60『ハンナへの疑念』(迫りくる敵)
「だってあの子は、幼稚園児のころにはすでに、『悪魔祓師物語』を完成させていたんだもの。一巻十五万文字分の物語だけじゃない。計十数巻分にも及ぶ壮大で膨大な物語がすでに、幼稚園児・夏目文子の脳みその中には完成していたの。化け物、怪物、天才よ」
ヒカルの口調は、まるで神様を賛美するかのようだった。
キトンは改めて、ヒカルの、ブンに対する感情の重さに戦慄する。
「アタシは、あの子の壮大で無限大な世界観に取り憑かれた。憑かれて憑かれて虜にされて、あの子の世界を絵にするのはアタシ以外ありえないって思った。その役目は、誰にも奪わせない。アタシは必死に絵の練習をした。七年間、毎日休まず絵を描き続けて、SNS上でフォロワー五万人を擁するいっぱしのイラストレーターになり、ブンちゃんがハンナさんと顔合わせしたときに、同席して自分を売りこむことに成功したの。けれど、あの女は……上原ハンナは、アタシに真っ暗な絵を描かせたの」
ヒカルが忌々しげに、『悪魔祓師物語』のカバーを撫でる。
「見てよ、この絵。ライトさのかけらもない、暗い絵よ」
悪魔の少女リリスが陽闇の中にたたずみ、妖しく微笑んでいる絵だ。
幻想的で綺麗な絵だと思うが、確かにライトノベルのトレンドに合っているとは言いがたい。
「ブンちゃんは、もっと明るくて華々しいカバーを希望していたの。だけど、上原は『ダークさ』を前面に出すよう指示してきた。アタシもブンちゃんも必死に抵抗した。けど、こういうのって全部全部ぜーんぶ担当編集の一存で決まるの。ブンちゃんの悲しそうな顔を目の当たりにしながら、この暗い絵を描かざるをえなかったアタシの気持ちが分かる?」
底知れない怒りがこもったヒカルの瞳に、キトンはぶるりと震える。
「結果、『悪魔祓師物語』は見事に大コケ。カラフルなカバーだったら結果は違っていたはずだと、アタシたちは今でも思っているのよ」
(ハンナさんは、どうしてそんなことを? ブン先輩への嫌がらせで? いや、まさかそんな)
上原ハンナ。
ハンニバルのマスクをしているヤバい女だが、悪い人には見えなかった。
だが、少なくともヒカルは、ハンナのことを敵だと見なしているようだった。
(分からない……何が正解なのか)




