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第五百五十六話 「ログ(証拠)とは、紙片や電子媒体へ保存された情報のことではなく、命を懸けて現場に残され、人の記憶と違和感を繋ぐ"生きた証拠"そのもののことである」という話

いやー、、こういうのほんと苦手なんだけど、

読んでておかしいのかどうかさえ分かんなくなってきた。

合同捜査本部は、深夜とは思えない熱気に包まれていた。

大型モニターには世田谷区一帯の地図。

無線が飛び交い、警察車両の現在位置が次々と更新されていく。


「北側エリア、第一班配置完了!」


「第二班、倉庫街へ向かいます!」


「機動捜査隊、現着まで八分!」


慌ただしく動く室内で、龍平だけは静かだった。

モニターの前に立ち、表示された地図を一つひとつ確認する。


黒いワンボックスが消えた地点。


道路幅

周辺施設

防犯カメラの死角

逃走可能な経路


すべてを頭の中で組み直していく。


「……よし。」


北側を中心に半径一キロ。


倉庫

資材置場

廃工場

空きテナント


合理的に考えれば、この範囲を虱潰しにしていけば必ず何かに当たる。

そう判断した瞬間だった。


「……違う。」


小さな声。

龍平は隣を見る。


拓海だった。

腕を組み、地図を見つめたまま眉を寄せている。


「佐伯さん。」


「ん?」


「何が違うんです。」


 拓海は答えない。


 画面をじっと見つめたまま、小さく呟く。


「……近い。」


「はい?」


「近いんだよ。」


「何がです。」


「分からん。」


龍平は思わず額へ手を当てた。


「またですか。」


「うん。」


「近いという根拠は。」


「ない。」


「でしょうね。」


いつものことだった。


証拠はない。

理屈もない。

だが、この人は時折、人では説明できない何かを拾ってくる。


それが腹立たしくもあり、恐ろしくもある。


「龍。」


「はい。」


「この地図。」


「はい。」


「綺麗すぎる。」


その言葉だけが、龍平の胸に引っ掛かった。


”綺麗すぎる”


犯罪者が残す痕跡は、本来もっと歪だ。


焦り

迷い

偶然

そうしたものが積み重なって一本の線になる。


だが今回の映像は違った。

あまりにも綺麗に南へ流れている。


まるで、

最初からそう見せるために作られたように。


「……。」


龍平は何も言わなかった。

まだ証拠はない。

だが、拓海の一言だけは頭の片隅へ置いておくことにした。


一方、その頃。


郊外にある古びた倉庫。

外壁は剥がれ落ち、人気もない。

深夜になれば大型車両が時折通るだけの場所だった。


冷たい床へ座らされた美咲は、小さく息を整える。


恐怖で身体は震えている。


それでも、

泣かなかった。


(落ち着いて。)


(落ち着いて。)


深呼吸を一つ。


目を閉じる。

耳を澄ませる。


足音。

一人。

二人。

三人。


扉の外にさらに二人。

誰かが右足を少し引きずって歩いている。


金属が擦れる音。

時計を見る癖のある男。

三分おきに通る大型トラック。


全部覚える。

一つ残らず。


(……きっと。)


(警察は来る。)


(だったら。)


(私も残さないと。)


身体検査を受けた時。

奇跡的に見つからなかった小さな髪留め。


指先だけをゆっくり動かす。


縄が食い込む。

痛い。


それでも止めない。

やっと届いた。


髪留めを床へ落とす。


小さな音。

誰も気付かない。

転がった髪留めは、床板の割れ目へ吸い込まれるように消えた。


(お願い。)


(誰でもいい。)


(ここにいたって。)


(気付いて。)


