ハミルトン伯爵が幸せになるまで:42
やはりこれはもう別に出せばよかったw
『洗浄とは、狂犬お嬢様(拓海)の入浴を女性使用人に任せていたはずの西欧の過保護魔王が、長い黒髪の扱いに口を出しすぎた結果、「では旦那様がお洗いください」と仕事を譲られ、本人も満更ではなく正式に洗髪係へ就任する現象のことであるという話』
【ハミルトン別邸】
~狂犬専属メイド~
拓海がハミルトン別邸へ転がり込んだ当初、
当然ながら、伯爵家には彼女の身の回りを世話する使用人が用意された。
別邸には家政婦長を筆頭に、料理人、数人のメイド、男性使用人が常駐している。
家政婦長は、拓海を預かることが正式に決まったその日のうちに、
一人の若いメイドを彼女の専属として付けた。
「佐伯様のお身の回りにつきましては、こちらでお世話させていただきます」
「おー。よろしくな^^」
拓海は大して気にも留めず、ひらひらと手を振った。
………が。
専属メイドには、配属初日から想定外の任務が待っていた。
「佐伯様。お風呂の準備が整いました」
「今日いいや^^」
「いけません」
「昨日入ったぞ?」
「本日もご入浴ください」
「姉ちゃんいねぇんだからバレねぇって^^」
「詩織様とのお約束ですので^^」
「大丈夫大丈夫!」
「それから旦那様より、『必ず毎日入浴させるように』と申し付かっております^^」
「…………」
拓海の眉がピクリと動いた。
「あの野郎……!!」
そして数分後。
「風呂くらい好きな時に入らせろぉぉぉ!!」
「駄目です^^」
「離せぇぇぇぇ!!」
こうして専属メイドには、身支度の補助という本来の業務に加え、
”毎日一度、狂犬を捕獲して浴室へ収容する”
という重要任務が追加された。
◆
【バスルーム】
~細かすぎる指示書~
どうにか拓海を浴室へ放り込んでしまえば、あとは比較的平和だった。
入浴中の身の回りは、当然ながら女性使用人の担当である。
身体を洗う。
湯船につける。
ここまでは何の問題もない。
問題が発生したのは。
”洗髪”だった。
「では佐伯様、お髪を洗わせていただきますね」
「おー^^」
専属メイドが手にしたのは、エドワードから渡されていた拓海専用のシャンプーとトリートメント。
そして、その横には。
一枚の紙。
「…………」
メイドは紙を見る。
そこには、若き伯爵直筆による恐ろしく細かな指示が並んでいた。
・湯温は熱すぎないように。
・シャンプーはワンプッシュ半。
・頭皮は爪を立てず、指の腹で洗うこと。
・毛先は絶対に擦らない。
・トリートメントは毛先を中心に。
・根元にはつけない。
・放置時間は三分。
「…………」
メイドは無言になった。
目の前には、鼻歌を歌いながら湯船で遊んでいる佐伯拓海。
そして手元には。
伯爵直筆・佐伯拓海の洗髪取扱説明書。
「…………旦那様……」
専属メイドは、静かに遠い目をした。
◆
【翌朝】
~業務譲渡~
翌朝、専属メイドは、エドワードのもとを訪ねた。
「旦那様」
「何です?」
「佐伯様のお髪について、お伺いしたいのですが」
エドワードは書類から顔を上げた。
「はい」
「昨日、『毛先を擦らないように』とございましたが……」
「ええ。拓海嬢の髪は細く繊細です。摩擦で傷みやすいので、泡を滑らせる程度で十分です」
「……では、トリートメントは?」
「毛先を中心に。根元につけると重くなりますから避けてください。それから三分ほど置いて──」
「旦那様」
「?」
「乾かす際は?」
「まずタオルで挟むように水分を取り、それから根元を中心に──」
「旦那様」
「何です?」
専属メイドは、にっこりと笑った。
「もう、旦那様がお洗いになってはいかがでしょうか^^」
「…………」
沈黙。
普通ならば。
英国屈指の名門伯爵家当主ともあろう男が、居候している令嬢の髪を自ら洗うなど、
さすがに使用人の領分だと断るところである。
しかし
エドワード・ハミルトンは違った。
「…………」
翡翠色に近い青の瞳が。
キラッ。
「……いいのか?」
「…………」
専属メイドは思った。
(……なぜ、そんなに嬉しそうなのでしょうか……)
こうして。
ハミルトン伯爵家当主エドワード・ハミルトンは
正式に佐伯拓海専属洗髪係へ就任した。
◆
【バスルーム】
~伯爵、ご褒美タイム~
それ以降。
拓海の入浴には、奇妙な分業制が導入された。
入浴・身体の洗浄:女性使用人。
身体を拭き、タオルを身につける:女性使用人。
そして。
「旦那様。佐伯様のお髪をお願いいたします」
「分かりました」
英国伯爵、入場。
「お。エドじゃん^^」
「今日は私が洗います」
「おー。ちゃんとやれよ^^」
「誰に言っているんですか」
エドワードは拓海の長い黒髪を濡らし、適量のシャンプーを泡立てる。
指の腹で、ゆっくりと頭皮を洗っていく。
シャカシャカ……。
「…………」
それまで好き勝手に喋っていた拓海が、急に静かになった。
「痛くありませんか?」
「んー」
「痒いところは?」
「……右」
「ここですか?」
「もうちょい右」
「ここ?」
「おー……そこそこ……(´ω`)」
完全に脱力している。
エドワードは丁寧に髪を洗いながら、思わず口元を緩ませた。
しばらくして。
「……エド」
「何です?」
