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第五百六十話「違和感(ノイズ)とは、論理(ロジック)では説明できない微細な誤差(ズレ)が、最終的に巨大な構造(システム)そのものを崩壊へ導く現象のことである」という話

あと20話くらいで本編終わりそう。さっさと終わらせてオマケ書きたいいい

【General Logistics・機密管理区画】

~論理で測れない刑事~


美咲の救出。

ジョージ・ラングレーの介入。


日本警察

ハミルトン


報告書は、次々と机の上へ積み上げられていた。


ヴィクターは中央の席に座り、一冊ずつ静かに目を通している。


紙をめくる音。

端末が情報を更新する微かな電子音。


窓のない機密区画には、それ以外の音は存在しなかった。


部下が、一歩前へ出る。


「ジョージ・ラングレーについては、引き続き監視を継続します」


ヴィクターは報告書から視線を上げない。


「彼の構造解析能力は、我々の想定を上回っています」


「分かっている」


短い返答だった。

ヴィクターは、画面に表示されたジョージの行動記録へ目を向ける。


「彼は組織を見る」


「会社を見る」


「物流を見る」


「金の流れを見る」


一拍。


「だから厄介だ」


部下は頷いた。


「はい。ハミルトンの資金網と完全に接続された場合、

我が社の基幹構造にまで到達される可能性があります」


「可能性ではない」


ヴィクターは淡々と訂正した。


「時間の問題だ」


部下が僅かに口を閉ざす。

ヴィクターは手元の報告書を閉じた。

乾いた音が、広い室内に響く。


そして。

その横に置かれていた、もう一冊の薄いファイルへ視線を移した。


表紙に記された名前。


【佐伯拓海】


ヴィクターの指先が、そこで止まる。

ほんの僅かな静止だった。


だが、長年彼に仕えてきた部下には、それが異常な反応であることが分かった。


「……そちらは?」


ヴィクターは、しばらく答えなかった。


ファイルの表紙を見つめる。

まるで、既存の分類項目のどこへ収めるべきか判断しかねているように。


やがて、


「刑事だ」


そう答えた。


だが


「……いや」


すぐに訂正する。


静かな

氷点下の声だった。


「あれは、刑事という分類では測れない」


部下は僅かに眉を寄せた。


「彼の経歴を見る限り、世田谷署に所属する現場刑事に過ぎません」


「特別な訓練歴もありません」


「組織的な後ろ盾も、政治的な影響力もない」


「そうだ」


ヴィクターはファイルを開いた。


事情聴取

現場記録

救出時の行動

美咲の証言

日本警察が作成した、簡潔な人物評価


どの項目にも、特別な異常は存在しない。


現場判断に優れた刑事。

行動力がある。

被害者との距離が近い。

規則よりも現場を優先する傾向がある。


それだけだった。


少なくとも、文字の上では。

だが、ヴィクターの冷徹な思考は、その記録の隙間から響く不協和音を検知していた。


小さい。

数値に置き換えられない。

論理では説明できない。

だが、確実に存在する。


”ノイズ”


「あの男は」


ヴィクターが静かに口を開く。


「証拠より先に、人間を見る」


部下は黙って聞いている。


「組織ではなく、被害者を見る」


「理屈ではなく、違和感を見る」


部下は、その言葉の意味を正確には理解できなかった。


「それが、何か問題なのでしょうか」


慎重に問い返す。


「感情に基づいた捜査であれば、我々が構築した法的手続きの前では無力です」


「証拠がなければ動けない」


「令状がなければ踏み込めない」


「感情だけでは、組織には到達できません」


ヴィクターは、静かに首を横へ振った。


「だから、予測できない」


部下の表情が変わった。

ヴィクターは画面に表示された拓海の行動記録を見つめる。


「通常の刑事ならば、証拠を集める」


「令状を待つ」


「相手の組織規模を測り、自身の権限と照合する」


「危険性を計算し、損失を回避しながら正しい手順で動く」


「ですが、佐伯拓海は違う」


声に感情はない。


だが、その言葉には、明確な警戒があった。


「彼は、一人の少女が泣いていれば、その少女を助けるためだけに動く」


ヴィクターの指が、報告書の一行をなぞる。


「相手が巨大企業であろうと」


「国境を越えた犯罪組織であろうと」


「自分の権限が及ばなかろうと」


「関係ない」


部下は黙った。


「組織の規模」


「損得」


「リスク」


「自身の生命」


ヴィクターは淡々と並べていく。


「何一つ、彼の判断材料には含まれていない」


部下は少し考えた後、口を開いた。


「単に、感情的で愚かな人間ということでは?」


ヴィクターは、すぐには答えなかった。


灰色の瞳が、ゆっくりと部下へ向けられる。


「違う」


一言。


「合理性の次元が違う」


「……合理性、ですか」


「彼は『人間を守る』という命令を、最上位に置いている」


ヴィクターの声が、暗い室内へ落ちる。


「法律より上に」


「組織より上に」


「命令より上に」


「自分自身より上に」


「一度、守ると決めれば、それ以外の情報は全て切り捨てる」


部下は僅かに息を止めた。


「我々は、人間が損得によって動くことを前提にシステムを構築している」


「恐怖によって止まる」


「危険を避ける」


「権限を越えない」


「失うものがあれば、退く」


ヴィクターは佐伯拓海のファイルを閉じた。


「だが、あの男には通用しない」


静寂。


「彼は、我々の計算式の外側にいる」


部下は机の上のファイルを見る。

世田谷署。

佐伯拓海。

どこにでもいる、一人の刑事。


そうとしか見えない。

ヴィクターは、もう一冊の報告書へ手を置いた。


【ジョージ・ラングレー】


「ジョージ・ラングレーは、我が社の組織を壊す」


金の流れを追う。

企業の繋がりを見抜く。

隠された物流網を可視化する。


構造を理解し、

構造の弱点を突く。


「だが、佐伯拓海は違う」


ヴィクターの指が、二つのファイルの間で止まる。


「佐伯拓海にその意図があるかは問題ではない。彼が動けば、結果として我々の理屈が壊れる」


部下は言葉を失った。


ジョージは、システムを解析する。

拓海は、システムを理解しない。


理解しないまま、

ただ一人の人間を助けるために、その正面から突っ込んでくる。


壁があるなら壊す。

規則があるなら越える。

止める者がいるなら、押し退ける。


それが巨大な国際組織であることすら

恐らく、彼にとっては大した意味を持たない。


初めてだった。


冷酷で

合理的で

あらゆる人間を数値として処理する管理者が

極東にいる一人の刑事を、ここまで明確な脅威として評価したのは。


ヴィクターは、窓のないコンクリートの壁を見つめた。


そこには何もない。


出口も。

風景も。

光も。


「一番厄介なのはね」


静かな声だった。


そこには、僅かな諦念すら混じっていた。


「そういう怪物ほど」


一拍。


「自分がどれほど危険な存在なのかを、まるで理解していないことだ」


部下は何も言わない。


ヴィクターは、閉じられたファイルへ視線を落とした。


【佐伯拓海】


本人は知らない。


自分の些細な違和感が

目の前の誰かを放っておけないという、ただそれだけの衝動が

積み上げられた論理を

綿密に構築された手続きを

巨大な組織そのものを

いつか、根元から崩壊させるノイズになり得ることを。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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