第五百五十九話 「兄性(モード)とは、血縁ではなく、疲れ切った少女へ自然とブランケットを掛け、温かいお茶を差し出してしまう、身体が先に動く現象のことである」という話
あと10話、、いや20話で本編完結させるんだ・・・
激しい救出作戦と、その後の怒涛の事情聴取。
夜が明け始めた警察署には、ようやく静けさが戻りつつあった。
保護された美咲は、休憩用に用意された個室のパイプ椅子で、小さく身体を丸めて座っている。
事件が終わった安心感と、張り詰めていた緊張が一気に切れたのだろう。
瞼は重く、今にも眠ってしまいそうだった。
コンコン。
控えめなノックの後、静かに扉が開く。
「……寒くないか」
松本龍平だった。
手には、自動販売機で買ってきたばかりの温かいお茶。
美咲は少し驚いたように顔を上げる。
「ありがとうございます……刑事さん」
龍平は何も言わず、椅子の背に掛けられていた厚手のブランケットを手に取った。
冷徹
無表情
合理主義
そんな彼からは想像もつかないほど丁寧な手つきで、美咲の肩へそっと掛け直す。
「……食べられそうなら、何か買ってくる」
「いえ、大丈夫です。本当に、ありがとうございます」
「無理して話さなくていい」
龍平は穏やかな声で続けた。
「今日はもう休め。それだけ考えていればいい」
「……はい」
小さく頷く美咲。
龍平はそれを確認すると、「じゃあ」とだけ言って部屋を出た。
本人は至って真面目だった。
あくまでも刑事として、被害者の精神的ケアをしているだけ。
その認識に、一点の曇りもない。
だが、その立ち振る舞い。
声の柔らかさ。
距離の取り方。
どこからどう見ても、それはもう………
”実の兄そのもの”だった。
一方、美咲はブランケットを胸元まで引き上げながら、不思議そうに首を傾げる。
(……この眼鏡の刑事さん)
(すごく怖そうな顔してるのに……)
(なんでこんなに優しいんだろう)
その小さな違和感だけが、静かに胸の中へ積み重なっていった。
【廊下】
~ニヤニヤする災害パラディン~
部屋を出た龍平が扉を閉める。
振り返ると、
腕を組み、壁にもたれ掛かりながらこちらを見ている男がいた。
佐伯拓海。
口元は見事なまでに緩み切っている。
「(・∀・)」
龍平は眉をひそめた。
「……何ですか、佐伯さん」
「いやぁ~?」
拓海は肩をすくめる。
「優しいじゃん、龍ちゃん?」
「被害者に対する刑事として当然のアフターケアです」
即答だった。
「何の不自然な点もありません」
「へぇ~~?」
拓海の口角がさらに上がる。
「刑事さんってみんな、事情聴取が終わった被害者にブランケット掛けてあげるんだ?」
「……」
「温かいお茶まで買ってあげるんだ?」
「……」
「優しいなぁ、成城署」
「……」
「へぇ~~~~~~~~?」
龍平は無言のまま眼鏡を押し上げる。
数秒…
そして、ぽつり。
「……うるさいです」
その一言に、拓海は腹を抱えた。
「ガハハハハ!」
廊下に豪快な笑い声が響く。
普段は感情を表へ出さず、規律と理屈だけで生きている秀才。
そんな男が、本人も気付かないまま全力で『兄』になっている。
それが可笑しくて仕方なかった。
しばらく笑ったあと。
拓海は缶コーヒーを一口飲み、ふっと笑みを引っ込める。
「……でもさ」
龍平は黙って視線を向けた。
「ずっと探してたんだろ」
一拍。
「妹」
その一言だけで十分だった。
龍平は何も答えない。
ただ、静かに眼鏡の位置を直す。
沈黙が落ちる。
やがて、小さく息を吐き、
「……まあな」
それだけだった。
長い月日をかけて積み重ねてきた想い。
期待と諦め。
後悔と願い。
そのすべてが、その二文字に込められていた。
拓海は何も聞かなかった。
ただ、大きな手で龍平の肩を軽く叩く。
「……よかったな、龍」
龍平は少しだけ目を伏せる。
