ハミルトン伯爵が幸せになるまで:78
拓海は犬ってか猫?
『復帰とは、過保護の越境によって一週間以上別邸を離れていた狂犬お嬢様(拓海)が、境界線を学習した西欧の魔王を確認した末、「ならいいじゃん^^」と何のドラマもなく自分の意思で帰宅し、抱擁すら許可を求めるようになった魔王へ「帰ってきたらやっぱここ楽だな^^」という致死量の帰属認定を与える現象のことであるという話』
【ハミルトン別邸】
~予期せぬ帰還~
荷物を取りに来てから、さらに三日。
拓海はまだ戻ってこなかった。
エドワードも、もう探さなかった。
大学で姿を見かけても追わない。誰と話していても割り込まない。どこへ帰るのかも聞かない。
”ただ、待った”
帰ってくるという保証など、どこにもないまま。
◆
その日の夕方。
公務を終えたエドワードは、いつものように一人、重い足取りで別邸へ帰ってきた。
「ただいま戻りました……」
返事など期待していない。
ここ十日ほど、ずっとそうだった。
玄関でコートを脱ぎかけて、ふと動きが止まる。
「…………?」
コート掛けに、見慣れたジャケットがあった。
一度、瞬きをする。
もう一度見る。
見間違いではない。
何度も自分の手で拓海の肩へ掛けたことのある、あのジャケットだった。
「…………っ」
心臓が大きく跳ねた。
だが、期待するのが怖い。
忘れていっただけかもしれない。
また荷物を取りに来ただけかもしれない。
そして、すぐに出ていくのかもしれない。
エドワードは足音まで殺すように、そっとリビングへ向かった。
そして。
「…………」
いた。
巨大な特注ソファの真ん中。
ジャージ姿で裸足。クッションを腹の下へ敷いてうつ伏せになり、
テレビを見ながらポテトチップスをボリボリ食っている。
あまりにも、いつもの佐伯拓海だった。
「お」
気配に気づき、拓海が顔を上げる。
「エド」
にっ、と笑った。
「おかえり^^」
「…………」
エドワードの全思考機能が停止した。
◆
【帰還】
~帰ってきた本人だけが通常運転~
「…………拓海、嬢……?」
「ん?」
「……あの……」
声が震える。
「なぜ……こちらに……?」
「なぜって」
拓海はポテチを一枚口へ放り込んだ。
ぱりっ。
「帰ってきた^^」
「…………」
それだけ。
泣かない。
謝らない。
「寂しかった」も「会いたかった」もない。
感動的な再会の台詞など、何ひとつなかった。
『少し長めに外へ出て、気が済んだからいつもの場所へ戻ってきた』
そんな顔をしている。
エドワードだけが、この十日間ずっと生き地獄を這いずり回っていたことなど、
まるで知らないような顔だった。
「何?」
「……本当に」
エドワードは恐る恐る聞いた。
「お戻りに……なったのですか?」
「だからそう言ってんじゃん」
「荷物を取りにいらしただけでは……?」
「今日は違う」
「…………」
「ちゃんと帰ってきたぞ^^」
「…………っ」
目頭が一瞬で熱くなる。
「おい」
拓海が眉を寄せた。
「まだ泣くなよ」
「……努力いたします……っ」
「もう泣きそうじゃねぇかwww」
◆
【監査】
~狂犬による最終確認~
それでもエドワードは近づかなかった。
ソファから数メートル離れた場所に立ち、一歩も動こうとしない。
拓海が不思議そうに見る。
「何突っ立ってんの?」
「…………」
「座れば?」
「……よろしいのですか?」
「…………」
拓海の眉間に皺が寄った。
「お前、俺んち来た客かよ」
「い、いえ……!」
「ここお前んちだろwww」
「ですが……」
まだ怖かった。
あの日、叩き落とされた自分の手。
『触んな』
あの声が、今も耳に残っている。
拓海はしばらくそんなエドワードを眺めていたが、やがて身体を起こした。
「エド」
「はい」
「確認な」
「……はい」
「俺の大学」
「勝手に休ませません」
即答だった。
「俺の予定」
「勝手に変更いたしません」
「俺の居場所」
「拓海嬢が話したくない限り、詮索いたしません」
「追跡」
「絶対にいたしません」
「俺が嫌だっつったら?」
「やめます」
「心配でも?」
一瞬だけ、エドワードが詰まった。
それでも答える。
「……はい」
「…………」
「心配であっても、まず拓海嬢ご自身の意思を確認いたします」
拓海がじっと見る。
エドワードも視線を逸らさない。
けれど、何も要求しない。
数秒の沈黙のあと。
拓海が、にっと笑った。
「なら、いいじゃん^^」
「…………っ」
「解決しただろ」
「……はい……」
「じゃ、終わり」
「…………終わり?」
「おう」
あっさり。
「何ビビってんだよ (・∇・)」
エドワードにとっては十日間の地獄。
けれど拓海にとっては、問題が起きたから距離を置き、
相手が理解したことを確認し、問題が解決した。
