80『編集会議』(万策尽きて)
(これが、ラストバトルか)
会議室の末席に腰を下ろしながら、ハンナは緊張していた。
アイスホッケーマスクを外し、膝の上に置く。
(自分の運命を決める会議に出席することすらできないってのが、作家先生のつらいところ。そして、作家先生の運命を決めなきゃならないってのが、編集のつらいところ)
ハンナは基本、何事に対しても物怖じしない性格をしている。
が、作家の人生を左右するこの時間だけは、どうしても怖い。
(……私は一度、ブン先生を殺した)
打ち切りというのは、作家にとっては死刑宣告にも等しいのだ。
事実、ブンは三年もの間、ハンナに企画書の一つも提出できずにいて、挙句の果てに大きな木のある土地を買って自殺未遂を起こした。
彼女をあそこまで追い詰めたのは、まぎれもなく自分だ。
そんなブンを、今度こそ救ってあげたい。
そのための材料は、彼女たちが必死になってかき集めてくれた。
『STC』と『デビダン』の校正前完成原稿、多数のラフ絵と『STC』のカラーカバーイラスト。
編集長が入ってきて、会議が始まった。
まずは、ライトノベル大賞受賞作の進捗について。
トップバッターはハンナが担当する猫又しっぽ『デビライズ・ダンジョンズ』だ。
「校正前原稿はすでに完成しており、校正さんに回してるっス。イラストも重ラヰト先生に発注済み。猫又しっぽ先生は猫又ブン先生の『悪魔祓師物語』の大ファンであり、ブン先生とラヰト先生とは同じ高校に通う先輩後輩の仲ですので、ラヰト先生にご担当いただけることをとても喜んでおられたっス」
「よくやった」と編集長。「イラストレーターの選定は、作家先生と最ももめがちなところだからな。幼い作家先生だと特に。猫又先生はおいくつだったかな」
「高一っス」
「娘より若いとか、何気にショックだな……」
今年五十歳の編集長の発言に、妻子持ち数名が乾いた声で笑った。
「見本は余裕をもって刷れる予定っス。授賞式で配れるよう、多めに刷りたいんスが、よろしいっスか?」
「ページ数は?」と編集長。
「表紙、イラスト、奥付含めてニゴロ(二百五十六)っス」
「ピッタリ?」
「っス」
「ほぅ、ずいぶん薄いな。それに倍数ピッタリとは。猫又先生は今回が初出版のはずだな?」
「っス。ですが、猫又ブン先生に師事しておられて、事情にはお詳しいっス。何がなんでも九万文字に収めて、イラスト多めでも税込千円以内に収めると意気込んでくださってるっス」
「ずいぶんと頼もしい新人先生だ。猫又ブン先生は……三年前のデビュー作以来見ていないな。確か、上原経由で私からご忠告申し上げたにもかかわらず、えらく分厚い本になって千円を超えてしまったんだったか」
「っス……ご自身を反面教師に、しっぽ先生を指導してくださってる立派な方っス」
「三年もすれば、子供も大人になるということか。……余談が過ぎたな。見本はいつもの二倍刷ってくれ」
「っス!」
続いて、金賞作、銀賞作を担当する各編集の報告が続く。
そして、
「受賞作については、以上。続いて、受賞作以外の十一月発刊希望を聞く。希望者はそれぞれプレゼンを」
「はいな!」
ハンナは挙手しながら立ち上がる。
「上原、お前は相変わらず元気がいいな」
編集長が苦笑した。
並みいる男たち――先輩編集たちから、パラパラと好意的な笑い声が漏れる。
ハンナはおおむね、この編集部で可愛がられている。
「だが、お前は最後だ。いい加減、先輩を立てるってことを覚えろ」
「はいな……」
「じゃあ、佐々木」
「はい」
編集部のエース・佐々木が前に出てきて、大モニタに七巻のカバーを表示した。
「『大きくなったら結婚する、と誓った憧れのお姉さんが継母になりそうなんだが、どうすればいい?』八巻です。アニメ上映を目前にしたこのタイミングで、ぜひ」
「イラストレーターは押さえられたのか?」と編集長。「ロコモコ先生は確か、一年待ちとかだろ」
「それが幸い、スポット的にご対応いただけることになりまして。ロコモコ先生も、アニメを楽しみにしてくださっているご様子です」
「よくやった。異議ある者は?」
(貴重なラブコメ・青春枠がぁああっ!)
