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幕間 「抱擁(ホールド)とは、重罪犯を組み伏せることではなく、大型犬に三人の子ども達がぶら下がる日常と、帰り際の「またきてね」だけで、秀才の居場所が少しずつ書き換えられていく現象のことである」という話

日常回は癒し

【世田谷の3LDK・夜】

~災害パラディンの通常運転~


港のコンテナ。

二十年前の写真。


そして、松本薫という一人の女性。

合同捜査本部では重たい空気が流れ続けていた。


だが

その夜の佐伯家だけは、事件など最初から存在しない世界のように、今日も賑やかだった。


玄関の鍵が開く。


「ただいま。」


その一言だけで。


「おとうしゃーーん!!」


四歳の悠馬が一直線に飛び出してくる。


その後ろから。


「きゃー!」


「だっこー!」


二歳になった凛と蘭も競争するように駆け寄った。


「おーおー。」


「今日は元気だな。」


拓海は笑いながらしゃがみ込む。


右腕で悠馬を抱き上げる。

左腕には凛。

その隙に蘭が器用によじ登り、右肩へ。


「おい。」


「肩は反則だろ。」


そう笑いながら立ち上がる。


両腕。

右肩。

合計三人。


それでも拓海は何事もなかったようにリビングを歩き始めた。


菜摘は苦笑する。


「あなた。」


「重くないの?」


「ん?」


拓海は首を傾げた。


「いつもこんなんじゃん。」


その時だった。


ピンポーン。


インターホンが鳴る。

菜摘が玄関へ向かった。


「はい。」


「夜分遅くに失礼します。」


松本龍平だった。

追加資料を届けに来たらしい。


「松本くん。」


「ありがとう。」


「どうぞ。」


「……失礼します。」


龍平は何度目かとなる佐伯家へ足を踏み入れた。

初めて来た時ほど緊張はしていない。


家の匂いも。

玄関の広さも。

もう知っている。


だが、

リビングへ入った瞬間。


「……。」


また止まった。


拓海が三人の子どもをぶら下げたまま歩いている。


しかも普通に。


「佐伯さん。」


「ん?」


「その状態は。」


「一体どういう理屈ですか。」


拓海は不思議そうな顔をした。


「理屈?」


「いや。」


「いつも通りだけど。」


「……。」


龍平は小さく眼鏡を押し上げた。


「やはり。」


「規格外ですね。」


「まつもとおじちゃーん!」


龍平が振り向く。

悠馬だった。


「あ。」


「覚えていましたか。」


「うん!」


「まつもとおじちゃん!」


満面の笑み。

龍平は少しだけ驚く。


以前、会ったのはほんの短い時間だけだった。


それでも。

子どもはちゃんと覚えていた。


「……記憶力は良いようですね。」


「えへへ。」


悠馬は得意そうに笑った。

菜摘が麦茶を運んでくる。


「松本くん。」


「麦茶でいい?」


「ありがとうございます。」


龍平はソファへ腰掛けた。

以前ほど居心地は悪くない。


でも、やはり…

この家は眩しかった。


拓海は子ども達に囲まれて笑っている。

菜摘は穏やかに微笑んでいる。


笑い声が絶えない。

そこだけ時間の流れが違う。

自分とは無縁だった世界。


「おじちゃん。」


悠馬が知育玩具を抱えてやってきた。


「これ。」


「できない。」


龍平は黙って受け取る。


数十秒。


カチ。


最後のピースがはまる。


「できました。」


悠馬は目を丸くした。


「しゅごーーい!!」


「おじちゃん!」


「またやって!」


龍平は思わず小さく笑った。


「……暇があれば。」


時計は二十二時を回っていた。


「それでは。」


龍平は立ち上がる。


「ありがとうございました。」


玄関へ向かう。


靴を履いていた、その時だった。


「まつもとおじちゃーん!!」


廊下を小さな足音が駆けてくる。


悠馬だった。

小さな手を精一杯振りながら笑う。


「またきてね!!」


龍平は一瞬だけ動きを止めた。

その笑顔を見つめる。


そして。

ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……ええ。」


「また。」


静かに扉を閉める。


成城のアパート。


誰もいない部屋。

スーツを脱ぐ。


机の上には。


『真実を知りたくないか』


そう書かれた封筒。


写真。

事件。

管理者。

これから踏み込む地獄。

全部そこにある。


それなのに。

頭へ浮かんだのは。


「まつもとおじちゃん!」


「またきてね!!」


龍平は椅子へ腰を下ろした。


「……。」


小さく息を吐く。


「……不思議な家族ですね。」


そう呟くと。

封筒へ視線を戻す。


「だからこそ。」


「守らなければ。」


誰に聞かせるでもない。

小さな独り言だけが、静かな部屋へ溶けていった。


【日本・ハミルトン日本支社】


その頃

残業を終えたジョージは、苦笑しながら携帯電話を耳へ当てていた。


「エドワード。」


『何だ。』


「ちょっと報告。」


『聞こう。』


「松本刑事。」


「また佐伯家へ行ってきた。」


『またか。』


「そう。」


「で。」


「悠馬くん。」


「完全に懐いてた。」


沈黙。

ジョージは笑いを堪えながら続ける。


「帰り際さ。」


「"またきてね!"だって。」


数秒。

完全な沈黙。


そして。


『…………マツモト。』


ジョージは吹き出した。


「その反応、絶対ギギギしてるだろ。」


『違う。』


「そう?」


『……非常に複雑だ。』


パキィィィン!!

ジョージは額を押さえた。


「また万年筆?」


『……十三本目だ。』


「だから経費じゃ落ちないって、それ。」


電話の向こうで静かにため息をつくエドワード。

窓の外、ウィルトシャーの夜空を見上げながら、小さく呟いた。


「……マツモト。」


「君は。」


「タクミの相棒だけでなく。」


「悠馬くんのおじちゃん枠まで獲得したというのか。」


ジョージは腹を抱えて笑った。


「そこ張り合う相手じゃないだろ、エドワード。」


窓の外には、ただ夜の闇だけが広がっていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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