2『飛べない豚は、ただの豚だ』(テーマ)
「落ち着いたかい?」
コーヒーをすすってから、キトンはうなずいた。
手の震えはだいぶ収まっていた。
「私は夏目文子。漱石の夏目に、文庫本の文。親しみを込めて、『ブン』と呼んでくれたまえ。■■高校の三年だ」
天使――もとい少女『ブン』の視線が、キトンの制服と赤色のタイに注がれている。
「そしてキミは、同高の一年だね。名前を教えてもらえるかな」
「……やま、っ、げほっ、げほげほっ」
「ゆっくりでいいよ」
「……や、山田キトン」
「キトン。子猫ちゃんかい。可愛い名だ」
――トゥンク
キトンの胸が高鳴る。
「どういう字書くのかな? ひらがな?」
「……『飛べない豚は、ただの豚だ』」
「また語録かい。宮崎映画『紅の豚』。ってことは、トンは豚と書くってことかい。なら、キは綺麗の綺かな?」
――こくこくこくっ
キトンは必死にうなずく。
ブンがこちらの意図を汲み取ってくれ、コミュニケーションをリードしてくれるのが泣きたくなるほど心地よい。
「綺豚、か」
ブンがなんとも言えない表情になった。
「まぁ……少しばかり、変わった親御さんのようだね」
――こくり
キトンは別に、親から虐待を受けているというわけではない。
母も父も嫌いではないし、むしろ好きなほうだ。
ただ、両親は――特に母は――なんと表現すべきか、つまり勉強ができない部類の人なのだ。
考えるという行為そのものが苦手で、想像力が欠如している。
だから、『綺麗な豚』などという名前を授けられた子供が小・中・高でどのような扱いを受けることになるのか、ということが想像できない。
いや、けっして悪い人たちではないのだが……。
「それで」ブンが言った。「どうして死のうと思ったんだい? 同高のよしみで、話を聞いてあげるよ。次、また死のうとされても困るしね」
キトンは口を開こうとした。
が、やはり、自分自身の言葉を発するのは、怖い。
もう何年も、キトンは自分の言葉を口にしていないのだ。
語録を駆使してなんとか伝え終わると、
「えーとつまり、自作小説があまりにも読んでもらえなさすぎて、まったくPVが付かなくて、絶望したと?」
(あぁ……)
ブンの戸惑うような声を聴いて、キトンの気持ちは沈んだ。
(この人もどうせ、お母さんと同じで『そんな下らないことで悩んだりして』って言うに違いないんだ)
「何文字?」
だが、ブンの反応は予想と違った。
「え?」
「何文字書いたんだい?」
「『こちら十四万三千文字となっております』」
「『十四万⁉』って、また語録かい。察するにキミはものすごく怖がりな子で、自分自身の言葉を発するのが怖いんだね? 否定されるのが怖いんだ。けれど語録なら、仮に否定されてもキミ自身が否定されたということにはならないから」
――こくこくこくっ
キトンは、生まれて初めて温かな理解者を得られたような心地になった。
有頂天だ。
「私は否定したりはしないよ。それでも怖いのなら、筆談にすればいい」
「!」
言われて気づき、キトンはスマホを取り出した。
メモ帳アプリを立ち上げ(メッセージアプリ申請をする度胸はキトンにはなかった)、入力しようとしたキトンだったが、『自作小説のページを直接見てもらったほうが早いのでは?』と思い直した。
小説投稿サイト『カクヨム』には、作品トップページに当該作品の総文字数が表示されているのだから。
「……『読んで、どうぞ』」
スマホを差し出す。
「淫夢語録は『やめようね』」
「!」
キトンは、楽しい。
よもやこんな可愛い先輩と、語録合戦ができる日が来るとは思いもよらなかった。
そう、可愛いのだ。
切り株に座りながら、キトンはブンのつむじを熱心に見つめる。
ブン先輩は見たところ、身長一五◯くらいか。
無駄に背丈が伸びてしまった自分よりも、二十五センチは低い。
背丈はやや低めなのに、ブン先輩の存在感は巨人のように大きい。
(ギャップだ。ギャップ萌えだ……!)