ハンナは叫びだしたい。
が、『STC』を通したいがためにここで異議を申し立てるというのは、悪手も悪手だ。
アニメ化作品を押しのけてまで出版するほどの価値は、残念ながら『STC』にはない。
なるほど、作家にとって作品は命だ。
だが、出版社にとって作品はビジネスの道具なのだ。
今のハンナはブンのお姉さんではなく、KAWAKADOの利益を追求すべきビジネスウーマン。
ここで身勝手に和を乱してしまったら、ハンナは信頼を失い、誰からも話を聞いてもらえなくなってしまうだろう。
ハンナの編集生命の終わりであり、猫又ブンの作家生命の終わりである。
だからハンナは、ぐっと言葉を飲み込んで笑顔を作り、他の男たちと一緒に拍手した。
「次、加藤」
会議が進んでいく。
実力派編集たちが次々とラブコメ・青春モノを発表していき、刊行が決まっていく。
ハンナは真綿で首を絞められるような心地になり、上手く呼吸ができない。
「ラスト、上原」
すでに、ラブコメ・青春枠はすべて埋まってしまっていた。
「はいな!」
それでも、絶望的な気持ちをぐっと押し殺して、ハンナは笑顔で立ち上がった。
劇役者のような大きな仕草でモニタへ視線誘導し、
「鬼才・猫又ブン、三年ぶりの新作っス!」
『SAVE THE CAT!』の華々しいカバーイラストを、モニタに映した。
会議室がざわめいた。
絵の華やかさを褒める声が半分。
だがもう半分は――
「まさかお前、イラストレーターに発注したのか?」
編集長の怒声。
「編集会議での承認も経ずに?」
「なんとしても十一月に発刊させたかったものですから」
「馬鹿野郎っ、落ちたらどうするつもりだ」
「重ラヰト先生へは私が自腹でアマギフを渡すっスよ。私と先生はマブっスから、個人的にイラストを依頼してその対価を渡すのは個人の自由でしょう」
「上原っ、そんな虚言が通用すると――」
「虚言でもなんでも弄しますよ!」
ハンナは声量を間違えた。
会議室に、自分の甲高い声が響き渡る。
「あの猫又ブン先生が、三年ぶりに書いてくれたんです!」
しかも、みっともなく声が震えている。
駄目だ、泣くな。
死んでも泣くな!
「ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、ブン先生としっぽ先生は、この春から夏にかけていろいろあったんです。彼女たちは死ぬほどつらい思いをして、それを乗り越えて。それで、しっぽ先生がブン先生に『同時発刊したい』と懇願したんです。そしたらブン先生、人が変わったみたいな早さでこの青春ラノベ『SAVE THE CAT』を書き上げて!」
刺され。
「これは、半分以上実話の物語。師弟の物語。冴えない少女・キトンを先輩作家少女・ブンが救う物語。キトンの成長を見守ることで、ブンが癒やされる物語。そのキトンに手ひどく噛みつかれ、ブンが絶望する物語。そうして最後に、二人が和解し、手を取り合って出版を目指す物語なんです。授賞式で二人が並んで微笑む光景を、写真に収めたいとは思いませんか? このカバーと同じ構図で撮った写真を見本と並べてSNSに流したら、バズると思いませんか? 受賞作の売上に貢献できると思いませんか?」
刺され。
刺され!
