ハミルトン伯爵が幸せになるまで:36
100話以内に終わりますように
『弱点とは、愛娘に男ができたと知って英国へ殴り込もうとした柔道三段・空手四段の父(和也)が「拓海に嫌われますよ」の一言で完全鎮圧される一方、遠くロンドンでは世界を相手に一歩も退かない西欧の魔王が「拓海嬢に嫌だと言われたらどうする」と告白すらできずにおり、未来の義父と婿が本人たちの知らぬところで全く同じ弱点を抱えている現象のことであるという話』
【千代田区・佐伯家】
~父、緊急出動~
「許さん!! 絶対に許さんぞ!!」
佐伯家の居間に、和也の雷鳴のような怒声が響いた。
対する絢子は、静かにお茶を啜っている。
「英国だな!? 拓海がいるのは英国だろう!!」
「そうですけれど。」
「よし!!」
何が「よし」なのか。
和也は勢いよく立ち上がると、そのまま猛烈な勢いで居間を飛び出していった。
ドタドタドタドタ!!
「…………。」
絢子は追わない。
数分後。
ドタドタドタドタ!!
戻ってきた。
手にはパスポート。
反対の手には上着。
絢子は静かに湯呑みを置いた。
「……何をしているんですか。」
「決まってるだろう!! 英国へ行く!!」
「今から?」
「今すぐだ!!」
「仕事は?」
「休暇を取る!!」
「航空券は?」
「羽田へ行けばどうにかなる!!」
「なりませんよ。」
「なら成田だ!!」
「そういう問題ではありません。」
だが、和也はすでに聞いていなかった。
完全に刑事の顔である。
「ハミルトンだったな!」
「ええ。」
「住所を教えろ!」
「知ってどうするんです。」
「直接行く!!」
拳を握る。
「うちの拓海に近づくなと、一発ブチかましてくる!!」
「…………。」
「伯爵だろうが英国の大物だろうが関係ない!」
「…………。」
「この佐伯和也! 娘を守るためなら地球の裏側まで!」
「……あなた。」
「なんだ!」
絢子は静かに夫を見た。
「そんなことをしたら。」
一拍。
「拓海に嫌われますよ。」
「…………。」
ポロリ。
和也の手から。
パスポートと上着が落ちた。
「…………え?」
先ほどまでロンドンへ殴り込みをかけんばかりだった猛者の顔から、
みるみる血の気が引いていく。
「……拓海が?」
「ええ。」
「……私を?」
「嫌うでしょうね。」
「…………。」
絢子は淡々と続ける。
「考えてもみてください。十八にもなった娘の交友関係に父親が突然乗り込んでいって、
『娘に近づくな』などと言ったら。」
「…………。」
「拓海が何と言うと思います?」
その瞬間。
和也の脳内メモリへ。
愛娘の冷たい視線が、恐ろしいほど鮮明なハイレゾ画質でコンパイルされた。
『親父、何しに来たんだよ。』
『うぜぇ。』
『帰れ^^』
「……………っ!!」
致命傷。
胸を撃ち抜かれた和也が、よろよろと後退する。
「そ……。」
「それは……困る……。」
「でしょう?」
「拓海に嫌われるのは……困る……!!」
柔道三段。
空手四段。
数々の修羅場を潜り抜けてきた警視庁刑事。
佐伯和也。
開始数分。
完全敗北。
◆
【妻の査定】
~地雷の設置~
和也は力なく椅子へ崩れ落ちた。
「……しかし。」
「はい。」
「男だぞ……。」
「男性ですね。」
「拓海に……悪い虫が……。」
「ハミルトン様を虫扱いしないでください。」
絢子は小さく息を吐いた。
「詩織も直接お会いして、『誠実な方だ』と言っています。」
「…………。」
「私もお電話でお話ししましたが、少なくとも拓海を粗末に扱うような方ではありません。」
「……本当か?」
「ええ。むしろ……。」
絢子は考える。
舞踏会で酒を飲み、木へ登った娘。
枝から落ちたところを受け止め。
姉の教育から三階の窓を使って逃亡した娘を保護し。
その娘を返せと言われれば、真正面から詩織と話し。
現在は自分の別邸へ置き。
毎朝、髪まで梳かしているという。
「……苦労なさっているのは、ハミルトン様の方かもしれません。」
「なんでだ。」
「……あなたの娘でしょう。」
「???」
和也には何も分からなかった。
「とにかく。」
絢子は再び湯呑みを手に取った。
「今は余計なことをせず、見守ってください。」
「…………。」
「いいですね?」
「……分かった。」
しぶしぶ。
本当にしぶしぶ。
和也は頷いた。
しかし。
「ただし!!」
突然、顔を上げる。
「そのハミルトンとかいう男が!」
「はい。」
「拓海を一度でも泣かせた時は……私は英国へ行く!!」
絢子は一拍置いた。
「――その時は止めませんよ。」
「!」
和也が目を見開く。
絢子は静かにお茶を口へ運んだ。
「娘を泣かせたのであれば、話は別です。」
そして。
「……まあ、理由にもよりますけど。」
「…………。」
和也は思った。
やはり、
妻が一番怖い。
◆
【ハミルトン別邸】
~その頃、地雷の真上では~
その頃。
日本で自分に対する「英国殴り込み作戦」が発動しかけていたことも。
自分の足元へ、
【 拓海を泣かせたら即・警視庁刑事が渡英(物理) 】
という特大の地雷が設置されたことも。
何一つ知らない男。
エドワード・ハミルトンは
鏡の前に立っていた。
「…………。」
ネクタイを直す。
背筋を伸ばす。
深呼吸。
「……拓海嬢。」
鏡の中の自分を見つめる。
「私は……あなたのことが……。」