なら、終了。
ただそれだけだった。
◆
【学習】
~許可制になった魔王~
「……拓海嬢」
「ん?」
「その……」
エドワードが少しだけ手を上げる。
だが途中で止めた。
「なんだよ」
「……抱きしめても」
声が小さくなる。
「よろしいでしょうか……?」
「…………」
拓海が目を瞬いた。
以前なら聞かなかった。
嬉しければ抱きつく。
心配なら抱きつく。
泣けば抱きつく。
拓海が「苦しい!」と暴れても、
「拓海嬢ぉぉぉ!」
と構わず抱きしめていた男だ。
その男が今は、自分から一線を越えず、許可を待っている。
拓海の口元が、ほんの少し緩んだ。
「いいぞ^^」
「………っ」
ようやくエドワードが一歩近づく。
そして壊れ物に触れるように、恐る恐る腕を回した。
「…………拓海嬢……」
「おう」
「…………」
「……エド?」
「…………っ」
ぎゅううううう。
「ぐえっ」
「拓海嬢ぉぉぉぉぉぉ……(´;ω;`)」
「苦しい苦しい苦しいwww!! やっぱお前加減知らねぇな!!」
「申し訳ありませんっ……ですが……っ」
「泣くな! 鼻水つけんな!!www」
「はいぃぃぃ……(´;ω;`)」
◆
【帰属】
~選んで戻ってきた場所~
しばらく好きなだけ泣かせてやったあと、拓海がエドワードの腕をぺしぺし叩いた。
「もういいだろ。離せ」
「……もう少しだけ……」
「しょうがねぇなぁ」
「ありがとうございます……」
「何の礼だよwww」
ようやく解放された拓海は、またソファへ戻っていつもの定位置にごろんと転がった。
エドワードは、その姿をただ見つめる。
”数日前まで空だった場所”
誰もいなかった場所に、拓海がいる。
「……でもまあ」
「……?」
ポテチの袋へ手を突っ込みながら、拓海が何気なく言った。
「帰ってきたら、やっぱここ楽だな^^」
「…………」
ぱりっ。
「ソファでけぇし」
「…………」
「飯うめぇし」
「…………っ」
「風呂もでけぇし」
「…………っっ」
「エドもいるし」
「…………っっっ!!」
「ん?」
「拓海嬢ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ(´;ω;`)!!!!」
「なんでそこで限界突破すんだよwww!!」
「い、今……私も……っ」
「いるだろ。見りゃ分かるじゃん (・∇・)」
「はいぃぃぃぃ……!!」
拓海にとって、エドワードがいなければ生きられないわけではない。
この男だけが、自分を幸せにできるわけでもない。
けれど。
この屋敷。
この暮らし。
この大きなソファ。
美味い食事。
広い風呂。
そして、”その中に当然のようにいるエドワードまで含めて”。
今の生活を、「拓海は気に入っている」。
それだけだった。
◆
「あー」
拓海が身体を起こした。
「腹減った!」
「!」
エドワードが瞬時に復活する。
「すぐにご用意させます!」
「肉^^」
「はい!」
「でかいやつ」
「もちろんです!!」
「あと芋」
「ご用意いたします!」
「デザートも」
「お好きなものを!」
「よし^^」
満足そうに拓海が立ち上がる。
エドワードも当然のように、その後ろについていった。
十日前までとよく似た光景。
けれど、何もかもが元通りになったわけではない。
エドワードはもう知っている。
この女を、自分のそばへ縛りつけることはできない。
追いかければ逃げる。
捕まえようとすれば振りほどく。
閉じ込めれば、爪どころか牙まで立てて飛び出していく。
そして出ていった先でも、本人は案外けろりとしている。
好きな場所を、自分の足で好きなように歩いていく。
けれど今回、拓海は何も考えず気まぐれに戻ってきたわけではなかった。
自分で見た。
自分で確かめた。
そして、自分でここへ帰ると決めた。
エドワードは迎えに行かなかった。
居場所も探さなかった。
家族へ説得を頼むこともしなかった。
帰ってくれと泣いて縋ることさえ、今回はしなかった。
扉はずっと開いたままだった。
拓海はいつでも、どこへでも行けた。
そしてそれでも今日、自分の足でその扉をくぐった。
「エドー!」
奥から声が飛んでくる。
「肉まだー?」
「ただいま参ります!!」
エドワードが慌てて声の方へ駆けていく。
自由であることを、エドワードが許したから戻ってきたのではない。
『自由は最初から、佐伯拓海のものだった』
エドワードがようやく、それを理解しただけだ。
そのうえで今日も、佐伯拓海はハミルトン別邸にいる。
いつまた外へ飛び出すかは、誰にも分からない。
それでも今夜は、ここにいる。
エドワードにとっては、それだけで世界中の何よりも幸福なことなのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




