ハミルトン伯爵が幸せになるまで:72
お兄ちゃん
『誤認とは、仕事で英国を訪れた兄・拓人(28)が内緒で大学へ現れた結果、遠目にその姿を見つけた狂犬お嬢様(拓海・20)が歓声を上げながら全力疾走で抱きつき、正体を知らない西欧の過保護魔王が「拓海嬢が自分から男に抱きついた」という人生最大級の異常ログを目撃して一度完全停止し、「兄貴^^」の一言で復旧した直後、今度は兄とその男性同僚一同へ全方位嫉妬を開始する現象のことであるという話』
【大学キャンパス・並木道】
~致命的エラーの発生~
三年生の秋。
卒業後の日本帰国問題を巡り。
泣き落とし。
条件交渉。
破格の待遇提示。
あらゆる手段を駆使した末ようやく拓海から、
「一年くらい英国に残ってもいい^^」
という言質を取り付けた。
その数日後。
講義を終えた拓海は、
エドワード、ジョージと共に秋の並木道を歩いていた。
その時だった。
「…………」
拓海が突然立ち止まった。
「拓海嬢?」
じっと前方を見る。
五十メートルほど先。
噴水広場。
スーツ姿の日本人男性が数人、
何やら話しながら立っている。
その中の一人を見つめ……
拓海の目がぱあっと輝いた。
「おおおおおおおおおーーーっっ!!^^」
「!?」
次の瞬間…
拓海は一目散に走った。
「拓海嬢!?」
全力での猛ダッシュ。
「おおおおおおお!!」
「ちょ、拓海嬢!?」
エドワードの制止など、
当然聞いていない。
そして。
「兄貴ぃぃぃぃぃぃぃ!!^^」
ドガァッ!!
先頭にいた男の胸元へ、
ノーブレーキで飛び込んだ。
「うおっ!!」
男は驚きながらも、
しっかり拓海を受け止めた。
「拓海!?」
「兄貴ぃぃ!! なんでいんだよ!!^^」
「ははは! 驚いたか!」
嬉しそうに笑う。
そのまま拓海の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「久しぶりだな!」
「聞いてねぇぞ!!」
「言ってねぇからな!」
「なんだそれwww」
二人で大笑い。
だが、少し離れた場所。
「…………」
エドワードには。
最初の、
『兄貴』
だけが聞こえていなかった。
◆
【異常ログ】
~拓海嬢が男に抱きついた~
「……ハミルトン?」
「…………」
「ハミルトン?」
ジョージが横から顔を覗き込む。
「顔色、すごいことになってるけど」
「…………誰ですか」
「ん?」
「……あの男は、誰ですか」
「知らない^^」
「…………」
目の前では
拓海が見知らぬ日本人男性に、
自分から抱きついている。
しかも。
満面の笑み。
相手も明らかに嬉しそう。
頭まで撫でている。
【未知の日本人男性】
【成人】
【拓海嬢から自発的接触】
【抱擁】
【双方ともに極めて親密】
「…………」
エドワードの顔から、
血の気が完全に引いた。
「拓海嬢が……」
「うん?」
「……自分から、男に抱きついた……」
「抱きついたね^^」
「…………」
しかも。
今最大の懸案事項は卒業後の日本帰国。
(……まさか)
嫌な想像が脳裏をよぎる。
(日本へ帰りたいとおっしゃったのは……)
(すでに)
(日本に……)
(男がいたから……!?)
