9『必ずしも本能寺の変までを描ききる必要はない』(セットアップ2)
「駄目だね」
「『うわぁあああ……っ!』」
「『コマンドー』。メイトリクスがサリーを崖から落とす、超有名なシーンだね」
ブンが自身のスマホをスワイプする。
キトンがクラウドストレージにUPしたドキュメントファイルを、読んでくれているのだ。
「キミ、十五万文字に収めるために、かなり乱暴に中盤を削ったね?」
(そんなっ、寝る間も惜しんでがんばったのに……。ちょっと待って。ブン先輩、本編の内容を把握してくれてる。もしかして、百万文字本編を全部読んでくれたの⁉)
「まぁ、流し読みだけどね」
(考えてることを読まれた⁉ エスパー⁉)
「違うよ。キミの顔が分かりやすすぎるだけさ」
「…………」
「恥じることではない。むしろ美点だ。可愛いと思うよ」
「!」
「まぁ、コーヒーでも飲みなよ」
そう言って、昨日と同じ大きなリュックから魔法瓶を取り出すブン。
彼女の手元を注視していると、キトンは図らずもリュックの中をのぞき込む形となってしまった。
「……縄」
縄が入っていなかった。
「あぁ、長さが全然足りなくてね。…………。……一旦やめたんだ」
ブンがほんの一瞬、ひどく冷めた顔をした。
キトンはドキリとする。
(本当に不思議な人だ)
夏目文子。
大事に育てられていそうに見えて、ときどき恐ろしく渇いた目をしてみせる。
そのギャップがまた、興味をそそるのだ。
「それにしても、まさか本当に、一晩で八十五万文字削減してくるとはね」
(え、もしかして冗談? 私、からかわれてた⁉)
「いいや、からかったってわけじゃないよ。ただ、過去にも、私に弟子入りしたいという人はいたんだよ。でも、いざ当日になるとバックレられてしまってね。私からの指摘や課題を聞いて、面倒くさくなってしまったんだろうね。男九人、女一人、全滅さ」
(それ多分、ナンパ目的だったんじゃ? この人、男子にも女子にもモテそうだし)
昨日のワンピース姿も綺麗だったが、今日の山ガール姿もとてもよく似合っている。
自分のもさもさジャージ姿とは大違いだ、とキトンは思う。
(というか、ナチュラルに人の心を読まないでほしい)
「あはは、キミの顔が分かりやすすぎるのがいけない。ほら、いつまでも突っ立っていないで、そこの切り株にお座り。このブルーシートを使うといい。本当はこのアウトドアチェアを差し出すのがおもてなしの精神というものかもしれないけれど――」
――ふるふるふるっ
と首を振るキトン。
先輩の椅子を奪うなんてこと、気の弱いキトンにはとてもできない。
ブンがくすりと笑って、
「――キミは恐縮して、かえって居心地が悪くなるだろう?」
その笑顔は同性のキトンですらドキリとするほど艷やかだった。
色っぽいのに、いやらしさがない。
優美で清涼な微笑だ。
「まぁ、気持ちは分かるよ」
山ガールなブン先輩が二つ目のコップにコーヒーを注ぎながら、言った。
「実はヒロインこそがラスボスだった、という衝撃的な展開を盛り込みたいという気持ちは。序盤からずーっとさり気なく仕込み続けてきた伏線の数々が炸裂する、痛快な展開だからね。けれど、そのためには物語やや終盤、長崎編の大悪魔ラウル戦を描かなければならない」
「――っ⁉」
キトンは本気で驚いた。
ブンの指摘こそは、キトンが昨晩遅くまで延々と悩み抜いて、結局は妥協してしまった部分にほかならなかったからだ。
この人は間違いなく、百万文字本編を読んでくれている。
それも、『斜め読み』というのはただの謙遜で、かなり念入りに読み込んでくれている。
『デビライズ・ダンジョンズ』には七十二柱の大悪魔が登場し、それぞれが『グランドシジル』と呼ばれる異能を有している。
そして主人公は、大悪魔を撃破したときに相手のグランドシジルを吸収することができる、というチート能力を持っている。
