5 魚売りの女性
「逃がしませんよ」
フミはピンと背筋を伸ばしながら襟足を整え、ヒールの音を響かせ趣深い商店街を進んでいく。
少し先に木製の荷車のようなところで、魚を裁いている50代くらいの女性の姿があった。分厚い長靴にエナメル気質のエプロン。今時こんな形で鮮魚を売っている店もあるのだなと物珍しさから立ち止まっていると、ふとその女性が顔を上げた。
「ほれ、ギザミ」
突如告げられた言葉に、フミは慌てて周囲を見渡した。自分以外に彼女の前に立っている人はいないので、どうやら自分に声をかけてきたらしい。しかしながら、自分はギザミという名ではない。可笑しなこともあるもんだと思いながらも、その荷車へと近寄った。
そこには丸々と太った、手のひら程の魚が横たわっていた。そこで以前椰子が言っていた言葉を思い出す。
「夏には海でギザミが釣れる。そりゃあ、美味いですよ」
そうか、魚の名前だったのかと、フミはようやくその魚がギザミであると認識できた。光の加減で緑に見えたり、銀色に見えたり。ところどころ赤い斑点の様な柄も見えて、なんだかオシャレな魚である。
「最近なかなか採れんのよ。一匹こうてき」
「いいですね。先生召しあがるかしら」
そこでふとフミは思い出す。はてさて、椰子の家に調理器具などというものがあったであろうか。生憎自分もそこまで料理上手ではないので、取れたての魚をそのまま持ち帰ったところで手に余ることは目に見えていた。
しかし彼女の手元を見てみると、出刃包丁片手に手慣れた手つきで内臓を取り除いていくではないか。帰ってそのまま焼くだけで、食にありつけそうである。
「こちらの調理方法は?」
「焼きでも煮つけでも」
「では二匹」
煮つけにする調味料はなくとも、塩振って焼くくらいであれば、あの家でも出来るだろう。自分の分も用意しているあたり、さすがと言ったところである。店の女性は新聞紙を取り出すと、手早く魚を二匹包んでくれた。
「そういえば」
そこでようやく自分の使命を思い出したフミ。魚の入ったビニール袋を受け取りながら、可笑しな格好をした男を見なかったかと問いかけてみる。
「ああ、下駄履いとるオッサンじゃろ。山手の方に走って行ったで」
店の女性はそう言いながら、顎で軽く裏路地を示してくれた。その両手は既に違う魚をさばくのに忙しそうである。フミは丁寧にお辞儀をした後、女性が示した山手へと続く道を進んで行った。
山へと続く道はいくつもあるが、だいたいは導かれるように千光寺へとつながる道だ。きっと尻尾を巻いて家に帰ったに違いない。万が一戻っていなかったとしても、魚を焼いていればその匂いに誘われて帰ってくるかもしれぬ。
フミは山道を我が物顔で歩く野良猫たちと椰子を重ね合わせ、しめしめ笑いながら彼の隠れ家へと足を進めていくのであった。