ブンは身悶える。
そんな小さくて大きなギャップ萌え先輩が、キトンの小説ページをスワイプしていく。
「猫又しっぽ。可愛いペンネームだね。察するに『キトン』という名前自体は気に入っているんだね? 両親との関係も良好と見える。作品名は『デビライズ・ダンジョンズ』。悪魔化した迷宮? 韻を踏んだよいタイトルだ。『長文タイトルこそ売れ線』を地で行く現代ラノベ業界的には外れている感はあるが、私は好きだよ。現代ダンジョンモノかな?」
――こくこくこくっ
「で、問題の文字数は……百万文字だって⁉」
「!」
ブンが驚いてくれたのが嬉しくて、キトンは『外伝』と『After』と『After2』と『設定資料集』も見せる。
それぞれざっと百万文字ずつあり、合計で五百万文字だ。
「は、ははは……」
ブンが遠くを見つめながら、から笑いした。
「謝るよ。正直言うと、たかだか数千文字か、いっても数万文字程度だろうと高をくくっていたんだ。それが、五百万文字とはね。並大抵の苦労ではなかっただろう?」
「!」
キトンは震えるほど嬉しくなった。
と同時に、キトンは確信した。
(この人は執筆の大変さを知っている。まず間違いなく、相当の大作を完成させた人だ!)
『たかが数千文字』とブンは言った。
いわゆる小・中・高生が目にする『原稿用紙』は、四百字詰めだ。
夏休みの宿題――読書感想文を書くとき、原稿用紙を一枚埋めるのにも四苦八苦するのが、標準的な小・中・高生の執筆能力である。
それを十枚重ねて、ようやく『たかが数千文字』になる。
が、キトンが描いた物語『デビライズ・ダンジョンズ』は、しめて五百万文字。
ブンが言う『たかが』の、千倍。
ブンは、その重みを知ってくれているのだ。
「キミ、これをいつから? 第一話投稿が二年半前。二年半で五百万文字⁉ は、ははは……バケモノじみた筆の速さだね」
「!」
キトンは有頂天になった。
そんなキトンが熱心に見つめるブンの、その表情が寂しげなものに変わった。
「分かるよ」
「え?」
「これほどの熱量を込めた怪作がまったく読まれないというのは、つらいよね。まるで自分自身を全否定されたような気持ちになる」
気がつけば、キトンは泣いていた。
自分の悩みをこれほどまでに理解してもらえたのは、生まれて初めてのことだったからだ。
しかも、ブンのそれはうわべだけのものではない。
「『ブルータス、お前もか』」
「カエサル。語録というより格言か。そうだよ」
ブンが曖昧に微笑んだ。
「私も一応、ラノベ書きの端くれさ。さぁ、キミの望みは何かな?」
適切な語録は見つからなかった。
キトンはメモ帳アプリを立ち上げる。
『たくさんの人に読んでもらいたいです』
「それだけかい? 本当に?」
『いっぱい★を付けてもらって、出版社の目に留めてもらって、書籍化したいです!』
「そう、書籍化」
ブンが悪い顔で笑う。
「書籍化こそは、物書きたちの果てなき夢だ」
『超有名作家になって、コミカライズしたい。アニメ化もしたい!』
「あっは、強欲!」
ミステリアスな雰囲気だったブンが一転、年相応の少女のように、口を大きく開いて笑った。
「けれど、いい。それで正しい。クリエイターはそうでなくっちゃ。いいだろう。私がキミのそのドロドロとした、醜く、だからこそ美しい夢を叶えてあげよう」
「⁉」
「筋はいい。二年半で五百万文字というのは、間違いなく才能だ。けれど、戦い方が間違っている。いいかい、よくお聞き。編集による拾い上げには、『運』と『実力』の両方が必要になる。とりわけ運は、どうしようもない。けれど公募は、実力さえあればいい」
恐ろしいほどの暴論だった。
まるで、簡単に受賞できるかのような、とんでもない暴論。
「キミの作品『デビライズ・ダンジョンズ』は、間違いなく公募向きだ」
キトンは、コップが空になっていることに気づいた。
いつしか、震えは完全に収まっていた。
「ご、ごち、ごちそ……『ご注文はうさぎですか』⁉」
がんばって自分の言葉でお礼を伝えようとしたが、最後に日和ってしまった。
「ごちそうさま、と言いたかったのかな? 礼儀正しい、いい子だ」
コップを受け取りながら、ブンがよしよししてくれた。
「うへ、うへへへ……」
キトンはもう、骨抜きだ。
ブンがリュックを開き、魔法瓶を仕舞おうとする。
キトンは我知らず、リュックの中を見てしまった。
入っていたのは数メートルばかりの、
「……縄?」
「あぁ。まさしくキミのような不法侵入者から守るために、ロープで囲もうと思ってね」
「…………」
言葉もない。
「さて、キミには見どころがある。その気があるのなら、小説のイロハを叩き込んであげてもいい。どうする?」
――こくこくこくっ
「じゃあ、まずは課題その一」
ブンが『カクヨム』の、『デビライズ・ダンジョンズ』本編を開いた。
「百万文字の本作を、十五万文字にまで削減してきたまえ。明日までにね」
「⁉」
「それが、今月末締切の最大手公募『ライトノベル大賞』の上限文字数だからね」
(八十五万文字の削減⁉ しかも一晩で⁉ そんなの不可能だ!)




