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祭囃子椰子 ~まつりばやしやし~  作者: 高冨さご


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16 已まぬ耳鳴り

 フミと共に家に戻った椰子。家の扉を半分開いたところで、その動きを止めた。この場に及んでまだ原稿を渡すことを渋っているのだろうか。フミが不思議そうな顔をしてその薄っぺらい背中を眺めていると、くるりと男は行く先を代えて細い家の脇道へと入って行った。


 そう、そこは野良猫の住処である。ぬるま湯と化している野良猫の飲み水を代えてやるために、わざわざ足を運んだのだ。自分のことは適当なくせに、甲斐甲斐しいところはあるらしい。


 それを見つめていたフミは、猫への土産をすっかり忘れていたことを思い出し、頭を抱え始めた。


「あら、やだ。缶詰一つでも、買って来れば良かったわ」

「缶詰、ですか」

「猫缶ですよ。猫ちゃん用のご飯」

「猫缶、とな」


 椰子はフミの言葉をそのまま繰り返すだけのオウムと化している。今まで動物と触れ合う機会を全くもって来なかったのか。されど一度は目にしていてもおかしくなさそうな猫の食事形態を露ほども知らぬ、常識はずれの小説家である。


 彼は、猫もいいですね、とよくわからない感想を述べた後、のそのそ家の中へと入って行った。家の中はこれはもう驚くほどに散らかっていた。丸められた原稿用紙の他に、乱雑な文字で書きなぐられた今世紀最大の力作がそこら中の床に敷き詰められている。はて、泥棒でも入ったであろうか。


 フミは廊下を歩きながら原稿用紙を一つ一つ丁寧に拾い上げ、もはや怪文と化している文章に目を通した。


「先生、ついに完成したんですね!」


 興奮がおさまり切らぬフミに対し、椰子はかぶっていた帽子を脱ぎながら冷や汗をかいていた。


「いやあ、その。きちんと書きましたとも、ええ」


 歯切れの悪い返事はこのありさまのせいである。どうやら窓から先ほどの猫が入り込んでいたらしい。分厚い原稿を渡してすぐさまお暇していただこうと思っていたところ、どれが一枚目かも分かりはしない。後で隅を止めておけばいいと頁数を書くのをサボった結果である。一枚でもなくなっていれば、この物語は完全にお蔵入りとなるだろう。なぜならもう一度同じ文章を書くことなど、彼には出来ないのだから。紙にインクとして書き落した時点で、彼の頭の中からは完全に消え去ってしまった。もはや何を書いたのかさえ覚えていない。


 まさか最初からやり直しをさせられるのではと肝を冷やしていた椰子だったが、フミは部屋に転がる原稿用紙をありとあらゆるところから回収して一つにまとめた。


「とんでもない提出方法でしたが、まあ受け取れただけ良しとします」

「それ、読まれるんですか?」

「もちろん。やっと先生が鉛よりも重たい腰を引き上げて書いてくださったんですから。なんとかなりますよ。パズルみたいに、隣のピースを探していけばいいだけですから」


 彼女はそう言って笑った。超絶忙しい仕事の最中、散々逃げ回っていた変人から完成図もない超難解なパズルを解いてください、だなんて突き出された日には、いい加減にしろと高い崖の上から背中を押したくなるものである。


 しかし、彼女の目は輝いていた。そう。まるであの、絵描きの彼女とよく似ている。


 椰子はそれに気が付くと、すぐさま目を逸らして海が広がる窓枠へと視線を移した。


「それじゃあ、読み終えたらまた連絡しますから。これには続きがあるご予定ですか?」


 フミの言葉に、椰子は目を細めた。


「いいえ」


 彼女は何かを言い残し、玄関の戸を閉じて行った。彼女の言葉が何だったのか、慌てて出て行った彼女が置き忘れた大福がどうなったのか、その後のことはあまりよく覚えていない。


 音が、鳴りやまぬのだ。賑やかな太鼓の音と、それをさえぎる踏切の音が。

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