それだけだった。

地下施設。

大型スクリーンには東京都内の地図。

赤い点がゆっくりと南へ流れていく。


「管理者。」


部下が静かに頭を下げる。


「警察は予定通りです。」


「主力は高速方面。」


「南ルートへ誘導完了しました。」


ヴィクターは頷くだけだった。

画面を見つめたまま、一言。


「そうか。」


「警察は合理を選びます。」


部下は少し笑う。


「提示された証拠を疑いません。」


「違う。」


ヴィクターは静かに否定した。


「彼らは疑っている。」


「だから証拠を集める。」


「我々は。」


指先が地図の南側をなぞる。


「疑い方を設計しているだけだ。」


部下は黙る。

南へ伸びる一本の線。

誰の目にも分かりやすい逃走経路。


あれは逃走ではない。

見せるための情報。


枝。

警察が飛び付くために置かれた枝だった。


「幹は。」


ヴィクターは小さく呟く。


「見つからない。」


その時だった。


別のオペレーターが慌てて立ち上がる。


「管理者!」


室内の空気が変わる。


「一点。」


「想定外の動きがあります!」


ヴィクターは顔を上げない。


「報告。」


「世田谷署刑事、佐伯拓海。」


「……。」


「南ルートを離脱。」


「北側へ移動を開始しました。」


初めて。

ヴィクターの指が止まった。


「根拠は。」


「ありません。」


「防犯カメラ。」


「なし。」


「証拠。」


「ありません。」


オペレーターは言いにくそうに続けた。


「本人は。」


「……"違う気がする"と。」


室内が静まり返る。

ヴィクターは数秒間、何も言わなかった。


やがて静かに立ち上がる。


地図へ歩み寄り、北側を見つめる。


「勘か。」


誰へ向けた言葉でもない。


ただその一言だけが、

静かな部屋へ落ちた。


論理ではない。

証拠でもない。

情報でもない。


それだけは、この男が最も嫌うものだった。


そして最も予測できないものでもあった。

ヴィクターはゆっくり目を閉じる。


「……面白い。」


その声は小さかった。

だが部下たちは知っている。


管理者が興味を示した時。

それは必ず、予定が狂い始めた時だった。


*********


「全車、北側へ展開!」


吉岡の怒声が本部へ響き渡る。

それまで南へ向かっていた無線が、一斉に切り替わった。


「機捜一、方向転換!」


「生活安全、北側倉庫群へ!」


「鑑識も同行しろ!」


本部が一気に動き始める。

だが、その命令を最後まで聞いていた者は二人しかいなかった。


「龍。」


「はい。」


「行くぞ。」


「……はい。」


二人は同時に本部を飛び出した。

パトカーへ乗り込む。

エンジンが唸りを上げた。


「目的地。」


龍平がナビを開く。


「北側倉庫街。」


「違う。」


「……。」


「もう少し先。」


「佐伯さん。」


「ん?」


「今度は何です。」


「分からん。」


「でしょうね。」


龍平はため息をつきながらも、ハンドルを切った。


もう慣れていた。

この人の「違う」は、説明できない。

だからこそ厄介だった。


倉庫の中、美咲は顔を上げた。

遠くから微かにサイレンが聞こえる。


男たちも気付いた。


「警察か。」


「まだ早い。」


「南へ流したはずだ。」


焦りが広がる。

一人が携帯を取り出した。


「管理者へ連絡を──」


その時だった。

電話が鳴る。


「……はい。」


男の表情が変わる。


「え?」


短い沈黙。


「……分かりました。」


電話を切る。


「どうした。」


「移送は中止。」


「ここを捨てる。」


「女は。」


「連れて行け。」


美咲の心臓が大きく鳴る。


(動く。)


(今だ。)


立ち上がろうとした瞬間。

外からタイヤが砂利を踏み潰す音が響いた。


同じ頃。

地下施設。

部下が息を切らして駆け込んでくる。


「管理者!」


「北側へ警察車両が集中しています!」


ヴィクターは静かに画面を見つめた。


赤い点。

青い点。

その先頭を走る一台。


”佐伯拓海”


「……そうか。」


部下は言う。


「まだ間に合います。」


「対象を消去すれば。」


「違う。」


 ヴィクターは首を横へ振った。


「もう。」


「遅い。」


「しかし。」


「女一人です。」


「組織への影響は。」


ヴィクターは初めて部下へ視線を向けた。


「一人ではない。」


静かな声だった。


「彼女は。」


「生きた証拠だ。」


部下は言葉を失う。


「書類は焼ける。」


「記録媒体は壊せる。」


「監視映像も消せる。」


「だが。」


「人間は。」


「覚える。」


ヴィクターはゆっくり目を閉じた。


「足音。」


「匂い。」


「時間。」


「部屋。」


「人数。」


「どれも小さな情報だ。」


「だが。」


「佐伯拓海は違和感を拾う。」


「松本龍平は、それを証拠へ変える。」


モニターには北へ集まる警察車両。


「点は。」


「線になる。」


「線は。」


「枝になる。」


「枝は。」


静かに呟く。


「幹へ届く。」


長い沈黙。

ヴィクターはモニターの電源を落とした。


「……今回。」


「私の負けだ。」


倉庫街。

パトカーが止まる。

龍平は地図を見る。


「この辺りです。」


「違う。」


拓海はもう走っていた。


「佐伯さん!」


「こっち!」


「根拠は!」


「あるか!」


「ありませんね!」


龍平も追う。

二人は倉庫と倉庫の隙間を駆け抜けた。


その時、拓海の足が止まる。


「……龍。」


「はい。」


「ここ。」


古びた鉄扉。

人の気配はない。


だが拓海は迷わなかった。


「開けるぞ。」


「応援を。」


「待てない。」


「……分かりました。」


龍平は拳銃を抜く。

二人は目を合わせた。


一つ。

二つ。

三つ。


――ドンッ!!


鉄扉が内側へ吹き飛ぶ。


「警察だ!」


怒号が響く。

男たちが振り向く。


「逃げろ!」


「女を!」


最後まで言わせなかった。


拓海が一人目へ飛び込む。


龍平は拳銃を構えた。


「動くな!」


男が刃物を抜く。


「伏せろ!」


龍平の怒声。

次の瞬間。

拓海が男の腕を払い、そのまま床へ押さえ込んだ。


もう一人が逃げる。

龍平が追う。


狭い通路。

体当たりし、二人とも床へ転がる。


「終わりです。」


手錠の音が静かに響いた。


「……大丈夫ですか。」


龍平が縄を解く。

美咲は震えながら頷いた。


「怖かったね。」


拓海が優しく笑う。


「もう終わった。」


その言葉を聞いた瞬間。

張り詰めていた糸が切れた。


美咲はその場へ崩れ落ちる。

涙が止まらなかった。


「ありがとうございます……。」


拓海は何も言わず、自分の上着をそっと肩へ掛けた。

夜明け前、

サイレンが静かに鳴り続ける倉庫街を見つめながら、

ヴィクターは最後に一度だけ北の空を見た。


救われたのは、一人の少女ではない。

警察が手に入れたのは、一人の被害者でもない。


組織の奥深くへ続く、最初の一本の枝。

生きている証拠。


それを、自らの手で警察へ渡してしまった。


静かに目を閉じる。


「……次は。」


短く呟く。


「こちらから狩る。」


その言葉だけを残し、ヴィクターは暗闇の中へ姿を消した。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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