第五百五十五話 「同期(コンパイル)とは、猟犬の『こっちじゃない』という違和感を秀才が論理へ変え、囚われた少女へ至る唯一の道筋を再構築する現象のことである」という話
(:.;゜;Д;゜;.:)ハァハァ
刑事編がここまで長くなるとは(毎回)
【新章・前編 追跡のセクタ】
廊下へ飛び出した瞬間だった。
「龍!」
「はい!」
返事と同時に、二人は階段を駆け下りる。
夜風が肌を刺した。
アパート前の駐車場。
人影はない。
エンジン音も聞こえない。
静かだった。
静かすぎた。
龍平は舌打ちする。
「遅かった……!」
携帯を取り出す。
捜査本部へ…
違う。
”先に吉岡だ”
短縮番号を押す。
「松本です。」
『どうした。』
「誘拐です。」
一瞬。
電話の向こうが静まり返る。
『……詳しく。』
「十七歳女性。自宅から連れ去られました。」
『目撃は。』
「ありません。」
『争った形跡。』
「なし。」
『自発的外出の可能性。』
「ありません。」
龍平は即答した。
財布
鍵
上着
全部残っていた。
それだけで十分だった。
『分かった。すぐ動く。』
「周辺の防犯カメラを。」
『もう回す。』
電話が切れた。
その横で。
「龍。」
拓海が手を挙げる。
「はい。」
「チャリ。」
「……。」
駐輪場、
ママチャリが二台。
龍平は数秒黙った。
「乗ります。」
「おう!」
「パトカー来るまで待つ時間はありません。」
「だよな!」
二人は同時に自転車へ飛び乗る。
勢いよく漕ぎ出した。
「龍。」
「はい。」
「どっち。」
「駅。」
「おう。」
夜の住宅街を走る。
ペダルが重い。
息が上がる。
頭の中では、さっきの部屋が何度も繰り返されていた。
荒れていない。
悲鳴もない。
争った跡もない。
なのに、
”美咲だけがいない”。
「龍。」
「はい。」
「考えすぎ。」
「考えます。」
「今は走れ。」
「……。」
拓海は前だけを見ていた。
「刑事はな。」
「はい。」
「止まると遅れる。」
龍平は何も答えない。
その通りだった。
考えるのは後。
まず追う。
携帯が震えた。
「松本です。」
『吉岡だ。』
「はい。」
『カメラに映った。』
龍平は急ブレーキをかける。
拓海も止まる。
『黒のワンボックス。』
「時刻。」
『零時十三分。』
「方向。」
『南。』
「ナンバー。」
『偽造だ。』
「了解。」
電話を切る。
「佐伯さん。」
「ん?」
「南です。」
拓海は少しだけ考えて。
首を振った。
「違う。」
「……。」
龍平は思わず空を見た。
「まだ追跡映像を見てません。」
「うん。」
「南へ向かったそうです。」
「うん。」
「なら。」
「違う。」
「だから。」
「違う。」
「根拠は。」
「ない。」
龍平は頭を抱えた。
「ないんですか。」
「ない。」
「じゃあ何故。」
拓海は笑う。
「なんとなく。」
「それで事件は動かせません。」
「知ってる。」
「じゃあ。」
「龍。」
「はい。」
「お前が証明しろ。」
「……。」
「それ、お前の仕事。」
龍平は返事をしなかった。
悔しい。
悔しいが、
この人は、こういう勘だけは外さない。
「行くぞ。」
拓海がペダルを踏む。
「どこへ。」
「映像見る。」
「だから南なんですよ。」
「違う。」
「……。」
「龍。」
「はい。」
「腹減った。」
「知りません。」
「カツ丼。」
「帰ってからです。」
「ケチ。」
「誘拐事件です。」
「知ってる。」
「なら何故。」
「腹減るもん。」
龍平はため息をついた。
こんな状況でもこの人は何一つ変わらない。
それが少しだけ腹立たしくて、
少しだけ救いだった。
*********
捜査本部へ飛び込むと、室内は既に慌ただしく動き始めていた。
大型モニターには世田谷区内の道路映像。
机の上には地図。
無線が絶え間なく飛び交う。
「松本!」
