ハミルトン伯爵が幸せになるまで:61
肉の挟まったサンドイッチが食いたい
『侵食とは、正式な婚約者を手に入れた西欧の過保護魔王が、社交界から怒涛の勢いで舞い込む晩餐会の招待状に「二人きりの時間が減る」と渋面を作る横で、狂犬お嬢様(拓海)が「飯が美味いなら行く^^」と即決し、十五年仕込みの完璧な擬態猫で貴族たちを圧倒した挙句、帰りの車内で「肩凝った! 肉食いに行こうぜ!」と野生へ還る現象のことであるという話』
【ハミルトン別邸・執務室】
~招待状の山と私情~
二年生の新学期が始まって、しばらく、
ハミルトン伯爵家には、連日のように金文字の招待状が舞い込んでいた。
晩餐会
夜会
慈善行事
週末の小規模なパーティ
そのほとんどに記されているのは、
『ぜひ、ハミルトン伯爵と婚約者の佐伯嬢、お二人で』
という一文だった。
五月のガーデンパーティで正式に披露されて以来
佐伯拓海はもはや単なる日本からの留学生ではない。
英国社交界において、
【未来のハミルトン伯爵夫人】
として認識され始めていたのである。
そして
その事実を誰より喜んでいるはずの男が
なぜか、招待状の山を前に眉間へ皺を寄せていた。
「……多すぎませんか?」
「旦那様。今月だけで十二件ございます」
秘書が淡々と答える。
「正式にお披露目された以上、当然の流れかと」
「しかし、拓海嬢は学生です。学業に支障が出ます」
「旦那様も学生でございます」
「…………」
「月に二度程度でしたら、問題ないかと」
「…………」
秘書はちらりと若き当主を見る。
「それとも、ほかに何か問題が?」
「…………ありません」
あった。
非常に重大な問題が。
(……拓海嬢と二人で過ごせる週末が減る……)
完全なる私情である。
そこへ。
ガチャリと扉が開いた。
「エドー」
部屋着姿の拓海が、ひょこりと顔を出す。
「なんかいっぱい来てんな」
「招待状です」
「全部行くの?」
「行きません」
「じゃいいや^^」
興味、終了。
拓海はそのまま帰ろうとした。
が、
机の端に置かれた一通へ目を留める。
「これ何?」
「晩餐会への招待状ですね」
「晩餐会?」
「ええ」
拓海の視線が、もう一度封筒へ戻った。
「……飯うまい?」
「…………」
エドワードは一瞬だけ考える。
「一流の専属料理人を抱えている名家ですから、おそらく極上かと」
「じゃ行く^^」
即決。
「拓海嬢……」
英国社交界への出陣基準。
【飯】
以上であった。
◆
【晩餐会当日・車内】
~完璧すぎるバックボーン~
数日後。
晩餐会へ向かう車の後部座席。
隣には、美しいイブニングドレスを身にまとった拓海が座っている。
艶やかな黒髪
上品なジュエリー
姿勢も完璧
外見だけなら、すでにどこから見ても未来の伯爵夫人である。
だが
エドワードには、一つだけ心配があった。
「拓海嬢」
「ん?」
「本日のホストについて、少しご説明しておきましょう」
資料を開く。
「ランバイン侯爵家は……」
「ああ。アルフレッド・ランバイン侯爵だろ?」
「…………はい」
「奥さんがシンクレア家の出身。長男は去年結婚して、次男はオックスフォード。
娘が二人。上が俺らと同い年くらいだったっけ?」
「…………」
資料へ落としていたエドワードの視線が、ゆっくりと拓海へ戻った。
「……ご存じなのですか?」
「日本出る前に母ちゃんと姉ちゃんに叩き込まれた^^」
「…………完璧です」
「忘れたら詩織姉ちゃんに殺されるからな^^」
そう。
佐伯拓海は、ただの野生児ではない。
幼稚園から高校卒業まで十五年間
名門お嬢様学校で叩き込まれた礼儀作法。
さらに母・絢子と姉・詩織による、佐伯家独自の超実践型英才教育。
必要とあらば
完璧な令嬢へと擬態できる。
ただし。
「終わったらなんか食いに行こうぜ^^」
本人がそれを好んでやるかどうかは、まったく別の問題だった。
◆
【晩餐会】
~降臨する『東洋の奇跡』~
車が屋敷の前へ滑り込む。
先に降りたエドワードが手を差し出した。
拓海は、その手へ自分の指先を重ねる。
そして。
車から降りた瞬間。
佐伯拓海のスイッチが切り替わった。
背筋がすっと伸びる。
表情が柔らかく整い
先ほどまで、
『帰りなんか食おうぜ^^』
と言っていた女が消滅した。
「お招きいただき、心より光栄に存じます」
柔らかな微笑み。
指先まで隙のない所作。
完璧なカーテシー。
エドワードの隣には、
【楚々とした東洋の令嬢】
が立っていた。
(…………)
知っている。
エドワードは知っている。
これは猫だ。
十五年物の超高性能擬態猫である。
だが
(……やはり美しい……(*´ω`))
知っていても効くものは効く。
晩餐会が進むにつれ、周囲からの評価はさらに上がっていった。
「まあ……本当にお美しい方」
「立ち居振る舞いも申し分ありませんわ」
「日本のご令嬢は大変教養がおありなのですね」
拓海は穏やかな微笑みを崩さない。
「恐れ入ります」
完璧。
そして。
ついにその一言が飛んできた。
「ハミルトン伯爵は、本当に素晴らしい未来の奥方を選ばれましたね」
「…………」
エドワードの内部処理が停止した。
未来の、奥方
未来の奥方。
未来の奥方……!!
