21 衝動の果て
「この絵をですか」
彼女の突然の申し出に戸惑う椰子は、思わず握っていたサングラスを再び足元に落してしまった。
「けれどこれは、コンテストに出すものでは」
「それは、もういいんです」
しばらくの沈黙の後、彼女はその空白を埋めるかのように話し始めた。
「だってやっぱり、必要としてくれる人の元に置いておくのが一番いいと思うんです。そりゃ色んな人見てもらうことも良いことですよ。でも、私の絵を気に入ってくださったのに、最初から邪険に扱うだなんて失礼過ぎました。反省してます」
「そうですか」
椰子は顎に手を当てて、もう一度じっくり絵を確認するためキャンバスボードに顔を寄せた。彼女はこの後に宮から降りて来る神輿を書き足すと言っていたが、今のある下書きにはのっぺりとした石段が続いているだけである。
「失礼ですが、神輿は書き足されないので?」
「ええ、下書きはお終いです」
「どうして」
「だって。やっぱり風景を見ながら描くのならば、本物の情景を絵に落とし込みたいじゃないですか。でもお祭りの時期まで待ってると、間に合わなくなっちゃいますし」
「けれどコンテストにはもう応募されないのですよね。ならばそう急くこともないでしょう」
「ええ、まあ」
しどろもどろになった彼女は、慌てた様子で地面からサングラスを拾い上げる。そして瞳に浮かんだ涙を覆い隠すように、視界を遮断してみせた。
「ところで、先生。買っていただけますか」
彼女の言葉に、椰子は小さく息を吐くと、首を静かに横へ振った。
「あいにくですが、その絵には価値がなくなりました」
「え……」
椰子は小さく頭を垂れると、そのまま神社の方向へ足を進めていく。下駄の音が響く路地裏に、彼女は思わず彼の背中に怒声をあげていた。
「私の絵には、意味がないってことですか? お金を払う価値もないと? 神輿をご希望されるなら、この上に書き足しますから!」
「ならばどうか、消しておいてください」
その時一本の鈍行列車が通過した。空気と相性の悪い椰子の声はいとも簡単にかき消され、彼女は聞き逃した彼の言葉を思わず聞き返す。
「先生、今。なんて?」
「私は、小説家ですので」
彼はそう言うと先ほどよりも深く頭を下げ、道路を渡り神社の方向へと足を進めて行った。
どこにもぶつけようのない苛立ちが、彼女の中にははびこっていた。不完全燃焼の胸の動悸が、彼女を突発的な行動に誘う。真っ黒な木炭を握りしめ、それを白いキャンバスのうえに擦り付けようとその手を振りかざした時だった。指先が触れる僅か一センチの隙間を残し、その衝動は止まった。
石段を歩く和服の男は、今もなおその場所を上っている。