吉岡が手を上げる。
「こっちだ!」
龍平はそのままモニターの前へ向かった。
「対象車両。」
「これだ。」
映し出されたのは黒いワンボックス。
アパート前を出た車が、交差点を右折し、世田谷通りへ入る。
さらに次の映像。
環八。
その次。
東名方面。
「綺麗に繋がってるな。」
佐藤が腕を組む。
「このまま高速だ。」
「神奈川へ抜ける気か。」
龍平は何も答えなかった。
画面をじっと見つめる。
時刻
信号
周囲の車
全部頭へ入れる。
「龍。」
横から拓海が覗き込む。
「近いです。」
「見えねぇ。」
「近いです。」
「老眼かな。」
「まだ三十代でしょう。」
「知らん。」
吉岡が苦笑した。
「お前ら相変わらずだな。」
「慣れてください。」
「無理だ。」
室内に小さく笑いが起きる。
重苦しい空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
その時だった。
「佐伯。」
吉岡がモニターを指した。
「どう思う。」
拓海は腕を組んだ。
じっと映像を見る。
一分
二分
誰も急かさない。
やがて拓海は一言。
「違う。」
吉岡が眉をひそめる。
「またか。」
「違う。」
「だから何が。」
「分からん。」
「……。」
「でも違う。」
龍平は額を押さえた。
始まった。
「佐伯さん。」
「ん?」
「具体的にお願いします。」
「だから分からん。」
「それでは。」
「でも嫌。」
「何がです。」
「この映像。」
「どこが。」
「綺麗。」
吉岡が龍平を見る。
龍平も困った顔を返した。
「毎回これなんです。」
「毎回当たるんだよな。」
佐藤がぼそっと呟く。
「……腹立つけど。」
「そうなんですよ。」
龍平は小さくため息を吐いた。
「佐伯さん。」
「ん。」
「私は証拠で動きます。」
「うん。」
「勘では動けません。」
「知ってる。」
「だから。」
「探せ。」
拓海はモニターを指差した。
「どっかにある。」
「違和感。」
「俺は見つけられん。」
「お前なら見つけられる。」
龍平は黙った。
その言葉だけは、不思議と信じられた。
「吉岡さん。」
「何だ。」
「アパートを出てから東名入口まで。」
「はい。」
「全映像ください。」
「全部か。」
「全部です。」
「前後の車も。」
「信号待ちも。」
「歩行者も。」
吉岡がニヤリと笑う。
「ほらな。」
「始まった。」
佐藤も肩をすくめる。
「松本が細かく見始めると長いぞ。」
「コーヒー淹れてくるか。」
「俺カツ丼。」
拓海が手を挙げる。
「ありません。」
龍平が即答する。
「じゃあラーメン。」
「ありません。」
「パン。」
「さっき食べようとしたでしょう。」
「見てた?」
「見てました。」
「怖い。」
「刑事ですから。」
「龍って意外と怖い。」
「あなたほどじゃありません。」
「ガハハ!」
笑い声が響く。
その横で、龍平は一つ目の映像を再生した。
停止。
巻き戻し。
再生。
停止。
もう一度。
今度は速度を落とす。
「……。」
まだ分からない。
だが、拓海が言った。
「違う。」
その一言だけが、頭から離れなかった。
**********
「……再生。」
龍平が小さく呟く。
モニターの中を、黒いワンボックスが走っていく。
停止。
巻き戻し。
再生。
停止。
「まだ見てるのか。」
佐藤が苦笑した。
「もう三十分だぞ。」
「はい。」
龍平は画面から目を離さない。
「まだです。」
「何が。」
「分かりません。」
「じゃあ何を探してる。」
「佐伯さんの"違う"です。」
佐藤が吹き出した。
「無茶苦茶だな。」
「ええ。」
龍平も否定しなかった。
「本人も理由分かってないんだろ?」
「分かってません。」
「よく付き合えるな。」
「……。」
龍平は少しだけ笑う。
「慣れました。」
「龍。」
後ろから声がする。