「……ありがとうございます」
表面上は、若き伯爵らしい穏やかな微笑。
しかし内部では。
(未来の奥方……!! 私の……未来の奥方……!! (*´ω`)/////)
お花畑、満開。
隣では。
「…………」
拓海がちらりと横目で見る。
(……こいつまた口元緩んでんな)
だが、言わない。
今は猫だから。
◆
【帰りの車内】
~擬態解除~
パタン。
車のドアが閉まった。
屋敷が遠ざかる。
一秒。
二秒。
三秒。
「──あ゛あ゛あ゛あ゛!! 肩凝ったぁぁぁぁ!!」
擬態、解除。
拓海はシートへ盛大に沈み込んだ。
「首もげるかと思った!!」
「拓海嬢、ドレスが皺になりますよ」
「もう帰るだけだろ。いいじゃん」
首をゴキゴキ鳴らす。
数十分前まで貴婦人たちを感嘆させていた『未来のハミルトン伯爵夫人』は、すでに跡形もない。
「エド」
「はい?」
「今日の肉うまかったな^^」
「ええ」
「でも量少ねぇ」
「…………」
「上品すぎて腹いっぱいになんねぇんだよ。なんか食って帰ろうぜ^^」
「もう夜ですよ?」
「腹減った」
「…………」
エドワードは小さく笑った。
「では、帰宅してからサンドイッチを作らせましょう」
「肉多めな!^^」
「分かっていますよ」
「チーズも!」
「夜中ですよ?」
「いいじゃん^^」
「……少しだけです」
「やった^^」
窓の外を、夜のロンドンの灯りが流れていく。
つい先ほどまで
拓海は未来の伯爵夫人として、英国社交界の中心にいた。
完璧な微笑。
完璧な礼儀作法。
完璧な会話。
十五年かけて身につけた擬態は、名だたる貴族たちを相手にしても一切揺らがない。
そして今。
隣では、ドレス姿のままシートへ沈み、
「肉多め^^」
と要求している。
エドワードは、その横顔を見つめた。
どちらも。
”佐伯拓海”だ。
楚々と微笑む令嬢も。
肉を求めて騒ぐ狂犬も。
何一つ、別人ではない。
そしてエドワードにとっては。
どちらも等しく、愛してやまない婚約者だった。
「……拓海嬢」
「ん?」
「いえ。何でもありません^^」
「変な奴」
拓海は窓の外へ視線を戻した。
「肉、忘れんなよ」
「忘れませんよ^^」
こうして
未来のハミルトン伯爵夫人・佐伯拓海は。
英国社交界へ、着々と侵食を開始した。
貴族たちからの評価。
【極めて優秀な令嬢】
【教養、家柄ともに申し分なし】
【若き伯爵に相応しい未来の夫人】
すべて順調。
一方
本人の内部処理。
【今日の肉:美味かった】
【量:足りない】
【帰宅後:肉多めサンドイッチ】
そして
【エドワードへの恋愛ゲージ:依然としてほぼ未実装】
社交界だけが猛烈な勢いで二人の結婚を既定路線として認識していく中
未来の伯爵夫人本人は
今夜の夜食のことで頭がいっぱいなのであった(笑)。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




