第五百三十一話 「祝福(パケット)とは、最も欲しかった言葉を、最も望まなかった現実の中で受け取り、西欧の魔王が「ありがとう」と微笑む現象のことである」という話
拓海
「おめっとさん!!^^」
エドワード
(……ありがとう。)
(本当にありがとう。)
(君が祝ってくれることが、一番嬉しい。)
(……。)
(……でもさ。)
(お前がいいんだよ、私はああああああああああ!!(´;ω;`))
(なんだよ。)
(なんで結婚相手がお前じゃないんだよ。)
(いや、違う。)
(最初から分かってる。)
(そんな未来は最初から存在しない。)
(だから言わない。)
(言うつもりもない。)
(でも……。)
(なんだよ。)
(松本って誰だよ。)
(そこ私の席だろ!!)
(なんで二年間でそんな完璧な相棒になってるんだよ!!)
(私が十年以上かけて築いたポジションを二年で取るなあああああ!!)
(´;ω;`)
→以上。エドワードの本音でした。
アメリカでの契約を終えて、数日後。
ウィルトシャー、ハミルトンホール。
深夜の執務室に、静かな雨音だけが響いていた。
エドワード・ハミルトンは、机の上に置かれた書類へ目を落としていた。
北米支社。
合併契約。
ジェシカ・ブラウンとの婚姻契約。
どれも完璧に整っている。
伯爵として必要な責務は、一つずつ処理されていた。
後継。
爵位。
家。
ハミルトンという巨大な檻。
そのすべてを未来へ繋ぐために、自分は正しい選択をした。
そう思っている。
迷いはない。
後悔もない。
ただ。
一人だけ、報告しなければならない相手がいた。
エドワードは、静かに受話器を取る。
国際回線。
日本。
世田谷。
呼び出し音は一度だけだった。
『もしもし、エド! 久しぶりだな!』
相変わらずの声だった。
二年の刑事生活を経ても、泥にまみれて現場を走り回っていても、
その声だけは何一つ変わらない。
エドワードは、ほんの少しだけ目元を緩めた。
「元気そうだね、タクミ」
『おう! そっちこそ元気か? ちゃんと飯食ってるか?』
「君に心配されるとは思わなかったよ」
『なんだよ! 俺だって人の心配くらいするぞ!』
「知っている」
静かな笑みが漏れる。
本当なら、もっと他愛のない話をしていたかった。
菜摘のこと。
悠馬のこと。
生まれたばかりの双子のこと。
刑事課での話。
松本龍平という相棒のこと。
聞きたいことはいくらでもあった。
けれど、今日は違う。
エドワードは短く息を整えた。
「タクミ」
『ん?』
「今日は、君に報告があってね」
『なんだ?』
「結婚することになった」
一瞬。
電話の向こうが静かになった。
そして次の瞬間。
『うおおおおお!! おめっとさん!!!!』
受話器の向こうから、あまりにも真っ直ぐな祝福が飛び込んできた。
エドワードは動かなかった。
ただ、目を閉じる。
『いやー、びっくりした! ついにエドもか!』
『菜摘ー! エドが結婚するってよ!』
遠くで菜摘の声が聞こえる。
『えっ、本当に!? エドワードさんが!?』
『本当だって! いやー、めでたいな!』
電話の向こうが、一気に生活の音で満たされていく。
拓海の笑い声。
菜摘の驚いた声。
きっと近くでは、幼い悠馬が何か分からないまま騒いでいるのだろう。
その全部が、遠くて、眩しかった。
”嬉しかった”。
嘘ではない。
拓海が心から祝ってくれている。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
だからこそ。
ほんの少しだけ、喉の奥が苦しかった。
『相手はどんな人なんだよ?』
「アメリカの実業家だ。非常に優秀で、合理的な女性だよ」
『すげぇな! さすがエド! 写真ある?』
「送ろう」
短い操作音。
数秒後、電話の向こうで拓海が声を上げた。
『うお、美人!』
菜摘の声も重なる。
『本当だ、綺麗な人ね』
『だろ? さすがハミルトン!』
「……そういう問題ではないと思うけれど」
『いやー、いいじゃん!』
拓海は笑う。
本当に。
何も知らずに。
何も疑わずに。
ただ、親友の未来を祝っている。
『エド』
「何だい」
『幸せになれよ!』
その一言だった。
世界中のどんな契約書よりも。
どんな爵位よりも。
どんな責務よりも。
その飾り気のない一言だけが、真っ直ぐ胸へ届いた。
”幸せ”。
自分は、幸せになるために結婚するわけではない。
伯爵として。
家を残すため。
ハミルトンを次へ繋ぐため。
そのために、合理的な契約を結んだだけだ。
だが。
電話の向こうの男は、そんな事情を知らない。
知ったとしても、きっと同じ顔で笑うのだろう。
幸せになれよ、と。
真っ直ぐに。
エドワードは、小さく笑った。
「……ありがとう、タクミ」
本心だった。
それ以外の言葉は、出てこなかった。
『式はするのか?』
「一応はね。伯爵家として必要だから」
『行きてぇ!』
「……来るかい?」
『行けるなら行く!』
即答だった。
エドワードは、思わず吹き出す。
「仕事はどうするんだい」
『あ』
「君は今、忙しいのだろう」
『……休み取る!』
「取れるといいね」
『任せろ!』
「根拠は?」
『ない!』
「君らしいよ」
短いやり取り。
それだけで、いつもの二人に戻る。
どれだけ時間が経っても。
どれだけ距離が離れても。
この男だけは、変わらない。
『とにかく、おめでとうな、エド!』
「ああ」
『ちゃんと幸せになれよ!』
「……努力するよ」
『努力ってなんだよ! そこは普通に幸せになるって言え!』
「検討しよう」
『検討すんな!』
その声に、エドワードはまた笑った。
しばらく他愛のない話をして、通信は切れた。
執務室に静寂が戻る。
雨音だけが、窓の外から聞こえていた。
エドワードは、受話器をゆっくりと置く。
「……おめっとさん、か」
小さく呟く。
思わず、口元が緩んだ。
嬉しかった。
あれほど迷いなく祝われるとは思わなかった。
あの男は、いつだってそうだ。
何も知らず。
何も疑わず。
ただ、相手の幸福を願う。
だからこそ、少しだけ苦しい。
エドワードは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
ウィルトシャーの夜は雨に濡れている。
庭園は霧に沈み、遠くの灯りだけがぼんやりと滲んでいた。
「……まったく」
小さく息を吐く。
「君は最後まで」
そこで言葉を切る。
少しだけ笑った。
「残酷なくらい、優しいな」
返事はない。
当然だ。
それでも、電話の向こうで笑っていた親友の声は、まだ耳の奥に残っている。
『おめっとさん。幸せになれよ。』
その言葉をくれたのが拓海であることが、たまらなく嬉しい。
その言葉を拓海に言われたことが、ほんの少しだけ苦しい。
その矛盾を、エドワードは誰にも言わない。
言う必要もない。
ただ、胸の奥の一番深い場所へ、静かにしまい込む。
やがて彼は執務机へ戻った。
書類はまだ山ほど残っている。
伯爵としての仕事は終わらない。
万年筆を手に取り、インクを確かめる。
そして、いつも通りの無表情で書類へ向かった。
窓の外では、イギリスの雨が静かに降り続いていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




