ハミルトン伯爵が幸せになるまで:67
拓海ちゃんはバカじゃないからねー^^
『教育とは、未来の伯爵夫人として社交界へ浸透しつつある狂犬お嬢様(拓海)に、いよいよハミルトン家の実務を覚えてもらおうと使用人一同が身構えたところ、「後でやるなら今覚えた方が楽^^」の一言で帳簿と慈善事業の資料を片っ端から読み始め、予想外の実務適性を発揮して周囲を困惑させる現象のことであるという話』
【ハミルトン別邸・書斎】
~実務引き継ぎ、開始~
二年生の初夏。
春のレガッタでテムズ川へ飛び込み、西欧の過保護魔王を絶叫させた狂犬お嬢様は…
その数週間後
何事もなかったかのように、ハミルトン別邸の書斎に座っていた。
理由は一つ。
未来の伯爵夫人として、いよいよ実務を覚える時期が来たのである。
カーテシー。
テーブルマナー。
社交界での会話。
そういった表面上の『お嬢様仕草』については
幼稚園から高校卒業まで十五年間
母・絢子と姉・詩織によって、嫌というほど叩き込まれている。
必要なのはその先。
ハミルトン家そのものを回していくための実務だった。
領地や邸宅の年間収支。
慈善基金。
後援団体。
使用人の人事。
年間行事。
慶弔。
招待客。
細かな予算管理。
机の上には
分厚い帳簿と資料が、これでもかというほど積まれていた。
「…………」
拓海が、それを見る。
使用人たちも、それを見る。
そして密かに思った。
(……これを)
(あの……)
(春のレガッタで、母校が勝った瞬間テムズ川へ飛び込んだ未来の奥方様に……?)
一抹どころではない不安が漂っていた。
対して。
エドワードだけは、
いつものように甘かった。
「拓海嬢。無理をする必要はありません^^」
「ん?」
「今すぐすべて覚える必要はありません。卒業までまだ時間もありますし、
少しずつ慣れていただければ」
「ふーん」
「分からないことがあれば、すべて私が………」
拓海は、目の前の帳簿を一冊手に取った。
ぱらぱら。
「これ」
「はい?」
「俺が将来やんなきゃいけないやつ?」
「……ええ。将来的には、奥方の管轄となるものも多いですね」
「じゃ」
ページをめくる。
「今覚えといた方が、後で楽じゃん(・∇・)」
「…………」
エドワードの瞳が輝いた。
◆
【実務教育】
~実利主義、起動~
佐伯拓海という女は。
別に、
『立派な伯爵夫人になりたい』
などという殊勝な動機で動くわけではない。
必要ならやる。
どうせ後でやるなら、今のうちに覚える。
その方が楽。
以上。
年の離れた兄や姉の背中を見ながら育った末っ子特有の
要領の良さ。
現実主義。
そして、無駄が嫌い。
その性格が、
思わぬところで機能し始めた。
「これ何?」
「昨年度の慈善基金の収支報告でございます」
「ふーん」
数ページめくる。
「……あれ?」
「どうされました?」
「こことここ」
指で示す。
「同じ業者じゃね?」
「ええ」
「春と秋で単価違うけど、季節で変わるやつ?」
「…………」
使用人が資料を覗き込む。
「……確認いたします」
「あとこれ」
別のページ。
「この記念行事、毎年こんなに業者分けて発注してんの?」
「例年、そのように」
「まとめた方が楽じゃね?」
「…………」
「別々にやる意味あんの?」
「……過去からの慣例でございます」
「慣例って便利な言葉だな^^」
「…………」
拓海は数字の専門家ではない。
帳簿のプロでもない。
だが、
変だと思ったことをそのまま聞く。
面倒そうな流れを、
もっと簡単にならないかと考える。
そして
『昔からこうだから』
では、あまり納得しない。
それだけだった。
ところが
長年誰も疑問に思わなかった部分ほど
そういう単純な視点が刺さることがある。
「これ、去年の残額と合わなくね?」
「どちらでしょう」
