第五百五十三話 「前提(パラダイム)とは、相棒の野生の違和感を数式の起点に据え、西欧の魔王と同期しながら、完成した隠蔽を内側から大爆破(逆探知)する現象のことである」という話
なんかもう
なんかもう
むりいいいい(´;ω;`)
翌朝。
世田谷署、合同捜査本部。
朝一番だというのに、室内はすでに慌ただしかった。
昨夜までに集められた資料が机の上を埋め尽くし、
ホワイトボードには人物相関図と地図が何枚も貼られている。
その中央には、赤い丸で囲まれた一つの名前。
【ヴィクター】
龍平は静かにホワイトボードを見つめたあと、手元の資料を閉じた。
昨夜までの捜査で分かったことは多い。
しかし、本当に知りたいことは一つも分かっていなかった。
「佐伯さん。」
「んー?」
缶コーヒーを片手に入ってきた拓海が、眠そうに片手を上げる。
「おはよ。」
「おはようございます。」
「眠そうだな。」
「猫です。」
「また?」
「夜中三時。」
「……ご愁傷さまです。」
拓海は自分の席へ座りながら笑った。
「今日は何から?」
龍平は資料を机へ置く。
「昨日までの調査結果を、一度全部外します。」
「……外す?」
「はい。」
拓海が眉を上げた。
「証拠はそのまま残します。」
「ただ。」
龍平はホワイトボードへ歩く。
「組み立て方を変えます。」
赤いマーカーを手に取る。
これまで引かれていた捜査線を一本ずつ消していく。
母・薫。
児童相談所。
養護施設。
支援団体。
アルバイト先。
ヴィクター。
どれも事実だった。
どれも間違っていない。
それでも。
「順番が違う。」
龍平は小さく呟いた。
「証拠から犯人を探しても、ここまで何も繋がらなかった。」
室内が静かになる。
捜査員たちも自然と手を止めていた。
龍平はホワイトボードの中央へ、新しく一つだけ言葉を書いた。
【違和感】
「今日から、この違和感を起点に捜査を組み直します。」
吉岡が思わず聞き返した。
「違和感……ですか?」
「はい。」
「根拠は?」
龍平は迷わなかった。
「佐伯さんです。」
部屋の空気が止まる。
拓海が缶コーヒーを飲みかけたまま固まった。
「おい。」
「昨日、佐伯さんは写真を見て違和感を覚えました。」
「理由は説明できない。」
「証拠もない。」
「ですが。」
龍平は静かに全員を見渡した。
「これまで、この人が言葉にできなかった違和感は、あとから必ず事実になっています。」
拓海が頭を抱える。
「だからやめろって。」
「責任取れねぇぞ。」
「責任は私が取ります。」
即答だった。
拓海は苦笑するしかなかった。
「龍。」
「はい。」
「お前さ。」
「はい。」
「変わったな。」
龍平は少しだけ笑う。
「佐伯さんのせいです。」
【海外セクタ:ハミルトン超法規的防衛網】
~世界の裏側を洗う双頭の鷲~
同時刻。
ハミルトン本邸、伯爵執務室。
エドワードは執務机の上に広げられた資料へ目を落としていた。
机の脇では複数のモニターが静かに稼働し、
世界各地の支社から送られてくる情報が絶え間なく更新されていく。
その一つが鳴った。
『ジョージだ』
「繋げ」
回線が切り替わる。
画面の向こうでは、ジョージ・ラングレーが端末へ向かったままキーボードを叩いていた。
『日本から追加情報だ』
「内容は」
『美咲を支援していた団体だ』
画面に資料が展開される。
『代表者は三年前に交代』
『後任は欧州で支援事業に携わっていた経歴がある』
エドワードは一枚ずつ目を通した。
「洗え」
『もちろん』
「代表者」
「前任者」
「資金提供者」
「関連法人」
「全てだ」
『了解』
ジョージの指が止まることはない。
法人登記。
寄付金。
送金経路。
物流会社。
ペーパーカンパニー。
世界中へ散らばっていた情報が、一つずつ同じ画面へ集約されていく。
『興味深いものがある』
「言え」
『匿名寄付が増え始めた時期が一致している』
『約二年前だ』
「経由口座は」
『General Logistics系列』
エドワードの目が細くなる。
「ヴィクターは」
『依然として消息不明』
『偽名候補は七つ』
『現在照合中』
ジョージは画面を切り替えた。
『だが、人は消えても』
『金は消えない』
『物流も消えない』
「日本は人を追う」
エドワードが静かに言う。
「こちらは流れを追え」
『了解』
「何か見えたら、すぐ龍平へ送れ」
『分かってる』
一瞬だけ沈黙が落ちる。
ジョージが苦笑した。
『タクミはもう動いてるよ』
「ああ」
エドワードは短く答える。
「だからこそ、急げ」
通信が切れる。
執務室は再び静寂に包まれた。
エドワードは窓の外へ目を向ける。
日本では、拓海たちが人の痕跡を追っている。
こちらは世界中を巡る金と物流の流れを追う。
異なる盤面。
異なる手法。
それでも最後に辿り着く場所は、きっと”同じ”だ。
「……間に合え」
誰にともなく漏れたその一言だけが、静かな執務室へ溶けていった。
【世田谷・夕刻のエンドログ】
~一秒ではなく、一日遅かった現在地~
夕刻。
世田谷署、合同捜査本部。
朝から動き続けていた捜査員たちが、少しずつ戻り始めていた。
机の上には、新しい資料が積み上がっている。