致命的エラー。
心停止寸前。
「ハミルトン?」
「…………確認します」
「何を?」
返事はなかった。
エドワードは絶対零度の冷気を纏い、
大股で噴水広場へ向かった。
◆
【誤認解除】
~兄~
「拓海嬢」
低い。
恐ろしく低い声。
「ん?」
拓海が男の腕に抱きついたまま振り返った。
「おー、エド!^^」
「…………」
エドワードの視線。
男の腕
拓海
男の顔
再び拓海
「……そちらの方は?」
笑顔。
ただし、目は完全に凍っている。
「兄貴^^」
「…………」
「佐伯拓人。俺の兄ちゃん」
「…………兄?」
「おう」
拓海が隣の男をぺしぺし叩く。
「八つ上。仕事でロンドン来たんだって」
「…………」
兄。
実兄。
血縁。
【恋愛対象ではない】
「…………」
すぅぅぅぅぅぅ……。
肺いっぱいに酸素を吸い込む。
停止寸前だった心臓、再起動。
顔色復旧。
「初めまして」
拓人が笑いながら手を差し出した。
「佐伯拓人です。いつも妹がお世話になってるみたいで」
「エドワード・ハミルトンです。こちらこそ」
握手完璧。
優雅。
冷静。
数秒前まで、
人生の終わりを迎えていた男とは思えない。
ジョージだけが、
少し離れたところで笑いを堪えていた。
◆
【第二次障害】
~兄でも近い~
「しかし」
拓人がもう一度妹を見る。
「元気そうだな、お前」
「元気だぞ^^」
「ちゃんと飯食ってんのか?」
「食ってる食ってる」
「痩せてねぇか?」
「エドが食わせるからむしろ増えた」
「ははは!」
わしゃわしゃ。
再び頭を撫でる。
「やめろってwww 髪ぐちゃぐちゃになるだろ!」
「昔から変わんねぇな、お前」
「うるせぇwww」
「…………」
エドワードの目から再び光が消えた。
「ハミルトン」
ジョージが小声で囁く。
「兄でも嫌なんだね^^」
「嫌とは言っていない」
「顔が嫌って言ってるよ^^」
「兄妹の再会を邪魔するほど、私は狭量ではない」
「うん」
「…………」
「でも?」
「……少し近すぎるとは思う」
「兄妹だよ^^」
「分かっている!!」
◆
【増殖】
~落ち着いた男たち~
そして、
問題は兄だけではなかった。
「拓人、この子が妹さん?」
後ろから、
拓人の同僚たちがやってくる。
二十代後半から三十代。
いずれも落ち着いた身なりの日本人男性。
「そうそう。妹の拓海」
「初めまして^^」
拓海はいつもの調子でにこにこ手を振る。
「英国で大学通ってるって聞いてたよ」
「はい^^」
「一人で海外留学なんて大したもんだな」
「いや、こいつ昔からどこでも生きていけるから」
「兄貴うるせぇwww」
「ははは!」
和やか。
非常に和やか。
「…………」
エドワードだけが和やかではない。
(……増えた)
一人だった。
日本人成人男性が四人になった。
しかも全員
感じがいい。
礼儀正しい。
拓海に対して。
変な下心も見せない。
だから。
追い払う理由が一切ない。
「拓海さん、荷物重くない?」
「あー、平気──」
「私が持ちます^^」
スッ。
「…………」
「拓海嬢、こちらを」
「おう」
「少し冷えてきましたね」
「そう?」
「上着を」
「まだいらねぇよ」
「持っておきます^^」
「お前が持つんかいwww」
拓人がじっとエドワードを見る。
「…………」
「どうした兄貴?」
「いや」
妹。
その背後。
完全密着状態であらゆる世話を先回りする、
若き英国伯爵。
「……すげぇなと思って」
「何が?」
「いろいろ」
◆
【兄の洞察】
~嫉妬、完全露呈~
しばらくして、
拓人が妹へぼそっと囁いた。
「おい拓海」
「ん?」
「あいつ」
「エド?」
「さっきから俺のこと、ずーっと見てるぞ」
「なんで?」
「知らん」
拓人が
ちらりと背後を見る。
エドワード。
にこり。
完璧な微笑み。