「ここ」
「…………」
「領収書ないの?」
「確認いたします」
「エド」
「はい!!」
「これ見て」
「どこです?」
「ここの数字」
「……確かに合いませんね」
「だろ?」
「至急、確認させます!」
「よろしく^^」
「はい!!」
「…………」
使用人たちは
静かに若き当主を見る。
そして静かに思った。
(旦那様)
(完全に奥様(仮)の副官になっている……)
◆
【想定外】
~あのダイブ令嬢、普通にできる~
数時間後
初日の説明用として用意されていた資料は
想定以上の速度で、かなりの部分まで進んでいた。
もちろん、
すべてを理解したわけではない。
分からないところもある。
何度も質問する。
だが
「分かんねぇから、もう一回」
「はい」
「これは誰が決める?」
「最終的には旦那様ですが、奥方の意見も強く反映されます」
「じゃ俺も覚えといた方がいいな」
「左様でございます」
「ふーん」
嫌がらない。
投げ出さない。
そして
必要だと分かれば普通にやる。
家政婦長が、小さく息を吐いた。
「……正直」
隣の執事が視線を向ける。
「少し驚きました」
「私もです」
「もっと……」
言いにくそうに言葉を選ぶ。
「……苦労するかと」
二人の視線の先。
拓海は資料を読みながら、眉間に皺を寄せていた。
その隣では、
エドワードがなぜか本人以上に嬉しそうな顔で、次の資料を差し出している。
「拓海嬢。こちらもご覧になりますか?^^」
「後で」
「はい^^」
「あとこれ分かんね」
「説明します!!」
「声でけぇよ」
「すみません」
「…………」
「…………」
執事と家政婦長は同時に思った。
(案外)
(……普通に、できるのでは?)
◆
【活動限界】
~未来の伯爵夫人、終了~
そして。
夕方
「…………」
拓海が帳簿を閉じた。
一秒
二秒
三秒
「ふぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
盛大に伸びをする。
「数字見すぎて腹減った!!」
未来の伯爵夫人モード。
終了。
「エド!」
「はい?」
「肉!!^^」
「よく頑張られましたね、拓海嬢! すぐに用意させます^^」
「ステーキ!」
「もちろんです!」
「でかいやつ!」
「はいはい^^」
「やった!」
拓海はそのまま書斎のソファへダイブした。
「疲れたー」
「お茶もお持ちしますか?」
「菓子も」
「分かりました^^」
「肉も忘れんなよ」
「忘れませんよ」
数時間前まで
慈善基金の帳簿を睨み
予算を確認し
慣例に疑問を投げかけていた女は
すでに、
いつもの佐伯拓海へ戻っていた。
◆
少し離れた場所で、
執事と家政婦長は静かに顔を見合わせた。
「……お見事でしたな」
「ええ」
「感情や体裁よりも、かなり現実的に判断なさる」
「無駄を嫌われるようですね」
「そのようです」
二人は
もう一度ソファを見る。
「エドー! 肉まだー!?^^」
「もう少しです!」
「腹減ったー!」
「菓子を食べすぎると夕食が入りませんよ!」
「もう食ってる^^」
「拓海嬢!!」
「ガハハ!!」
「…………」
「…………」
しばし沈黙。
そして、
執事が小さく笑った。
「……二年後」
「はい?」
「この家は、ずいぶん賑やかになりそうですな」
家政婦長も静かに笑った。
「ええ。間違いなく^^」
こうして。
春のテムズ川では歓声とともに川へ飛び込み、
社交界では完璧な令嬢として微笑み、
書斎では帳簿の数字へ容赦なく疑問を投げる
未来のハミルトン伯爵夫人
佐伯拓海。
その実務教育は周囲の予想を大きく裏切り、
意外なほど順調に
スタートしたのであった(笑)。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