支援団体の内部記録。
職員の聞き取り。
周辺地図。
防犯カメラの静止画。
ホワイトボードには、朝にはなかった赤い線が何本も引かれていた。
支援団体。
借り上げ住宅。
アルバイト先。
駅。
コンビニ。
駐車場。
それぞれが、美咲の現在地へ向かう一本の線として繋がり始めている。
「松本さん」
佐藤がパソコン画面を振り返った。
「現在の居住先、確認できました」
龍平が席を立つ。
「名義は」
「美咲さん本人ではありません」
「支援団体の借り上げです」
「契約は継続中」
「電気と水道は」
「昨日まで使用記録があります」
龍平の動きが止まった。
「昨日まで?」
「はい」
佐藤が画面を拡大する。
「今日の午前以降、使用なし」
拓海が顔を上げた。
「部屋は」
「現在、所轄に確認させています」
「誰か行ってるのか」
「向かっています」
龍平は腕時計を見る。
午後六時十二分。
朝から。
支援団体。
職員。
口座。
住居。
防犯カメラ。
全てを洗い直し。
ようやく美咲の現在地へ手が届きかけていた。
机の上で、龍平の携帯電話が震えた。
画面に表示された番号を確認する。
支援団体の担当職員。
龍平はすぐに通話へ出た。
「松本です」
『松本さん……!』
声が震えていた。
龍平の目つきが変わる。
「どうしました」
『あの、美咲さんの部屋なんですが』
拓海が立ち上がる。
龍平は無言でスピーカーへ切り替えた。
「はい」
『昨日まで』
職員が息を飲む。
『昨日まで、確かにいたんです』
室内の空気が止まった。
キーボードを叩く音も。
紙をめくる音も。
すべて消えた。
「確認したんですか」
『近所の方が、夕方に見ています』
「今日は」
『いません』
「外出では」
『違います』
職員の声が詰まる。
『荷物が』
『全部、なくなっていて』
龍平の顔から、僅かに色が消えた。
「いつ出たか分かりますか」
『昨夜です』
『同じ階の住人が、夜遅くに廊下で物音を聞いています』
「車は」
『黒いワンボックスだったそうです』
「ナンバーは」
『見ていません』
「誰がいた」
『男の人が二人』
「美咲さんは」
一度、
息を飲む音がした。
『自分で荷物を運んでいたそうです』
拓海の表情が変わる。
「抵抗は」
『分かりません』
「助けを求めた様子は」
『なかったそうです』
龍平は机の端を強く掴んだ。
「表情は」
『……すみません』
『そこまでは』
短い沈黙。
「分かりました」
『松本さん』
「はい」
『美咲さんに』
職員の声が小さくなる。
『何かあったんでしょうか』
龍平は答えなかった。
答えられなかった。
朝。
拓海は言った。
写真を見ていると落ち着かない。
まだ何かが終わっていない気がする。
龍平は、その違和感を捜査の前提へ置いた。
証拠が出るまで待たなかった。
初めて拓海の勘を、数式の最初へ置いた。
それでも。
一日
遅かった。
「現場を保存してください」
龍平の声が低くなる。
「何も触らないでください」
『はい』
「所轄が到着するまで、部屋には入らないように」
『分かりました』
通話が切れる。
ツーツー。
無機質な音だけが残る。
誰も口を開かなかった。
龍平はゆっくりと携帯電話を下ろした。
「昨日」
拓海が呟く。
「ああ」
「昨日までいた」
龍平は答えた。
「荷物を全部持って」
「黒い車」
「男が二人」
拓海は机の上の写真へ視線を落とした。
笑っている。
何も変わらない。
ずっと、同じ顔で。
「……やっぱり」
龍平が振り向く。
拓海は写真から目を離さない。
「落ち着いてなかったんだ」
誰も何も言わなかった。
「ずっと」
拓海の指先が、写真の端に触れる。
「逃げる準備してたんじゃねぇ」
一度言葉を切る。
「いつでも連れていかれる準備してたんだ」
その言葉が。
合同捜査本部の中央へ、重く落ちた。
龍平は写真を見る。
朝には見えなかったものが。
今になって
僅かに形を持ち始める。
笑顔。
姿勢。
視線。
何も問題がないように見える。
何も起きていないように見える。
”完璧に普通でいようとする”少女。
普通でなければ、
誰かに気づかれるから。
普通でなければ、
何かが起きるから。
そうやって
ずっと
誰にも異常を悟られないように、生きてきたのだとしたら。
龍平は静かに息を吐いた。
「佐伯さん」
「ん」
「行きます」
拓海はすでに上着を掴んでいた。
「ああ」
「現場を確認します」
「おう」
「防犯カメラ」
「車」
「男二人」
「出た時間」
「向かった方向」
龍平の声が速くなる。
「全部追います」
拓海が短く頷いた。
「分かった」
龍平はホワイトボードへ向かった。
朝
自分で書いた文字。
【違和感】
その下へ。
赤いペンを走らせる。
【移送開始】
証拠があるから動くのではない。
違和感を。
証拠へ変えるために動く。
それが。
松本龍平が初めて選んだ、新しい捜査の前提だった。
そして
二人がようやく辿り着いた現在地は
管理者による絶対零度の移送シーケンスによって
わずか二十四時間前
完全なもぬけの殻へと
静かに上書きされていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




