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祭囃子椰子 ~まつりばやしやし~  作者: 高冨さご


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18/29

18 『最初の本』

「お世話になります、エアコン設備の者ですが」


 受話器を置いた直後、椰子の玄関扉が叩かれた。汗くさい男はすぐさま扉を開き、爽やかな作業員男性を中へと招き入れる。男性は案内されるがままに作業部屋へと入り、言われた場所にせっせとエアコンの設置を始めた。その様子を部屋の入り口付近で物珍し気に眺める椰子。もちろんのことエアコンを見るのが初めてという訳ではない。東京に住んでいる間は、むしろ四六時中エアコンの効いた部屋に閉じこもっていたのだ。もはや相棒とも思える存在と、数年ぶりに再会した気分であった。


「最近、越してこられたんですか?」


 まさかこのご時世、何年もの間水浴びをして真夏日を凌いでいたとは思うまい。だがここで正直な話をすると説明が長くなると勝手な判断をした椰子は、瞬き一つせずにそうです、と答えた。


「そうですよね。この暑さのなか、エアコンなしだと熱中症になっちゃいますよね」


 椰子は無言でコクコク、と頷いた。


「ところで、素敵なお召し物ですね。作家さんですか」

「ええ、すこしばかり。小説を」

「小説家さんか。僕初めて小説家さんのお家を拝見しました。やっぱり原稿って手書きで書かれるんですね。このお家も、風情があって素敵です」


 率直に真正面から意見をぶつけて来る若造に、椰子は小さく頭を下げた。まさかこのご時世になって電子機器一つも持っていないとは言い出せない。編集者からの原稿のやり取りをメールでしないかとの誘いを、かれこれ何年も断っている。本当に、面倒な男である。


「出来ました」

「ご苦労様でした。遅ればせながら、麦茶でも」

「お気遣い、ありがとうございます」


 作業員はエアコン操作の説明の合間、椰子が急いで用意したペットボトルの麦茶を胃袋へと流し込んだ。


「あの、良かったらペンネームを教えていただけませんか」

「私のですか」

「はい。妻が小説を読むのが趣味なので。一冊買って帰ろうかと」

「そうですか」


 椰子はエアコンのリモコンを受け取る代わりに、箪笥の上に置き去りになっていた一冊の本を持ち上げた。しばらくそのままになっていたのか、服の袖で埃を掃ってみせる。


「差し上げます」

「え、いいんですか!?」

「ええ。私は、読みませんから」


 彼はそれはそれは嬉しそうに、椰子から差し出された本を丁寧に受け取った。


 それは彼が一番最初に新人賞を獲得し、初めて文豪たちの本棚と隣り合わせで並んだ夢の片割れであった。編集者から受け取った見本ではなく、本屋で胸を躍らせながら自ら買った一冊である。


「ありがとうございます。実は妻、もうすぐ出産なんです。産休に入ってからなんだか毎日手持ち無沙汰な顔をしてて。きっと同じ町に小説家が住んでいるって聞いたら、跳んで喜びますよ。あ、いえ。跳ばれたら困りますけど」


 椰子はホッとした顔で彼を見送った。何を書いたのか、それはもう記憶にない。けれどあの頃の自分の言葉には、夢と希望が間違いなく注ぎ込まれていた。


 どうかこれから発売されるであろう自分の本が彼の手元に届くことがない様に、願うばかりである。

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