そして、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……はい」
短い返事だった。
けれど、それはこの数年間で拓海だけが聞いた、一番穏やかな「はい」だった。
【おまけ】
~呼称権をめぐる伯爵の敗北~
数日後
合同捜査本部を出た拓海が、建物の前で大きく伸びをした。
「終わったぁ……腹減った」
その背中へ、少し遅れて出てきた龍平が声を飛ばす。
「拓!」
「あ?」
拓海が振り返る。
龍平は手にしていた書類を掲げた。
「これ、忘れてる」
「お。悪い、リュウ」
拓海は何のためらいもなく受け取った。
龍平も、何の違和感もなく頷く。
「では、また明日」
「おう。またな」
あまりにも自然なやり取りだった。
二人はそのまま別々の方向へ歩き出す。
少し離れた場所で待っていたジョージだけが、静かに瞬きをした。
「……」
今、
確かに、
龍平君は、佐伯君を『拓』と呼んだ。
そして佐伯君も、龍平君を『リュウ』と呼んだ。
ジョージはしばらく二人の背中を見送ったあと、ゆっくりと携帯電話を取り出した。
発信先は英国。
数回の呼び出し音のあと、聞き慣れた声が応じる。
『ジョージか』
「エドワード」
『何かあったのか』
「いや。事件については特にない」
『では、何だ』
ジョージはほんの少しだけ口元を緩めた。
「今日、龍平君がサエキを『拓』と呼んでいた」
沈黙。
見事なまでの沈黙だった。
ジョージは携帯電話を耳に当てたまま、腕時計を見る。
十秒
十五秒
『……ジョージ』
「何だ」
『もう一度言ってくれ』
「龍平君が、サエキを『拓』と呼んだ」
再び沈黙。
先ほどよりも明らかに重い。
『タクミは』
「『リュウ』と返していた」
『…………』
ジョージは空を見上げた。
日本は、よく晴れていた。
電話の向こうでは、恐らく英国一面倒くさい伯爵が、凄まじい勢いで不機嫌になっている。
『ジョージ』
「今度は何だ」
『専用機は空いているか』
「知らない」
『調べてくれ』
「自分で調べろ」
『私は今、忙しい』
「日本へ来ようとしている人間の台詞ではないな」
『由々しき事態だ』
「呼び方が変わっただけだ」
『“だけ”ではない』
エドワードの声が、低くなる。
『タクミを“拓”と呼ぶ人間が、私の知らないところで増えている』
「君も普段はタクミと呼んでいるだろう」
『それとこれとは話が違う』
「どう違う」
『…………』
エドワードは答えなかった。
答えられなかった、と言った方が正しい。
ジョージは小さく笑う。
「安心しろ。龍平君にサエキを奪う気はない」
『当然だ』
「妹のことで頭がいっぱいだからな」
『当然だ』
「なら問題ないだろう」
『呼び方の問題は残っている』
「面倒だな、君は」
『知っている』
そこだけは、妙に素直だった。
ジョージはため息をつく。
「来たければ来ればいい。ただし、サエキには自分で説明しろ」
『何をだ』
「“他人が拓と呼ぶのが気に入らないので、専用機で来日しました”と」
『…………』
三度目の沈黙。
今度は先ほどまでとは種類が違った。
ジョージは勝利を確信する。
「では、僕は切るぞ」
『待て、ジョージ』
「何だ」
『龍平は、本当に“拓”と呼んだのか』
「呼んだ」
『……ぐぬぬ』
通話が切れた。
ジョージはしばらく無言で画面を見つめる。
そして、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「本当に面倒だな、エドワード」
その頃、遠く英国のハミルトンホールでは。
エドワード・ハミルトンが執務机の前で腕を組み、
「……拓」
と、一人で練習していたという。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