自宅の下に突如ダンジョンが発生し、最下層にまで落ちてしまった主人公は、そこでヒロインでもある大悪魔リリスと出会う。
弱っているリリスを助け起こそうと手を伸ばした瞬間、図らずも主人公のチートが発動してしまい、リリスのグランドシジルを奪ってしまうのだ。
異能は使えないが、膨大な魔力を有するリリス。
魔力はないが、グランドシジルが使えるようになった主人公。
リリスは主人公にキスすることで、魔力を口移しで分け与えることができる。
凸凹な性格、凸凹な出自、凸凹な能力値。
奇妙な共依存関係の二人が、友情とも恋とも愛ともつかない奇妙な絆を深めていく。
だが、物語は大悪魔ラウル討伐後に急展開を迎える。
ラウルのグランドシジルは『他人に自身のグランドシジルを移譲できる』という能力。
リリスは主人公がその能力を手に入れる瞬間を、ずっと待っていたのだ。
ラウル戦のあと、リリスは主人公に、
「すべてのグランドシジルを一時的に移譲してくれ」
と頼む。
そのころにはもう、主人公はリリスをすっかり信頼しきっていたので、なんの疑問もなくリリスにすべての能力を渡す。
次の瞬間、リリスが主人公を裏切るのだ。
リリスはすでに、主人公のことを愛してしまっていた。
それでもなお、リリスは『力を取り戻し、自分の王国を再建する』という野望とも責務ともつかない願いのために苦渋の選択をしたのだ。
リリスに打ちのめされ、瀕死になり、絶望の淵に立たされる主人公。
その場は命からがら逃げ延びた主人公だったが、リリスの裏切りに悲嘆する。
が、大魔王として君臨し、日本をおびやかすリリスの姿を目の当たりにした主人公は、それまでの冒険で得た仲間たちと力を合わせ、リリス打倒を誓うのだ。
「リリスが力を取り戻した理由を説明するためには、ラウル戦が必要不可欠。だというのにキミは、ラウル戦を『それから半年が経過した。なんやかんやあって、主人公たちは実に十三の迷宮を踏破した』というふうにものすごく乱暴に省略してしまった」
「……っ」
キトンの顔のパーツが、ぎゅっと中央に集まる。
「いや、気持ちは分かるよ。ラウルを倒すためには、バルバトスのグランドシジルが必要になる。バルバトスを倒すためには、今度はエリゴールのグランドシジルが必要になる」
『デビライズ・ダンジョンズ』はいわゆる『ロックマン風』な物語で、主人公がダンジョンボス撃破で手に入れたスキルが、別のダンジョンボスの弱点になっているのだ。
「結果、芋づる式にほぼすべてのボスを登場せざるをえなくなってしまう。一晩では他のよい手段が思い浮かばなかったんだろう。だから、『なんやかんや』に逃げてしまった」
「…………」
図星すぎて、なんの語録も出てこないキトンだった。
「いいかい、よくお聞き。創作論に『本能寺まで描く必要はない』というものがある。意味は分かるかい?」
「……?」
キトンは曖昧にうなずく。
「駄目だよ、分かってないのにうなずいちゃ」
「⁉」
「相手の言葉を否定するのが怖いんだろう? だからついつい、うなずいてしまう。臆病な子だ。だけど、大丈夫。私はそんなことで不機嫌になったりはしない」
「!」
「織田信長を十万文字の一冊の本にしようとした場合、必ずしも信長の誕生から本能寺の変までを描ききる必要はないんだよ。この場合の十万文字というのは、標準的な文庫本・単行本が一冊あたり十万文字という意味なんだがね。大半の新人賞も、規定文字数が十万文字前後だ。さて、キミが昨晩痛感したように、十万文字というのは多いようで非常に少ない。信長の生涯を描ききるには、まるで足りない。だから、彼の人生におけるハイライトの一つに焦点を当てるんだ。例えば、桶狭間の戦いとかにね。『デビライズ・ダンジョンズ』にも、リリス戦以外にそういうハイライトバトルがいくつかあったよね」
(あった。それも、うってつけのやつが!)
