14『変態だーっ!』(セットアップ3)
「せーんせっ、顔見に来たっス」
「……何しに来たんですか」
「顔見に来たって言ったじゃないっスか。先生のコーヒーが飲みたくて」
(誰、あの人⁉)
翌朝九時、キトンは驚愕した。
ブン先輩と自分だけの聖域だと思っていた山に、見知らぬ女がいたからだ。
しかも、
「『変態だーっ!』」
「『うえきの法則』。やぁキトン、ちゃんと来たね。この人は……私の従姉の」
「え?」変態が首を傾げた。
「い・と・このっ、上原ハンナ姉さんだよ」
「えーと、はい。先生の従姉の上原っス?」
とんでもないバケモノ女だった。
ハタチ過ぎといったところだろうか。
セミロングの髪は真っ青なインナー染め。
爪はアオと黒で交互に塗られている。
耳にはバチバチのピアスが。
ド派手なメイクに反して、着ているのは濃紺のパンツスーツという普通の社会人っぽい服装。
仮に社会人だとしたらまぁまぁヤバめな外見だが、キトンが『変態』だと断じた理由はそこではない。
「……カニバル・ハンニバル!」
この女が、まるで小説・映画『羊たちの沈黙』に登場する『人食いハンニバル』のような、口元だけをカバーしたアイスホッケーマスクをしていたからだ。
噛みつき防止のために、口元には鉄格子のような無骨なワイヤーがはめ込まれている。
「おっ。ハンニバル・レクター博士を知ってるっスか。若いのに感心っス」
そのバケモノが駆け寄ってきて、キトンに顔を寄せた。
クンクンと鼻を鳴らし、
「石鹸、イースト菌、歯磨き粉、汗。汗を彩るのは運動、驚き、喜びにストレス。若くて未熟でいい匂いっスね~」
「ヒィッ⁉」
「こらこら、私の弟子を怖がらせないでください」
「弟子? 先生、弟子を取ったんスか? ってことはついに、先生再始動⁉」
人食いハンナがキトンにグイグイと顔を近づけてきた。
マスクのワイヤーがキトンの鼻に食い込む。
香水とタバコの強い匂いに襲われ、キトンは頭がクラクラしてくる。
「お弟子さん、キミが先生の起爆剤になってくれることを願っているっスよ」
「ハンナ姉さんっ」
「はいはい分かったっスよ」
ハンナがブンからコーヒーを受け取り、マスクを外してずぞぞぞっと飲み干す。
すらりとした鼻筋に、形のいい唇。
(美人だ。変態なのに)
「ほら、飲んだのならもう帰ってください」
「つれないっスね~、ブン先生は」
ハンナはコップについた口紅を親指でぐいっと拭うと、ブンにコップを返す――と見せかけてブンの腕をぐっとつかみ、ニヤリと笑った。
「待ってるっスよ、先生の新作」
「もう帰ってください!」
「はいなはいな、ハンナハンナ」
ひらひらと手を振りながら、ハンナは去っていった。
「……『嵐を呼ぶ女』」
「『クレヨンしんちゃん』のキャッチコピーかい。確かに、台風みたいな人だよね。よくも悪くも」
いや、そんなことよりも。
「で、弟子……?」
「あぁ」はにかみ笑いのブン。「昨日は、いわばお試し期間だったからね。で、どうする? 本当に弟子入りするかい? そうなると、少なくとも月末の締切まで三週間、キミの貴重な時間を奪う形になるが」
「『大丈夫だ、問題ない』」
「イーノック語録。でも、本当に? 自分で言うのも何だけど、私はこのとおり偏屈な人間だよ」
(先輩、さっき『先生』って呼ばれてた)
もちろんキトンにも、打算はあった。
さっきの女性が社会人で、『従姉』というのがウソの設定だったとして。
ブン先輩の正体とは、まさか、もしかして――。
仮にその予想が外れているにせよ、キトンはブンと一緒にいるのが楽しかった。
ブン先輩は自分を肯定してくれる。
ブン先輩がそばにいると、自分は執筆速度が飛躍的に向上する。
自分は、ブン先輩とできる限り時間を共有したい。
弟子入りすることでその願いが叶うのなら、何を迷う必要があるのか。
「『だが、それがいい!』」
「『花の慶次』。『ジョジョ』第四部の岸辺露伴のセリフ『だが断る』と混同されがちだけど、有名な語録だ」
ブンが立ち上がった。
「そうかい。ならば、僕も覚悟を決めよう」
ブンの一人称が『僕』になった。
そのことに気づいているのかいないのか、彼女は、
一歩、
二歩、
三歩と歩き、芝居がかった仕草でふわりと振り返る。




