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第五百二十五話 「影とは、人の後ろにできるものではなく、一つの偽造旅券の先で、巨大な組織が静かに動き始める現象のことである」という話

サスペンスみたいになってるけどうまくいくかどうか・・・_| ̄|○

深夜、極東のどこか。

地図にも記録にも存在しない地下施設。


窓はない。

外の音も届かない。

白い照明だけが、無機質な空間を冷たく照らしていた。


壁一面を埋め尽くす大型モニターには、世界各地から流れ込む情報が絶え間なく映し出されている。


失踪。

偽造旅券。

密入国。

人身売買。

臓器売買。

国際送金。

一人の人生が、たった数行の文字列へ変換され、何の感情もなく処理されていく。


その中央。


黒い椅子に腰掛け、一つの画面を静かに眺める男がいた。

誰も本名を知らない。

組織では、ただ一つの呼称だけで呼ばれている。


”男①”


部屋へ一人の男が入ってきた。


「失礼します。」


男①は視線を動かさない。


「報告です。」


部下は一枚の資料を机へ置いた。


「極東、日本。」


「警視庁管内の人事異動です。」


紙をめくる音だけが静かに響く。


「世田谷署刑事課。」


「佐伯拓海。」


「成城署刑事課。」


「松本龍平。」


「両名とも正式に刑事課へ配属されました。」


沈黙。

数秒。

男①は資料を見ることなく口を開く。


「知っている。」


部下は一瞬だけ息を止めた。


男①は続ける。


「予定通りだ。」


それだけだった。

まるで、初めからその未来しか存在しなかったかのように。


部下は恐る恐る口を開く。


「……監視は継続しますか。」


「当然だ。」


男①の指先が静かに机を叩く。


「佐伯拓海。」


「大学時代より観察中。」


画面が切り替わる。


若い拓海。

英国。

寄宿学校。

大学。

卒業。

警察学校。

刑事課。

写真が年代順に並ぶ。


そのどれもが、誰かに撮られたものだった。


男①は淡々と言う。


「予測値を、毎回上回る。」


部下は黙っていた。


次の画面。


松本龍平。

警察学校。

成績。

配属。

異動。


「松本龍平。」


「警察学校時代より観察中。」


「論理思考能力、優秀。」


「感情制御、良好。」


「適応速度、想定以上。」


部下は思わず尋ねた。


「二人とも……監視対象だったのですか。」


男①は静かに答える。


「最初からだ。」


部屋の空気がさらに冷える。


今回の偽造旅券事件。


それは偶然でも失敗でもない。


組織にとっては

二人の現在地を確認するための、一つの観測点にすぎなかった。


男①は静かに言う。


「合同捜査本部が設置される。」


部下が顔を上げる。


「まだ、その段階では——」


「設置される。」


その口調に迷いはない。


「佐伯は違和感を拾う。」


「松本は証拠へ変える。」


「互いを補完し始める。」


「時間の問題だ。」


部下は背筋に冷たいものが走る。


この男は

”未来を予測しているのではない”。

”未来を確認しているように見えた”。


部下は小さく息を呑んだ。


「……では、こちらを。」


男①の前に、新たなフォルダが展開される。

画面上部には、無機質な文字。


**《ARCHIVE》**


その下には、年代も国籍もバラバラな名前が並んでいた。


英国。

日本。

フランス。

ドイツ。

アメリカ。

世界中の人間が、一つのデータベースへ無造作に収納されている。


部下は説明を続けた。


「組織設立以前から現在までの関連人物です。」


「協力者。」


「観察対象。」


「処理対象。」


「保護対象。」


「行方不明者。」


「死亡確認済み。」


「所在不明。」


感情の欠片もない分類だった。

人の人生が、たった一つの項目で整理されていく。


男①は無言のまま画面を眺める。


やがて、一つの名前でカーソルが止まった。


~~~~


松本 薫


~~~~


部下が静かに報告する。


「対象番号三〇七一。」


「監視終了。」


「ステータス──Archive。」


男①は表情一つ変えない。


「理由は。」


「最終報告書は閲覧制限レベルAです。」


「現在、閲覧権限を保有するのは貴方のみになります。」


男①は数秒だけ黙った。


「……そのままでいい。」


「はい。」


画面は閉じられる。


そこには理由も経緯も表示されなかった。


事故なのか。

裏切ったのか。

殺されたのか。

それとも、まだどこかで生きているのか。


部下にも分からない。

分かる必要もない。


組織にとって重要なのは、結末だけだった。


「松本龍平への影響は。」


部下は別の資料を開く。


「ありません。」


「本人は母親を、自ら蒸発したものと認識しています。」


「父親についても同様です。」


男①は小さく頷いた。


「ならば問題ない。」


その一言で、この話題は終わった。


まるで一人の人生など、何の価値もないかのように。


部屋の空気だけが、さらに冷え込んでいく。


*******


「続いて、佐伯拓海です。」


画面が切り替わる。


そこに並んでいたのは、拓海の経歴ではなかった。


時系列だった。


英国留学。

ハミルトン家との接触。

大学卒業。

警察学校。

刑事課配属。

偽造旅券事件。


