第七十九話 「沈黙の重圧は、言葉の暴力を無効化する」という話
拓海君はちゃんと怒れる子です。
エドワードがタブレットのペンを走らせ、
「明日のトレーニングメニューの30%増量」を確定させた、その瞬間。
カチャリ。
拓海が、手に持っていたスコーンを皿に置いた。
それは、あまりにも小さな音だった。
しかし。
リビングの全ての音が、そこで止まった。
「……拓海?」
エドワードが顔を上げる。
「なぜ食べるのを止めた。心拍数は安定しているが、血流量に微かな停滞が――」
「…………」
返事はない。
拓海は、ゆっくりと顔を上げた。
真っ直ぐエドワードを見る。
いつもなら飛んでくるはずの「うるせぇ」が来ない。
それだけで、空気が異常になる。
「……タクミ?」
「……お前さ」
低い。
温度がない。
「……何が目的で、ここにいるんだ?」
「目的?」
エドワードは即答する。
「先ほど述べた通り、資産価値の維持と――」
「……そうか」
遮らない。
否定もしない。
ただ、終わらせる。
拓海は立ち上がった。
ゆっくりと、エドワードの横を通る。
肩が、かすかに触れる。
謝らない。
押しのけない。
ただ。
そこに“何もない”かのように、通り過ぎる。
「……拓ちゃん?」
詩織が、思わず声を落とす。
「……どうしたの?」
「姉貴」
振り返らない。
「……ごめん。この『お客さん』、もう帰るってさ」
玄関のドアが開く。
夜の空気が、静かに流れ込む。
「……帰れよ」
外を見たまま。
「……もう、お前の声、1ミリも頭に入ってこないんだ」
「……理解不能だ」
エドワードが言う。
「私はお前の将来を最適化するために――」
「……聞こえないって言ったんだ」
一歩も動かない。
「……これ以上喋るなら」
一拍。
「……俺、本当にお前のこと、デリートするぞ」
同じ言葉。
同じ温度。
ただ。
意味だけが違う。
「…………」
エドワードが、止まる。
初めて。
完全に。
止まる。
タブレットを持つ手が、わずかに震える。
だが。
本人はまだ、それに気づいていない。
ジョージの記録:
【サエキ事変・絶対零度編】
サエキ拓海、感情的衝突を回避。
代替手段として「無視」を選択。
結果:
ハミルトン様、完全停止。
解析不能。
ロジック適用不可。
(……エラー。応答が存在しません)
エドワードは、ゆっくりと一歩下がる。
追い出されるように、夜の中へ。
背後でドアが閉まる。
静かに。
ガチャン。
その音だけが、やけに大きく響いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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