振り返ると、拓海が紙コップを二つ持って立っていた。
「コーヒー。」
「ありがとうございます。」
一口飲む。
甘い。
「……。」
「缶しか無かった。」
「そうですか。」
「文句言わない。」
「言いません。」
「偉い。」
拓海は満足そうに頷いた。
そのまま隣へ椅子を引く。
「分かった?」
「まだです。」
「そう。」
「佐伯さん。」
「ん?」
「本当に南じゃないんですか。」
「うん。」
「どうして。」
拓海は少し考える。
「逃げるじゃん。」
「はい。」
「逃げるなら。」
「はい。」
「見つかりたくない。」
「その通りです。」
「でも今回は。」
拓海はモニターを指差した。
「見つけてください、って走ってる。」
龍平は画面を見る。
「そんな風には。」
「見えん?」
「ええ。」
「俺には見える。」
「困りましたね。」
「頑張れ。」
「丸投げですか。」
「うん。」
「……。」
やっぱりこの人は説明が下手だ。
一時間後、
本部の人間は半分以上入れ替わっていた。
佐藤は別班へ。
吉岡は現場確認。
静かな部屋には、モニターの音だけが響いている。
龍平は六十本目の映像を開いた。
停止。
再生。
停止。
「……ん?」
初めて指が止まった。
車列の一番後ろ。
黒いワンボックス。
その後ろ
白い軽自動車。
そのさらに後ろ
配送トラック。
「違う。」
もう一度。
停止。
巻き戻し。
再生。
「吉岡さん。」
無線を取る。
『何だ。』
「コンビニ映像をください。」
『コンビニ?』
「高速手前の。」
『今送る。』
数秒後、別角度の映像が映る。
黒いワンボックスが駐車場へ入る。
運転席から男が降りる。
コンビニへ入る。
龍平は再び停止した。
「……。」
助手席。
誰も降りない。
後部座席。
見えない。
「佐伯さん。」
「ん?」
「ここです。」
拓海がモニターを見る。
「うん。」
「運転手が店へ入っています。」
「うん。」
「ですが。」
龍平は高速入口の映像へ切り替えた。
「ここ。」
「運転手の帽子が違う。」
拓海がニヤッと笑う。
「だろ。」
「帽子だけじゃありません。」
龍平の指が画面を走る。
「袖。」
「靴。」
「歩幅。」
「全部違う。」
「別人です。」
吉岡の声が飛ぶ。
『運転手を入れ替えた?』
「はい。」
「車は同じ。」
「でも人間は違います。」
部屋の空気が変わった。
「つまり。」
龍平は地図を開く。
「高速へ向かった車は、本命じゃない。」
「少なくとも。」
「アパートから連れ去った犯人ではありません。」
拓海が笑う。
「龍。」
「はい。」
「証明したな。」
「……ええ。」
「だから言った。」
「違うって。」
龍平は苦笑した。
「今回は。」
「あなたの勝ちです。」
「今回も。」
拓海が訂正する。
「今回も。」
「はいはい。」
「ガハハ!」
その笑い声の直後だった。
吉岡の怒鳴り声が本部へ響く。
『全班聞け!!』
『南ルートは囮だ!!』
『高速班は追跡継続!』
『生活安全、機捜、所轄は北側を洗え!!』
『車両乗り換え地点を中心に半径一キロ!』
『物流倉庫、資材置場、廃工場、全部だ!!』
本部が一斉に動き始める。
龍平も立ち上がった。
「佐伯さん。」
「ん?」
「行きますよ。」
「腹減った。」
「終わってからです。」
「カツ丼。」
「まだ言いますか。」
「頑張ったから。」
「頑張ったのは私です。」
「俺も勘頑張った。」
「勘を頑張るって何ですか。」
「知らん。」
龍平は思わず吹き出した。
緊張で張り詰めていた肩が、少しだけ軽くなる。
「行きましょう。」
「おう。」
二人は並んで本部を飛び出した。
その頃……
誰も知らない北の倉庫で、美咲は静かに息を整えていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




