった。
当然、リゼルはすんなりと出航手続きを終える。カランツを観光することなくアルファルドを離れて行くことになった。
(少しは観光した方が良かったかな……)
船に乗り込み、船室に荷物を置いて一息ついて思う。旅が順調すぎて逆に恐ろしい。リゼル見守り隊が正しく仕事をしている結果なのだが、それを知らないリゼルは順調すぎて不安を感じるようになっていた。
おもむろに船室内のベットの上に大陸地図を広げる。詳細な地図は軍事機密上、取り扱い禁止のためおおざっぱな物になっているが、それでも大体の位置関係は把握できる。港町カランツから東へ三、四日航行すればアイオーン大陸での玄関口、貿易都市ビュルクとなる。
ビュルクは神帝国ゲンマの一都市だ。人族で唯一アルファルド大陸と取引がある港であり、戦時には対魔人族の重要な拠点となる都市である。現状、フェルカドとゲンマでは友好関係が築かれているため、戦争が起こる心配はないのだが。
リゼルはクリューガーからゲンマについて聞かされていた。ゲンマの首都、キュヴィエに着いたら皇帝に謁見しなければならない。ビュルクからキュヴィエまでの道程を考えて、ため息をつく。まだまだ遠い。
(こんなに遠いなら、母上はどうやってフェルカドへ来たのだろう)
思い浮かべるのはリゼルの母ティアのことである。と、いってもリゼルがまだ赤ん坊の頃に亡くなったティアを覚えているわけではない。肖像画でしかその姿を知らないわけで、思い出がないことに胸が痛む。
ティアが現れたときも当然船でこちらの大陸に渡って来たと考えられ、カランツで聞き込みをされたようだったが、目撃情報が一切出てこなかったらしい。魔人族でも比較的珍しいとされる漆黒の髪のティアならば目立つはずなのにだ。足取りも掴めなかったので、転移魔法でも使用したのではないかと思われるようになった。しかし、転移魔法もなかなか使い手がいない伝説の魔法に数えられるものであったから謎は深まるばかりたった。
(旅の中で母上のことが分かればいいが……)
地図を畳み、ベットに横になる。まぶたはすぐに下りてきた。
リゼルが船上の人になった同時刻。クリューガーの執務室では人の話し声が響いていた。執務机の上に用意された水晶。映っている相手とクリューガーは親しげに話をしていた。
『ーーーで、お前の息子がこっちに来るんだったな』
「ああ。それでな、報告したいことがあるんだ」
クリューガーの相手は神帝国ゲンマ皇帝ディオファントス・ユピテル・ゲンマだ。お互い長年の付き合いで気を許し合っているため、砕けた口調だ。リゼルの留学を改めてお願いしているところである。
『何だ?』
「リゼルは城の者に大事にされていてな。皆過保護で、一人旅のリゼルに護衛を二人つけさせている」
『ほう。近衛でもつけてんのかい』
「イヤ、四将軍だ。一人ずつローテーションで。ちなみに王女達も一人ずつローテーションしてる」
『………』
皇帝は沈黙。外交的に四将軍どころか王女までもがいるとバレたら反発は必至なのだが。
「ゲンマとやり合う気はないんだが、さすがに不味いだろう?だからお前に連絡したんだ」
『最高戦力を寄越すんじゃねぇよ!!!』
「……俺…妃達と娘達に逆らえないんだ」
女系家族なため、一致団結したら逆らうことなどできはしない。数は暴力なのだ。唯一味方になってくれるであろうリゼルはクリューガーが許可を出し旅に出ている。つまり、自業自得だ。
『魔人族でもフェルカドは大国の一角じゃねえか。そこの王様が尻に敷かれてるってウケるわ!』
「五月蠅いよ、ディオ。お前だって娘にお父さん臭いって言われて落ち込んでいただろうがっ」
ある日、突然皇帝から通信が入って緊急事態かと身構えたのだが、第一声は『娘に臭いって言われた。どうしよう、俺生きていけない』だった。
『ああん!?人払いしてるからって言っていいことと悪いことがあるだろう!あれは鍛錬の後に会ったからで……こっちは傷ついてんだぞっ』
「……何かすまん」
『そこで謝られるとか余計傷つく!……とにかく、四将軍と王女のことは了解した。一応バレねえようにはしてんだろう?』
「ああ。基本、リゼルに姿が見えないよう姿隠しの魔道具を使用している。問題は学園に留学するときだ。潜入できる手段はないだろうか」
『護衛を止める選択肢はないんだな?』
「そんなことをしたら、俺は明日にでもクーデターを起こされて魔王を引退してるかもしれん」
クリューガーは次期魔王、長女アリアの顔を思い浮かべる。多分、いい笑顔で「クビです」と言うだろう。正妃や即妃達もいい笑顔で「引退ですか。隠居するならお一人でどうぞ」と口を揃えて言うだろう。後は侍従達も誰一人ついて来ないと思われる。今でさえ、クリューガーの地位は底辺なのだ。きっと……イヤ絶対に良いことはない。
『おおう……そんなにか……さすがの俺もドン引きするくらい愛されているんだなあ。よし、お前がクビにならんよう何とかしとく。こっちから護衛に接触しても構わんな?』
「ああ。護衛達には言っておく」
皇帝はこれから訪れるであろう魔王の一人息子リゼルを想像する。今まで直接会ったことはないが話を聞く分には皆に溺愛されて育ったようである。護衛に最高戦力をつけるあたり、どれだけ愛されているか推し量られるだろう。
ただただ頭が痛かった。