「…………。」
止まった。
もう一度。
「私は、あなたのことが……好きです。」
言えた。
エドワードの翡翠の瞳が輝く。
「……言えた。」
続ける。
「拓海嬢。私はあなたのことが好きです。」
「私と、正式にお付き合いしていただけませんか。」
「…………。」
完璧だ。
エドワードは小さく拳を握った。
「言える。」
「今日は言えるぞ……!」
「何が?^^」
「!!!!!!!!」
勢いよく振り返った。
開け放たれたドア。
そこには
寝起きのボサボサ頭。
ヨレヨレのシャツ。
なぜか片方だけ靴下を履いた拓海が立っていた。
「たっ……拓海嬢!?」
「さっきから一人でブツブツ言ってっけど。」
「い、いえ!! 何でもありません!!」
「?」
拓海は首を傾げる。
「変な奴だな。」
そして盛大に欠伸をした。
「なあ、エド。」
「は、はい!」
「腹減った。」
「…………。」
「朝飯何?^^」
「……ベーコンと卵を。」
「マジか!^^」
ぱっと顔を輝かせる。
「じゃ、早く行こうぜ!」
「…………。」
拓海は何の疑いもなくエドワードの腕を掴んだ。
そのまま廊下へ引っ張っていく。
「ほらエド! 早く!」
「……はい。」
「冷めるだろ!」
「はい……。」
今日も。
言えなかった。
◆
【朝食室】
~魔王の弱点~
朝食を終え
拓海が大学へ行く支度のため部屋へ戻ったあと。
エドワードはテーブルへ突っ伏していた。
「……言えない。」
向かいではジョージが悠々とコーヒーを飲んでいる。
「練習では言えたんでしょ?^^」
「言えた。」
「本人が来たら?」
「……言えなかった。」
「重症だねぇ。」
「うるさい。」
ジョージは笑いながらカップを置いた。
「でも不思議だよね。」
「何がだ。」
「拓海ちゃんのお母様には言えた。」
「…………。」
「お姉様にも、自分の気持ちはちゃんと話せた。」
「…………。」
「英国社交界にはもう婚約者みたいに思われてる。」
「…………。」
「同じ家に住んで、毎朝髪まで梳かしてる。」
「…………。」
「なのに。」
ジョージがニヤリと笑う。
「本人にだけ言えない^^」
「…………。」
エドワードは顔を伏せたまま、しばらく黙っていた。
やがて
ぽつりと呟く。
「……嫌だと言われたら、どうする。」
「おや。」
ジョージの眉が上がった。
「そこなんだ?」
「…………。」
エドワードはゆっくり顔を上げる。
「お母上やお姉様に認めていただけても。」
「拓海嬢本人が、私をそのように見てくださっているとは限らない。」
「…………。」
「もし。」
灰色の瞳が、ほんの少しだけ揺れる。
「『嫌だ』と。」
「そう言われたら……。」
言葉が止まった。
ジョージはしばらく黙ってエドワードを見ていた。
なるほど。
世界を相手に一歩も退かない、この男が。
数千億円規模の案件を即断できる、この男が。
たった四文字。
「好きです。」
それすら言えない理由。
……怖いのだ。
佐伯拓海に拒絶されることだけが。
「……まあ。」
ジョージは再びコーヒーを口へ運んだ。
「そこだけは、外堀をどれだけ埋めてもどうにもならないからね。」
「分かっている。」
「本人に聞くしかない。」
「……分かっている。」
「じゃあ頑張れ^^」
「他人事だと思って……!」
その時。
ドタドタドタドタ!!
廊下から盛大な足音が近づいてくる。
バァン!!
「エド!!」
「はい!!」
拓海が飛び込んできた。
「髪!!」
「……はい?」
「今日めちゃくちゃ絡まってる! 直してくれ!!」
「…………。」
エドワードの顔が
一瞬で緩んだ。
「……もちろんです。」
「早くなー^^」
「はい。」
拓海を追って、いそいそと部屋を出ていくエドワード。
ジョージは黙ってその背中を見送った。
「…………。」
(まあ。)
(あれで脈がないと思ってるなら。)
(ハミルトンも大概だよねぇ^^)
◆
【日本と英国】
~同じ弱点~
その頃日本では。
「……本当に行ってはいけないのか?」
「駄目です。」
「様子を見るだけでも。」
「駄目です。」
「英国観光ということで……。」
「駄目です。」
「…………。」
まだ諦めきれない柔道三段・空手四段の父親が、妻に監視されていた。
そして英国では。
その父親から「悪い虫」と認定された若き伯爵が。
愛娘の後ろに立ち。
「痛くありませんか?」
「だいじょーぶ。」
「少し絡まっていますね。」
「適当でいいぞー。」
「駄目です。」
「なんでだよ。」
「せっかく綺麗な髪なのですから、大切になさってください。」
「エドって変なとこ細けぇよなー。」
「…………。」
丁寧に。
嬉しそうに。
今日もせっせと、その長い黒髪を梳かしていた。
父・和也は
拓海に嫌われることが、何より怖い。
エドワードは
拓海に拒絶されることが、何より怖い。
二人はまだ
互いのことを、ほとんど知らない。
けれど、
佐伯拓海という一人の少女を挟んで。
『絶対に嫁にやりたくない父親』
と
『いつか絶対に嫁にもらいたい伯爵』
という、
致命的なほど相性が悪く
そして
呆れるほどよく似た二人の男が
本人たちの知らぬところで
着実に、接近しつつあったのである(笑)。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