ただし、目は絶対零度。
「……お前の兄貴にまで妬いてんじゃねぇの?」
「はぁ!?」
拓海が吹き出した。
「兄貴に妬くわけねぇだろwww」
「いや、あれ絶対──」
「妬いていません」
「うおっ!!」
いつの間にか真後ろ。
「聞こえてんのかよ!!」
「偶然です」
「嘘つけ!!」
「妬いてなどいません^^」
「顔がそう言ってねぇぞwww」
「気のせいです」
「面白ぇ奴だな、お前」
「ありがとうございます」
褒めてはいない。
◆
【買収】
~一次資料の誘惑~
拓人は腕時計を見る。
「俺たち、このあと予定空いてんだけど」
「おう」
「せっかくだし、飯でも行くか?」
「行く!!^^」
即答。
「肉な!!」
「お前はそれしかねぇのかよ」
「肉!!」
「はいはい」
拓人がエドワードを見る。
「エドワード君もどうだ?」
「私も?」
「せっかくだし。妹の婚約者なら一回くらいゆっくり話しときたいしな」
「…………」
エドワードはわずかに緊張。
査定。
未来の義兄による婚約者査定。
だが次の一言。
「拓海の昔の話も、いくらでも教えてやるぞ」
「…………」
停止。
【佐伯拓海・未公開過去ログ】
【幼少期】
【学生時代】
【実兄による一次資料】
【入手可能】
「…………」
拓人がにやりとする。
「こいつ昔から、とんでもねぇことばっか──」
「全額私が支払います」
「決断はやっ!!」
「店はこちらで手配いたします」
「お前さっきまで俺のこと睨んでなかった?」
「何のことでしょう^^」
「こえぇよwww」
「兄貴!! 余計なこと言うなよ!!」
「いいじゃん。木から落ちた話とか」
「どの木だよ!!」
「いっぱいあるからなぁ」
「兄貴ぃぃぃ!!」
「ぜひ」
エドワードの瞳が今日一番輝いた。
「すべてお聞かせください」
「エドお前ぇぇぇぇ!!」
◆
【兄の確認】
~本人にはまだ内緒~
その日の夕食。
拓海の過去ログを巡り大いに盛り上がった後店を出た。
エドワードはジョージと共に会計と車の手配へ向かっていた。
少しだけ兄妹二人になる。
「拓海」
「ん?」
「お前」
拓人が遠ざかるエドワードの背中を見る。
「……あいつの前だと、随分そのまんまだな」
「そう?」
「そうだよ」
「ふーん」
「家にいる時と、ほとんど変わんねぇ」
「そっか?」
本人はよく分かっていない。
拓人は小さく笑った。
「まあ」
「ん?」
「悪くない相手なんじゃねぇの」
拓海がエドワードの背中を見る。
少し考える。
そして。
にっ。
「だろ^^」
「…………」
拓人も笑った。
その会話を幸か不幸か
エドワード・ハミルトンは聞いていなかった。
もし聞いていたなら……
その場で婚礼準備を一年前倒ししかねないため
おそらくそれで正解だった。
やがてエドワードが戻ってくる。
「お待たせしました」
「おう^^」
拓人は、それ以上何も言わなかった。
ただ帰り際。
エドワードの肩を”ぽん”と叩く。
「妹、よろしくな」
「…………!」
「じゃあな、拓海。また連絡する」
「おー!^^」
兄たちは去っていく。
その背中を見送りエドワードは、
しばらく動かなかった。
「エド?」
「…………」
「どうした?」
「……よろしく、と」
「言ってたな」
「お兄様が……私に……拓海嬢を……よろしく、と……」
「普通の挨拶だろ?」
「…………(*´ω`)」
「おい」
「…………(*´ω`)/////」
「戻ってこーいwww」
兄の本当の評価などまだ何一つ知らない。
たった一言。
「妹をよろしく」
それだけで。
西欧の過保護魔王はその日の
嫉妬も。
絶望も。
すべて吹き飛ばして、
一人勝手に
幸福の絶頂へと昇っていくのであった(笑)。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




