1『この手に限る』(オープニング)
五月某日、六甲山中。
青空の下で、山田キトンは首吊り■■しようとしていた。
ホームセンターで買い、YouTube動画のとおりに結んだ縄が、キトンの首をひりつかせる。
折りたたみ椅子の上に立つ脚は、震えている。
それでもキトンは、■■をやめるつもりはなかった。
何もかもに絶望したからだ。
二年以上もの年月をかけて、たっぷりじっくり絶望し尽くしたからだ。
母と父に相談しても、『その程度のことで悩むなんて』と笑うばかり。
両親以外に相談できる相手なんて、いない。
ひどい上がり症で内弁慶なキトンには、友達ができたことなど一度もなかった。
空はあんなにも青いのに、キトンの世界は真っ暗闇だ。
最後の希望だと思っていた『あれ』すらも、誰の心にも届かなかったのだから。
「うぅ……うぅぅうっ!」
意を決して椅子を蹴り飛ばそうとした、まさにその時。
「やぁ」
透きとおるような声が、キトンの闇を切り裂いた。
ぱぁっと視界が晴れたような感覚。
「……え?」
見下ろすと、そこに女の人が立っていた。
キトンは混乱する。
幻覚か何かだと思ったからだ。
もしくは、自分はすでに死んでいるのかもしれない。
綺麗な人だった。
透明な印象の、美しい少女。
背中まで届くストレートの黒髪が、白いワンピースによく映えている。
肌寒いのか、白いカーディガンを羽織っている。
その清楚可憐な服装は山中という場所にはおよそ似つかわしくなく、まるで天使か死神の装いのように思えた。
「ここ、私の土地なんだ」
天使が口を開いた。
美しい声だ。
「ちょうどその、今まさにキミが首を吊ろうとしている木を中心に、四方百メートルほどがね。お値段ざっと百万円。賞金を使いきって買った土地が事故物件になるのは、とても困るんだ」
だから、と死神が微笑んだ。
「ここで死ぬのはやめにしてもらえないかい?」
「う、うぅぅ……」
だが、キトンの意思は堅かった。
このまま首吊りを敢行するつもりであることを告げようとした。
が、キトンは自分の言葉で言うのが怖かった。
笑われるのが怖くて、喉がつっかえてしまうのだ。
だからキトンは、『語録』の力を借りることにした。
「……『この手に限る』」
「え、なぜに『コマンドー』語録?」
「!」
寒々としていたキトンの胸に、一陣の温かな風が滑り込んできた。
ごくまれに同クラの子から話しかけられたとき、キトンはやむをえず語録で返事をする。
そんなとき、クラスメイトたちは決まって『何言ってんだコイツ?』という顔をするばかりで、理解してくれる人なんて一人もいなかった。
それが、この人は即座に理解してくれて、あまつさえ切り返してくれたのだ。
キトンは、嬉しい。
この天使と話してみたいな、と思った。
キトンが天使の求めに応じようとした、そのとき。
――ずるり
膝の力が抜けて、足が滑った。
――ガタンッ
折りたたみ椅子が倒れ、キトンの両足は宙へと投げ出された。
「ぁぐぇっ……!」
キトンの首が絞まる。
息ができない。
キトンはバタバタともがく。
息ができない息ができない息ができない!
致死量の恐怖と後悔が、キトンの胸を塗りつぶす。
キトンの意識が闇に飲み込まれるその寸前、ふっと呼吸が楽になった。
「お、驚かさないでおくれよ」
天使がキトンの下に素早く潜り込み、肩車をしてくれたのだ。
「ほら、息を吸って。首から縄を外すんだ。落ち着いて、ゆっくりでいいから」
指示されたとおり、キトンは震える手指で縄をたぐる。
何度も何度も失敗してから、ようやく首から縄を外すことができた。
「できたかい? ゆっくり下ろすからね」
天使に下ろしてもらうや、キトンはその場に座り込んでしまった。
みっともないほど足が笑っている。
自分の意志の弱さをまざまざと見せつけられて、キトンは死にたくなった。
が、実際にはそんな度胸などなかったのだと、たった今思い知らされたばかりだ。
「コーヒーでも飲むかい?」
天使が大きなリュックサックを拾い上げ、中から魔法瓶を取り出した。




