4 マヌケな背中
重たい腰をやっと持ち上げた椰子は、のろのろと商店街を歩いていた。その数メートル後を大福片手に追いかけるのは編集者フミである。
昔ながらの商店街には、山積みの茶碗を売る店や、年中70%セールを行っている婦人服屋などに交じり、真新しい店もちらほら見える。鎌倉〜室町時代に港町として栄えた尾道には当時の繁栄を象徴するかの如く、いくつもの寺が建設された。海と山、さらには日本文化も堪能できる土地柄に、海外からの旅行客も多くみられている。
ここ最近ではしまなみ海道をサイクリングするイベントが目白押しで、尾道とて例外ではない。様々な種類の自転車が陳列されているレンタサイクルショップの中には、若い男女が肩を寄せ合いながらこれからの旅に胸を躍らせているようであった。
「面白いお店が沢山ありますね。先生はサイクリングなど、されないのですか? ああ、そうか。先生は自転車に乗れませんでしたね」
失敬な! とツッコミが飛んでくるのを期待していたフミは、ふと顔を椰子の方へと戻した。なんと驚くことなかれ。この数秒の間に、噂の男は姿を消していたのである。
「そんな! 先生っ!?」
フミは慌てて椰子が歩いていたであろう数メートル先まで駆け出した。ふと視線を横にやると、なんと抜け道のように細い路地が、海沿いへびよーんと伸びているではないか。その路地の先に帽子を押さえながらなんともマヌケな走り方をしている男を見つけた。タイル張りの商店街に下駄の音が響かぬよう、裸足で走り去る姿にさすがの彼女も開いた口が塞がらない。
だがみすみすここで取り逃がす訳にもいかぬので、とにかくその後を追いかけていくことにした。路地を抜けると、またしても先ほどの海岸通りへと出る。出口を右に曲がったところまでは確認したので、迷わず右へとつま先を返した。あの走り方だ。そう遠くにまで逃げる体力はないだろう。そう信じて彼女は先へと進む。
しかし数歩進んだ後に、ふと気が付いた。時は8月半ばである。この灼熱の中、素足で太陽照り付けるコンクリートの上を歩いて行ったというのだろうか。いや、軟弱な男だ。そうはしないだろう。下駄を履いたとしたのなら、海沿いにその音が響いてくるはずだが、耳を澄ませどそれもない。
フミはすぐさま振り返り、来た路地を覗き込んだ。すると数秒前に見た姿そのまま、ふざけた男が商店街の方へと逆戻りしているではないか。走って逃げたふりをして、物陰で息を殺していたのである。体力はなくとも、それを勝る知恵がこの男には備わっている。
やれやれ。ここで諦める女でないことは、椰子でなくとも知っての通り。フミは大事そうに大福の箱を抱え込むと、履いていたヒールをおもむろに空いていた手へと持ち上げた。元陸上部である彼女にとって、へんてこな男が逃げ去った距離など屁でもないのである。
指先までピンと伸ばした腕を振りかぶりながら、勢いよくスタートダッシュを決めた。わずか数秒という間にマヌケな背中を飲み込んだ路地を抜けきったところ、突如路地から飛び出した素足の女性に驚きを隠せないカップルと正面衝突を仕掛けた。横倒しになりそうになった自転車を慌てて支えながら丁寧に謝罪をして、いそいそとヒールを履き直す。
その先に、椰子の姿はなかった。




