第五百四十七話 「違和感(ノイズ)とは、証拠が不足している状態ではなく、証拠が揃っているにもかかわらず、自分だけが納得できないという、人間だけが持つ極めて厄介な検知機能のことである」という話
バカ回が書きたい・・・
【合同捜査本部・朝】
~共有された違和感~
早朝の合同捜査本部。
昨夜から積み上げられた資料が、机いっぱいに広がっていた。
松本龍平は、一睡もしていない灰色の瞳のまま、画面を静かに見つめ続けている。
昨日見つけた違和感。
倒産。
退職金。
収入。
生活履歴。
登記。
口座。
あらゆる情報を洗い直した。
もう一度。
さらにもう一度。
だが……
合理的に説明できる決定的な証拠は、どこにも見当たらない。
龍平は静かに口を開いた。
「……佐伯さん。」
拓海は缶コーヒーを飲みながら顔を上げる。
「ん?」
「少し、お時間をいただけますか。」
「いいぞ。」
龍平はモニターを拓海へ向けた。
「昨日。」
「あなたは、この人物を見て『嫌な匂いがする』と言いました。」
「ああ。」
「どこですか。」
「……。」
「何が、あなたにそう思わせたのですか。」
拓海は資料へ目を落とす。
数秒。
十秒。
じっと眺め続ける。
そして、頭を掻きながら困ったように笑った。
「……わからん。」
龍平は眼鏡を押し上げた。
「わからない、ですか。」
「だから困ってる。」
「理由は。」
「知らん。」
「ですが。」
「嫌なんだ。」
沈黙。
龍平は資料へ目を戻す。
「収入ですか。」
「違う気がする。」
「会社ですか。」
「違う。」
「人間関係ですか。」
「……うーん。」
拓海は腕を組む。
「全部見終わったあと。」
「最後に。」
「なんか嫌だった。」
龍平は小さく息を吐いた。
「それでは捜査になりません。」
「そうだな。」
「理由がありません。」
「うん。」
「証拠もありません。」
「うん。」
「……。」
拓海は苦笑する。
「だから、お前に聞いてんだよ。」
龍平はゆっくり顔を上げた。
「私、ですか。」
「俺は違和感しか拾えねぇ。」
「理由までは分からん。」
「でも。」
「お前なら説明できるだろ。」
その言葉に、龍平は黙り込んだ。
資料を閉じる。
開く。
閉じる。
昨日から何度も繰り返している動作だった。
拓海は何も言わない。
急かさない。
答えも教えない。
ただ静かに待っている。
やがて龍平が口を開いた。
「佐伯さん。」
「ん?」
「逆に、お聞きします。」
「おう。」
「この人物。」
「あなたには普通に見えますか。」
拓海は即答した。
「見えねぇ。」
「どこが。」
「だから知らん。」
龍平は思わず口元を緩めた。
「困りましたね。」
「だろ。」
二人は少しだけ笑う。
短い沈黙。
龍平は椅子にもたれ、天井を見上げた。
そして、静かに言った。
「……分かりました。」
拓海が首を傾げる。
「ん?」
「あなたは勘が良いわけではありません。」
「なんだそれ。」
「むしろ、その逆です。」
拓海は眉をひそめた。
「は?」
「普通の刑事なら。」
「どこかで納得します。」
「会社は倒産した。」
「証拠もない。」
「終わりだ。」
「そう判断して捜査を終えます。」
龍平は資料へ目を落とした。
「ですが、あなたは納得できない。」
「どれだけ証拠が揃っても。」
「自分の中で辻褄が合わなければ。」
「終われない。」
拓海は静かに龍平を見る。
龍平は続けた。
「だから。」
「あなたの中には、証拠では消えない違和感だけが最後まで残る。」
「それが、あなたの刑事としての強さです。」
数秒。
拓海は照れくさそうに笑った。
「……そうかもな。」
龍平は深く頷いた。
「あなたは答えを知っているわけではない。」
「違和感だけを持っている。」
「ならば。」
「私の仕事は、その違和感を論理に変えることです。」
拓海は缶コーヒーを机へ置いた。
「そう。」
「それだ。」
「俺が欲しかったのは、それなんだ。」
龍平は再びキーボードへ向き直る。
もう会社だけは追わない。
数字だけも追わない。
”佐伯拓海が、どうしても納得できなかったもの”
その正体を論理として証明する。
それが今、自分に与えられた役目なのだと、龍平は初めて理解した。
【General Logistics・地下機密セクタ】
~思考の対象~
巨大なモニターには、合同捜査本部の報告が静かに流れていた。
部下がヴィクターへ報告する。
「管理者。」
「松本龍平。」
「調査対象を変更しました。」
ヴィクターは資料から目を離さない。
「内容は。」
「会社ではありません。」
「佐伯拓海本人です。」
一瞬だけ。
ページをめくる指先が止まった。
「……そうか。」
短い沈黙。
「面白い。」
部下は続ける。
「排除対象へ変更しますか。」
ヴィクターは首を横へ振る。
「いや。」
「まだだ。」
「松本龍平は答えを知らない。」
「佐伯拓海も答えを知らない。」
「今はまだ。」
「違和感を共有しただけに過ぎない。」
ヴィクターは静かに資料を閉じた。
「だが。」
「刑事が事件ではなく。」
「刑事を解析し始めた。」
「そこだけは予定外だ。」
部下は黙って頷く。
ヴィクターは再びモニターへ視線を向けた。
「見せてもらおう。」
「佐伯拓海という男の違和感が。」
「どこまで論理へ変換されるのかを。」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