キトンは目を輝かせる。
あれは三つ目のダンジョンボス、悪魔大公爵ブネの攻略ストーリー。
一つ目、二つ目を主人公とリリスのバディだけで進めていたことに物足りなさを感じたキトンが、初めてサブキャラを登場させた回だ。
見習いシスター少女。
最初は悪魔の味方をする主人公と反目していたのだが、魔物に襲われているところを主人公に助けられてからは、主人公に急接近。
主人公もまんざらでもなく、デレてしまう。
けれどそれこそが、悪魔大公爵ブネのワナだった。
シスターはブネの部下だったのだ。
主人公はまんまとワナにかかり、大ピンチに陥る。
いわゆる『どんでん返し』(というほどのものでもないが)にキトンが初めて挑戦した、思い入れのあるストーリーでもある。
「このシスターを、掘り下げる。Bストーリーにするんだ」
「Bストーリー?」
「あぁ、創作のテクニックでね。細かい話は追い追い、ね。ここで私が言いたいのは、『主人公とシスターをとびきり仲良くさせて、リリスに嫉妬させよう』ということさ」
(それはいい!)
キトンは目を輝かせた。
瞬く間に、無数のシーンが脳みそに浮かび上がってきた。
それまではサディスティックな美少女リリスが主人公をいたぶる展開ばかりだったのが、リリスに嫉妬させることで相対的にリリスを『下げ』、彼女の新たな側面をたくさん魅せることができるようになる!
「ラブコメの常套手段なんだけどね」
キトンは鳥肌が立ってきた。
書きたい。
早く書きたい!
「いいよ。私のことは気にせず、存分に書くといい」
キトンはカバンの中から折りたたみキーボードを取り出し、スマホに接続した。
――バチバチバチッターン!
キトンは覚醒した。
数秒たりとも途切れない勢いで、ひたすら打鍵し続ける。
書くべき物語、書きたい物語は無限に湧き出てきた。
気がつけば一時間が経過していた。
まだまだ書ける。
二時間が経過した。
まだまだ書ける。
三時間が経過した。
まだまだ、まだまだ!
「……トン、キートーンッ! こらっ、水分補給をしなさい」
「――はっ⁉」
「それに、トイレのほうもそろそろ限界なんじゃないかい?」
キトンは呆けた顔で右を見て、左を見た。
ブンと目が合う。
ブンが苦笑している。
「とんでもない集中力だね」
とたん、キトンは猛烈な尿意に襲われた。
「あわわっ」
「あはは。リアルで『あわわ』って言ってる人、初めて見たよ。残念ながらここにトイレはない。あっちの茂みの奥で済ませておいで。はい、ティッシュ」
用を足したキトンは、真っ赤になりながら戻ってきた。
「はい、お茶。昼食は持ってきているね?」
――こくこくこくっ
本当は食べる間も惜しんで書きたかったのだが、
「駄目だよ。私は先輩だからね。キミの体調を管理する責任がある。それに、私の敷地内でキミに倒れられては困るしね」
キトンは道中で買ってきたサンドイッチを大急ぎで飲み込み、執筆を再開した。
そしてまた、一時間、二時間と時間が溶けていった。
さすがに、午前中ほどの爆発的な執筆はできなかった。
が、キトンが筆に詰まるとブンが、
「そこはこうしたほうがいいんじゃないかい?」
とアドバイスをくれたり、
「いい感じだ。リリスのこのセリフ、最高に可愛いよ」
と褒めてくれたりした。
ほんの一言二言のことなのに、キトンは無限に舞い上がり、無尽蔵の執筆パワーを得ることができた。
そして――、
「おーい、キトンってば」
「――はっ⁉」
気がつけば、空が赤く染まりはじめていた。
「さすがに、今日はここまでだよ。山は日が落ちるのが早いからね。もうお帰り」
キトンはわなわなと震える手で、ブンの手を握りしめた。
シャイで臆病な自分らしからぬ行動だったが、昂ぶる思いが抑えきれなかったのだ。
「『夏目ブン、翼を授ける』」
「レッドブルのCMだね。私はキミの翼になれたのかな?」
――こくこくこくっ
「それにしても、半日で五万文字とは本当に恐れ入ったよ。この私でも、絶好調のときで一万文字行くか行かないかだっていうのに」
ブンが羨ましそうな、あるいは悔しそうな様子で微笑んだ。
「明日もまたおいで」




