68『なんだよ、結構当たんじゃねぇか』(チームを作る)
「できた!」
一時間後、『SAVE_THE_CAT_R0.xlsx』というファイルの90個のビーツの中に、びっしりと文字が書き込まれていた。
LEN関数でカウントしたところ、実に――
「あはっ、一万文字超えだって」
「『なんだよ、結構当たんじゃねぇか』」
「『鉄血のオルフェンズ』のオルガ」
ブンは年甲斐もなく、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
「そうだね、そうだねっ。夢のようだ。筆が軽い。一時間で一作書き上げたのなんて、生まれて初めての経験だ!」
「『私はキミの翼になれたのかな?』」
キトンがイケメン顔で微笑んでいる。
五月のあの日、ブンがキトンに言ったセリフの再現だ。
「うん! キミは僕の翼だ、キトン!」
たまらず、ブンはキトンを抱きしめた。
「⁉」
さすがにキトンが体をこわばらせたが、ブンは構わず抱きしめ続けた。
「あーーーーっ」
ヒカルの声が聴こえてきた。
「ちょっとキトン、ブンちゃんから離れなさいっ。過度なスキンシップは禁止!」
ブンはキトンを離し、
「やぁヒカル、心配をかけたみたい――」
凍りついた。
ヒカルの後ろに、担当編集・上原が立っていたからだ。
(そういえば、僕が書いている間に、キトンがどこかに電話してたっけ)
不慣れな様子ながら、『先輩は無事です』とか、『先輩のお母さんに連絡してあげてください』とか。
「せーんせっ、ご無事なようで安心したっス」
いつもの、馴れ馴れしい笑み。
人のパーソナルスペースを土足で踏み荒らしてくるタイプの、若干サイコパス味が入った立ち居振る舞いだ。
自分の人生――『悪魔祓師物語』を粗末に扱われた経緯もあり、ブンはこの人の一挙手一投足が癪に障る。
もちろん、だからといってあからさまに睨みつけたりはしないが。
「何しに――」
「大丈夫」
ヒカルが、ブンの言葉を遮った。
耳元で囁く。
「この人は敵じゃない」
「え?」
ヒカルの強い眼差しが、口からでまかせではないことを告げていた。
ブンは困惑する。
ヒカルもまた、上原の雑で独りよがりな仕事の被害者なのだ。
しかも、せっかくの持ち味である『塗り』を活かせない暗い絵を無理やり書かされて、『悪魔祓師物語』が大コケして名を落とすことになってしまった。
ブンはヒカルの、自分に対する感情の重さを知っている。
彼女は『悪魔祓師物語』をコケにされたと思っていて、上原に憎悪にすら近しい感情を抱いているのだ。
(そのはずだったのに……?)
そのヒカルがこんな調子なので、ブンはすっかり毒気を抜かれてしまった。
それに、TP2を経た今の自分は、いわば『覚醒状態』だ。
今の自分ならば、上原と和解するくらいわけないはずでは?
「あの……上原さん」
声は震えなかった、と思う。
「そんな他人行儀な。いつもみたいに『ハンナお姉ちゃん』って言ってくださいっス」
「いや、その設定はもういいので……」
ブンはノートパソコンを差し出す。
「これ、読んでいただけませんか」
「おおっ、ついに新作っスか⁉ 何文字っスか」
「九万文字の予定です。これはそのプロットで、一万文字です」
「あははっ。それプロットとは言わない量っス」
上原がモニタを見て、
――カシャッ
とばかりに瞬きした。
それから目をつむり、『ううむ』と反芻しはじめる。
そう、彼女はこの一瞬で一万文字の内容を記憶した。
『フォトリーディング』の使い手なのだ。
彼女はこの記憶術を、彼女が敬愛するハンニバル・レクター博士になぞらえて『記憶の宮殿』と呼んでいる。
「クリエイターJKモノ。『ラブコメ・青春』枠っスね。コレ、発刊希望時期とかあるっスか?」
「『デビダン』と同じ月です」
「……え?」
「差し出がましいかもしれませんが、大賞受賞作『デビライズ・ダンジョンズ』の作者・猫又しっぽの師匠として、彼女のデビューと同じ月に出したいんです」
「これ、実話っスか?」
「おおむね」
「……先生、マジで吊った?」
「このタイトル、トリプルミーニングなんです。いや、僕は四年前と今日の二度に渡って救われたわけですから、クアドルプルミーニングですか」
「マジかー……クッソセンシティブ。でも話題性はあるし、物語としてちゃんと成立していて、ちゃんと面白い。公式からは匂わせに留めておいて、5ちゃんとかSNSで騒がせて、YouTubeに非公式で考察動画の一本でも出せば、いい感じにバズらせられるかも」
上原はしばしぶつぶつとつぶやいていたが、やがてブンに向き合った。
いつもの半笑いがごっそりと抜け落ちた、真面目な表情だ。
「条件があります。ブン先生の正体が美少女JKだってこと、暴露させてほしいんです。で、思いっっっきり可愛く着飾った姿で、授賞式でしっぽ先生とのツーショットを撮らせてほしいんです。写真は社の公式ホームページやSNSでバンバンさらすので、そのつもりで。週刊誌に売っぱらうのもいいかもしれませんね」
「――!」
それはある意味、ブンにとっても好都合な提案だった。
だが、
「でもそれ、絶対に母が反対する……あっ」
「そっスね~」
ハンナがいつもの『にへら』っとした笑みに戻った。
「だから、お母君にこの話を認めさせることこそが、私からの条件ということになるっス」
ヒカルの言葉、ハンナの言葉。
ブンはなんとなく、察しがついた。
この予想が当たっているのだとしたら、ハンナは黙って泥を被ってくれていたということになる。
母と自分のために、三年間も!
ハンナ――いつの間にかブンは、担当編集のことを脳内で『ハンナさん』と呼称している自分に気づいた。
まだ希望に満ちあふれていたころの、彼女に隔意を抱く前の呼称だ。
「っ……ハンナさん」
ブンは、泣いた。
「僕、ハンナさんにずいぶんひどいことを」
「いーんスよ、そんなの」
ハンナが頭を撫でてくれた。
「実際、『悪魔祓師物語』の続巻を出せずにいるのは、私の力不足が原因なんスから。不信感抱かれるのも当然っス」
「でもっ、ハンナさんに相談せず、公募に出しまくったりして」
「複数のチャンネルを持つってのは作家の生存性を高めるうえですげー大事なことっスから、構わないっスよ。まぁ、出す前に私に見せてくれればなーとは思ってたっスけど。それで、どうっスか? もう一度だけ、私に命、預けてもらえないっスか?」
ブンは深々と、頭を下げた。
「よろしくお願いします」