ハンナの懇願に反し、編集長がため息をついた。
「お前と先生方の熱意は分かった。だが、熱意だけで本が出せたら、出版業界は苦しんでいない。それは分かるな?」
「……っス」
「原稿には目を通した。よくできている、とは思うよ。キャラも可愛いし、台詞回しは軽妙で、猫又ブン先生のいいところが全部詰まっている。だが、問題が山積みだ。まず、いろいろとセンシティブすぎる。冒頭でいきなり首吊りってのがよくない」
(ブン先生が実際に吊ったことを告げるべきか? いや、編集長は、熱意『は』分かったと言った。ならば、感情論で押しきろうとするのは悪手だ。そもそも、ここにいる人たちは経緯をすでに知っている)
ハンナが真夜中に社用車をぶっ壊したことは、編集部はもちろん社全体に広まっている。
西日本支社の同期に無理を言って、二台目の社用車を早朝の六甲山に走らせたことも。
顛末書を書くにあたり、自殺未遂のことは――ボカしはしたが――隠しきるのは無理だった。
「冒頭の首吊りについては、『思い悩むキトンが縄を携えて山に入ったら、涼しげな美少女ブンに遭遇した』という具合に変更可能です」
ハンナがこの三年のうちに身に着けた交渉テクニックの一つだ。
相手から譲歩を引き出したいとき、こちらが譲歩可能なポイントをあらかじめ用意しておくのだ。
こうやって相手にわざと指摘させ、こちらがそれを飲むことで、相手を気持ちよくさせ、快く譲歩させる……と目論んでいたのだが、編集長にはまだまだ言いたいことがあるらしい。
「打ち切り作家の愚痴を延々と垂れ流すところもよくない。そもそも、大賞と金賞・銀賞・奨励賞でそこまで予算額に差なんてないぞ。専用売り場を設けるとか特典SSを付けるとかは、出版社ではなく書店側の話だ。それに、まるで社が『悪魔祓師物語』のPVを作らなかったみたいな口ぶりだが、実際は作っている。作ったよな、上原。他ならぬお前の、初めての大仕事だった」
「作りました。そこはフィクションなので、誇張している感はいなめません。その点も、修正は可能です」
「親御さんの件はどうなる? 確かお前、猫又ブン先生の受賞の際にも先生の露出のさせ方で親御さんともめていなかったか」
「そのお母君からお許しを頂いたからこそ、このような提案をしております。また、しっぽ先生のご両親からも許可は得ております。劇場型ならぬ小説型マーケティングとでも申しましょうか。現実と、『デビダン』と『STC』を相互に作用し合わせることによって、読者層の好奇心をくすぐるのです」
「お前、三十回ライトノベル大賞と授賞式を私物化するつもりか?」
「大賞受賞作が売れる可能性を最大化しようとしているだけです。結果、受賞作全体が盛り上がり、金賞・銀賞も伸びるならWinWinじゃないですか」
編集長が金賞作担当の佐々木を見た。
「構いませんよ」と佐々木。「うちの先生は、ご本人いわく『限界社畜』とのことで、平日に開催される授賞式は欠席の予定ですので。理由があることとはいえ体面がよくないので、大賞さんのほうに視線誘導してもらえるのは願ったり叶ったりです。あ、作品のほうはPVその他でしっかり宣伝打っていくのでご心配なく」
「加藤」
「はい」と銀賞作担当の加藤。「一応確認はしますが、人前に出るのが大層苦手な方ですので、問題ないでしょう」
「えらくスムーズに話が進むな。上原、まさかお前、事前に根回しを?」
「はいな!」
「ふー……なるほど、俺が指摘しそうなところは、ちゃんと対策してきた、と。で、引き下がるべきところは引き下がることで、俺の許可を得やすくした、と」
(バレてる)
ハンナは額の汗を拭う。
「俺がお前に教えた交渉テクニックだからな。俺から教わったことを駆使して、準備してきたってわけか」
「っス! ですから――」
「いや、駄目だ」
編集長の言葉が、重く冷たく響き渡った。
「十一月だけで、ラブコメ・青春が六冊だ。四冊が適正数なのに、六冊。七冊目はさすがに無理だ。逆にファンタジー枠が『デビダン』一作だから、猫又ブン先生の作品がファンタジーだったら検討の余地はあった。もしくは、十二月に出すとかな」
「十二月じゃ意味がないんですっ。同時発刊でなければ!」
「じゃあお前、この場で他の編集に発刊申請を取り下げるよう交渉してみろ」
「うっ……」
ハンナは祈るような気持ちで会議室を見渡す。
が、男たちはみな、視線を外すばかり。
「お前のことだ、事前に何人かには打診したんだろう? で、断られた」
「うぅ……」
「なんでか、分かるか? みな、真剣だからだ。確かに今回、お前は周到に準備してきた。お前の成長は、編集部を預かる身としてはうれしい限りだ。だが、なぁ、考えてみろ上原。ここにいるヤツらが、お前ほど努力していないと思うのか? 猫又ブン先生以外の先生方の作品が、猫又ブン先生の作品に劣ると、お前、本気でそう思っているのか? 本心から、そう言えるのか?」
「……。…………。……………………言えません」
ハンナは打ちひしがれた。
「長くなったから、十五分休憩を挟む。上原は頭冷やしてこい」




