第五百五十二話 「解析(デバッグ)とは、積み重なった証拠(ログ)の中のたった一つの違和感(ノイズ)から、完成した数式(正解)そのものを書き換える現象のことである」という話
目標、あと20話以内に本編完結うう(´;ω;`)
翌朝。
世田谷署、捜査会議室。
「鑑識から戻ってきました」
龍平が分厚いファイルを机の上へ置いた。
まだ朝だというのに、机にはすでに資料の山ができている。
拓海は欠伸を噛み殺しながら、紙コップのコーヒーを片手に席へ着いた。
「おー」
「眠そうですね」
「眠い」
即答だった。
「昨日、遅かったんですか」
「猫が夜中に暴れた」
「……そうですか」
龍平はそれ以上聞かなかった。
どうせ詳しく聞けば、事件とはまったく関係のない話へ脱線する。
ファイルを開く。
「写真ですが、すべて本物です」
「へぇ」
「加工、合成ともに痕跡はありません」
「うん」
「撮影時期も、確認できた経歴と一致しています」
龍平は写真を一枚ずつ机へ並べていく。
施設の庭。
学校の廊下。
文化祭。
夏祭り。
笑顔。
笑顔。
また、笑顔。
「妹、美咲」
一枚目の写真を指で押さえる。
「当時十一歳」
「母親の死亡後、児童相談所で一時保護」
ページをめくる。
「その後、児童養護施設へ入所」
さらにページを送る。
「十六歳で退所」
「現在は支援団体の援助を受けながら、高校へ通っています」
「生活費を補うため、アルバイト歴あり」
「事件歴、補導歴、失踪届。いずれも確認されていません」
龍平は資料を閉じた。
「つまり」
一度、机の上の写真へ目を落とす。
「少なくとも母親の事件以降は、支援を受けながらも大きな問題を起こさず生活していた
可能性が高いと思われます」
「ふーん」
拓海はコーヒーを飲みながら、並べられた写真を眺めている。
返事が軽い。
龍平はもう慣れていた。
「先輩」
「んー?」
「聞いてました?」
「聞いてた聞いてた」
「本当に?」
「妹」
「十一歳」
「施設」
「高校生」
「今んとこ普通」
「……」
「合ってる?」
「合っています」
「じゃあ聞いてた」
龍平はため息をついた。
「一応、聞いていたんですね」
「だから聞いてるって」
そう言いながら、拓海は一枚の写真を持ち上げた。
夏祭り。
浴衣姿の少女が、カメラに向かって笑っている。
「……なあ」
「はい」
「これ、いつ?」
龍平は資料へ視線を落とした。
「保護されてから、およそ一年後です」
「こっちは」
「中学三年の文化祭」
「これは」
「高校一年です」
拓海は写真を並べ直す。
一枚。
二枚。
三枚。
年代順に置いたかと思えば、また順番を入れ替える。
「……」
何も言わない。
龍平も口を挟まず、その様子を見ていた。
沈黙が一分ほど続く。
やがて、拓海が低く口を開いた。
「なんか」
「はい」
「ヤダ」
龍平は瞬きをした。
「……何がです」
「写真」
「どこが」
「知らん」
「知らない?」
「うん」
拓海は首を傾げた。
「なんか変」
「ですから、どこが」
「だから知らんって」
写真を見たまま、低く唸る。
「んーーー……」
「……」
「なんだろ」
「……」
「落ち着かねぇ」
龍平は拓海の手から写真を受け取った。
夏祭り。
文化祭。
学校の廊下。
どれも笑っている。
どこにでもある、普通の写真だ。
少なくとも龍平には、そうとしか見えない。
「私は、特に違和感はありません」
「ああ」
拓海も素直に頷いた。
「俺も説明できねぇ」
「……」
「でも」
机の上の写真を指先で軽く叩く。
「嫌なんだよなぁ」
「勘ですか」
「多分」
「またですか」
「また」
龍平は小さく笑った。
「その勘、外れたことありましたっけ」
拓海は少し考えた。
「ある」
「あります?」
「多分」
「多分?」
「覚えてない」
「それは、多分ないんですよ」
「そう?」
「はい」
拓海は困ったように笑った。
「でも今回は、外れててほしいな」
その一言で、部屋の空気が少しだけ静かになった。
龍平はもう一度、写真へ目を落とす。
やはり分からない。
どれも普通だ。
少女は笑っている。
施設でも。
学校でも。
祭りでも。
どこにでもある笑顔だった。
それでも拓海だけは、最後まで写真から目を離さなかった。
その時だった。
机の上で、携帯電話が震えた。
龍平が画面を確認する。
「ラングレーさんです」
すぐに通話へ出た。
「おはようございます」
『リュウヘイか』
落ち着いた声だった。
普段と変わらない。
「何かわかりましたか」
『結論から言おう』
一拍。
『ヴィクターという男は実在する』
拓海が顔を上げた。
龍平は無言でスピーカーへ切り替える。
『住所も勤務先も確認できた』
『生活歴にも不自然な点はない』
「本人は」
『いない』
短い返答だった。
「逃げましたか」
『いや』
ジョージは静かに答える。
『消えた』
部屋の空気がわずかに張り詰める。
龍平は手元のメモへ素早く書き込んだ。
『最後の目撃は三週間前』
『それ以降、勤務先にも姿を見せていない』
『近隣住民の証言も同じだ』
「分かりました」
龍平は短く返す。
『それと、もう一件ある』
「はい」
『妹だ』
拓海の指先が止まる。
『施設退所後の生活までは、日本側の資料と一致した』
「はい」
『現在も高校へ在学していた記録までは確認できた』
一拍。
『だが、その後の所在が確認できない』
龍平が眉をひそめる。
「失踪ですか」
『正式な届出は出ていない』
『成人ではない以上、単純に家を離れたという話では済まない』
『しかし、現時点で事件として扱われた記録もない』
龍平は黙って続きを待つ。
ジョージは静かに続けた。
『最後に対応した支援団体の職員が、一つだけ気になる証言を残している』
「何でしょう」
『最近、誰かに見られている気がすると話していたそうだ』
沈黙が落ちる。
誰も口を開かなかった。
拓海は机の上の写真へ視線を落とす。
さっきまで見ていたものと、何一つ変わらない。
少女は笑っている。
施設でも。
学校でも。
夏祭りでも。
変わらず笑っている。
それなのに。
「……ほら」
ぽつりと呟く。
龍平が振り向いた。
「先輩」
「だからヤだったんだよ」
「理由は」
「知らん」
即答だった。
「でも」
拓海は写真を一枚持ち上げる。
「これ見てるとさ」
少しだけ目を細めた。
「『よかったな』って思えないんだよ」
「……」
「笑ってるのにな」
その一言だけだった。
ジョージは何も言わない。
龍平も言葉を返せない。
説明はない。
証拠もない。
あるのは、一人の刑事が最後まで言葉にできなかった違和感だけだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。
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