男①は静かに眺める。


「接触は。」


部下が答える。


「ありません。」


「現在も、本人は組織の存在を認識していません。」


「ジョージ・ラングレーとの接触状況は。」


「継続しています。」


「ハミルトングループ日本支社を拠点に、佐伯拓海との交流を維持。」


男①は初めて、ほんの僅かに目を細めた。


「予定より早いな。」


部下は言葉を失う。


「ジョージは優秀だ。」


「……いずれ気付く。」


「だが、それで構わない。」


「気付いた時には、もう止められない。」


その声には、自信すらなかった。


確信だけがあった。


「合同捜査本部。」


男①は静かに呟く。


「設置される。」


「佐伯拓海。」


「松本龍平。」


「ジョージ・ラングレー。」


「ハミルトン。」


「全員が、一つの事件へ集まる。」


部下は思わず問いかける。


「そこまで読めるのですか。」


男①は首を横へ振る。


「違う。」


静かな声だった。


「そうなるように、世界は動いている。」


部屋に沈黙が落ちる。


その言葉の意味を理解できる者は、この部屋には誰もいなかった。


*********


同じ頃、日本。


ハミルトングループ日本支社。


ジョージ・ラングレーは、デスクいっぱいに広げられた資料を前に腕を組んでいた。


「……んー。」


机の上には、日本で起きた未解決事件の資料。

その隣には、英国本部から取り寄せた数十年前の失踪事件の報告書。


普通なら、交わることなどない資料だった。

ジョージは一枚ずつ照らし合わせる。


「……またか。」


ページをめくる。


年代。

旅券番号。

経由地。

消えた人物。


一つ一つは小さな違和感。

だが、それが何件も続けば偶然とは呼べない。


「タクミ、お前さぁ……。」


苦笑が漏れる。


「なんで普通に刑事やってるだけで、こんなの拾ってくるかな。」


拓海は何も知らない。

ただ目の前の事件を追いかけているだけだ。

なのに、その足跡を辿るたび、妙なものへ行き着く。


「……まったく。」


ジョージは椅子へ深くもたれかかった。


「巻き込まれ体質もここまでくると才能だろ。」


そう言って笑いかけた、その時だった。

ふと、一枚の資料で指が止まる。


英国。

二十数年前。

失踪事件。


日本。

十八年前。

偽造旅券事件。


さらに、その数年後。

人身売買の疑い。


「…………。」


笑みが消えた。


「これ。」


「繋がってる。」


小さく呟く。


もう一度資料を並べ直す。


違う事件。

違う国。

違う年代。

それなのに、一本の線を引くように繋がっていく。


「……笑えないな。」


ジョージは静かに携帯電話を手に取った。


画面に表示された登録名。


”Earl Hamilton”


発信ボタンを押す。

数回の呼び出し音。

やがて、聞き慣れた落ち着いた声が返ってきた。


『――久しいね、ジョージ。』


「お久しぶり、ハミルトン様。」


『日本はどうだい。』


「平和……」


ジョージは肩をすくめる。


「……と言いたいところなんだけどね。」


『タクミは元気か。』


思わず苦笑する。


「元気だよ。」


「刑事になっても相変わらかな。」


「放っとけば、事件の方から寄ってくるんじゃないかってくらいには。」


電話の向こうで、小さく笑う気配がした。


『彼らしい。』


「ええ。」


ジョージも笑う。

だが、その笑みは長く続かなかった。


「ただ。」


『……うん。』


「今日はタクミの話じゃないんだ。」


電話の向こうが静かになる。

ジョージは机の上へ視線を落とした。


「ハミルトン様。」


「昔、ハミルトングループが独自に追っていた国際組織ってあったよね。」


一瞬。

本当に一瞬だけ、沈黙が流れた。


『…………。』


先ほどまでの穏やかな声ではなかった。

低く、静かな声が返ってくる。


『その名前を、どこで見つけた。』


ジョージは資料を見つめたまま答える。


「日本の未解決事件を洗ってたら、偶然ぶつかった。」


「いや。」


「偶然じゃないね。」


「タクミが追ってる事件を遡ったら、そこへ行き着いた。」


再び沈黙。

やがてエドワードは、静かに言った。


『ジョージ。』


「はい。」


『その資料は誰にも見せるな。』


『データも紙も、そのまま保全しておけ。』


『私が日本へ向かう事も考えよう。』


ジョージは思わず目を丸くした。


「……そこまでですか?」


電話の向こうで、エドワードは短く息を吐く。


『君が見つけたものが、私の考えている通りなら。』


『これは日本だけの事件では終わらない。』


電話を切る。


沈黙……


エドワードはすぐ秘書を呼ぶ。


「数年前の調査資料を。」


秘書が聞く。


「あの案件ですか。」


「ああ。」


「まだ保管しております。」


「持ってきてくれ。」


窓の外では、ウィルトシャーの夜霧が静かにハミルトンホールを包み込んでいた。


そして誰にも気づかれないまま。

止まっていたはずの巨大な歯車が、ゆっくりと音を立てて回り始める。


その中心にいることを……まだ、佐伯拓海も松本龍平も知らなかった。




ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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