「お前、うめぇなぁ……」
「…………!」
「気持ちいいぞ^^」
「…………」
翡翠色に近い青の瞳が、露骨に輝いた。
「……そうですか」
「おう」
「では、もう少しこちらも」
「おー……(´ω`)」
エドワードの顔がみるみる蕩けていく。
(*´ω`)/////
極上のご褒美タイムであった。
◆
【風呂上がり】
~伯爵、再入場~
洗髪が終われば、一旦エドワードは退場する。
「では佐伯様、お召し替えを」
「へーい」
「お願いします」
そこだけは一応、紳士である。
そして拓海の着替えが済むと。
「旦那様。お支度が整いました」
「分かりました」
英国伯爵、再入場。
「またお前かよ!!」
「髪を乾かします」
「ほっときゃ乾く!」
「駄目です」
「自然乾燥でいいって!」
「傷みます。座る」
「やだ」
「…………」
エドワードは一瞬考えた。
「終わったらプリンがあります」
「──座る^^」
即答。
「…………」
専属メイドが何とも言えない顔をする横で、拓海は大人しく椅子へ座った。
エドワードはタオルで丁寧に水分を取り、ドライヤーを手にする。
根元から乾かし、アウトバストリートメントを馴染ませ
最後にブラシで長い黒髪を梳かしていく。
そのまま顔のスキンケアまで開始。
化粧水。
美容液。
乳液。
「まだやんのー?」
「もう少しです」
「プリン……」
「逃げません」
「早くしろー」
「はいはい」
◆
【専属メイド】
~存在意義~
その一連の光景を眺めながら
拓海付きとして雇われた専属メイドは、ふと考えた。
朝。
髪を整える→旦那様。
服を選ぶ→旦那様。
食事を管理する→旦那様。
夜。
髪を洗う→旦那様。
髪を乾かす→旦那様。
肌を整える→旦那様。
「…………」
(……私、佐伯様付きのはずなのだけれど……)
ほとんど仕事が残っていない。
もっとも。
「今日は風呂いいってぇぇぇぇ!!」
廊下の向こうから拓海の絶叫が響く。
「駄目です^^」
「離せぇぇぇぇぇ!!」
専属メイドには
まだ、非常に重要な仕事が残されていた。
”狂犬の捕獲”である。
◆
【観測者】
~何かがおかしい~
そして、ある日の夜。
別邸を訪れていたジョージは
風呂上がりの拓海を椅子へ座らせ、嬉々としてその長い黒髪を乾かしている親友の姿を目撃した。
「…………」
ジョージは立ち止まった。
「拓海嬢。まだ動かないでください」
「もう乾いたろー」
「根元がまだです」
「腹減った(´・ω・`)」
「プリンがあります」
「じゃあ待つ^^」
「いい子ですね」
「子供扱いすんな!」
「…………」
ジョージの肩が震え始めた。
「……ハミルトンさぁ^^」
「何だ?」
「君、最初に拓海ちゃんを見たとき……何て言ってたっけ?」
「?」
ジョージは記憶を掘り起こすように天井を見る。
「確か……『なんて楚々とした美しい女性なのだ』とか、そんな感じじゃなかった?^^」
「……それがどうした」
「いやぁ……」
ジョージは改めて、目の前の二人を見る。
髪を乾かしているのはエドワード。
肌の手入れもエドワード。
朝になれば髪を整えるのもエドワード。
服を選ぶのもエドワード。
食事までエドワード。
そして
プリンで大人しく座らせているのもエドワード。
「…………」
ジョージはとうとう吹き出した。
「あはははは!! ハミルトン、それもうさぁ!」
「何だ!」
「君が一目惚れした『楚々とした可憐なお嬢様』って──」
一拍。
「ほとんど君が作ってるよね^^w」
「…………」
ピタリ。
エドワードの手が止まった。
「…………」
言われてみればそうである。
入学イベントで初めて見た佐伯拓海は。
長い黒髪を美しく整え。
品のいい服を纏い。
楚々と微笑む。
完璧な深窓の令嬢だった。
ところが現在。
放っておけばジャージ。
髪は適当に一つ結び。
顔は水洗い。
その辺の布で拭く。
風呂から逃げる。
木があれば登る。
その女を毎日せっせと磨き上げ
あの日と同じ「楚々とした可憐なお嬢様」の状態へ戻しているのは。
「…………」
エドワード自身だった。
「気づいてなかったの?^^w」
「…………」
「エドー」
「……何です?」
「プリンまだ?^^」
「…………」
エドワードは再びドライヤーを動かした。
「もう少しです。待っていてください」
「へーい」
その口元はどう見ても
(*´ω`)
緩んでいた。
「…………」
ジョージはしばらく親友を眺め、
笑いながら、深々とため息をついた。
「……はぁ。まあ……君が幸せならいいけどさ^^」
「──幸せだが?」
「即答なんだ^^w」
「何か問題でも?」
「いや。もう何もないよ^^」
拓海「プリン!!」
エドワード「はいはい。今持ってきます」
ジョージ「…………」
かつて女性にまるで興味を示さず、「氷の伯爵」とすら呼ばれていた男が
現在。
一人の狂犬お嬢様を毎日捕獲させ
髪を洗い
乾かし
肌を整え
服を選び
飯とプリンで餌付けし
その生活に、これ以上ない幸福を見出している。
それを目の当たりにした長年の親友・ジョージにできることは
ただひとつ。
笑いながら、ため息をつくことだけなのであった(笑)。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




