第五百二十三話 「偽造(パスポート)とは、国境を越えるための紙切れではなく、一人の大型犬が違和感を拾い、一人の秀才がそれを証拠へ変えることで、事件の輪郭が浮かび上がる現象のことである」という話
ひと段落付いたらおまけ小話やりたいけどどうしようかなぁ
七月。
世田谷署刑事課へ異動してから二週間。
刑事一年生のサエキ拓海は、まだ新品の匂いが抜けきらないスーツ姿で、
分厚い調書の束と格闘していた。
地域課では一日に何度も外へ飛び出していた身体が、刑事課では机に縛り付けられる。
聞き込み。
張り込み。
調書。
資料。
思っていた以上に「待つ」仕事だった。
「……刑事って、座ってる時間長ぇなぁ、バカちんが」
ぼそりと呟くと、隣の先輩刑事が笑った。
「事件が起きりゃ嫌でも走る。」
「それまでは頭使え。」
「はい!!^^」
返事だけは相変わらず百点満点だった。
その時。
刑事課の無線が鋭く鳴る。
『—外国人事案。世田谷署管内、雑居ビル。刑事課応援願います』
先輩が顔を上げる。
「佐伯。」
「はい!」
「英語だ。」
「行け。」
「了解です!!^^」
返事と同時に飛び出す。
「あいつ返事から走ってんな……」
そんな呟きを背中に受けながら、拓海は現場へ向かった。
雑居ビル。
多国籍クラブ。
熱気。
煙草。
酒。
日本語、英語、中国語、様々な言葉が飛び交う店内は騒然としていた。
風営法違反。
不法滞在。
そして—偽造旅券。
一人の外国人男性が腕を組み、鼻で笑う。
「I don't know.」
(知らん)
「I can't speak Japanese.」
(日本語は離せない)
「Nothing.」
(何もない)
「……。」
周囲の刑事が困ったように顔を見合わせた。
「また英語か。」
その時だった。
後ろから大型犬が一匹、するりと前へ出る。
「Hey, buddy.^^」
(よっ、相棒)
被疑者が眉をひそめる。
拓海は笑ったまま距離を詰めた。
「そのパスポート。」
「ちょっと貸せ。」
被疑者は肩をすくめながら差し出す。
拓海は受け取り、一枚だけ開いた。
……
閉じる。
もう一度開く。
……
「ん?」
先輩刑事が聞く。
「どうした。」
拓海は首を傾げる。
「……何か。」
「気持ち悪い。」
「は?」
「違う。」
「説明できねぇ。」
「でも。」
「これ、本物じゃねぇ気がする。」
刑事たちが顔を見合わせた。
「理由は?」
「分かんねぇ。」
「でも。」
「俺が向こうで見てきた本物と。」
「何か違う。」
その一言で。
部屋の後ろで押収資料を確認していた龍平が静かに振り返った。
「……貸してください。」
パスポートを受け取る。
ページをめくる。
IC。
ホログラム。
透かし。
印字。
紫外線。
そして端末へ照合。
数秒後。
「……やはり。」
龍平は静かに顔を上げた。
「偽造です。」
空気が止まる。
「IC情報が一致しません。」
「ホログラムは旧式。」
「発行番号は欠番。」
「こちらが本物のデータです。」
机へ資料が並ぶ。
被疑者の表情が変わった。
拓海が豪快に笑う。
「ガハハハ! やっぱりバカちんだったか!」
龍平は淡々と告げる。
「出入国管理及び難民認定法違反。」
「説明してください。」
完全に詰んだ。
夕方。
取調べが終わる。
龍平は資料を閉じた。
「……佐伯さん。」
「ん?」
「一つ。」
「聞いてもいいですか。」
「何だ?」
「あの旅券。」
「何故偽造だと分かったんです。」
拓海は頭を掻いた。
「イギリス。」
「向こうで毎日のように見てたからかな。」
「でも。」
「どこがおかしいか説明しろって言われても無理。」
「違和感。」
「それだけ。」
龍平は黙った。
(違和感だけで。)
(システムより先に止めた。)
(……厄介ですね。)
その時。
刑事課の電話が鳴る。
「佐伯!」
「はい!」
「荷物だ!」
「荷物?」
一時間後。
世田谷署刑事課。
ドォン!!!
台車が二台。
さらにもう一台。
冷凍コンテナが次々と運び込まれる。
刑事課。
「……。」
「……。」
送り状。
Hamilton Group UK
先輩刑事。
「佐伯。」
「お前。」
「何やった。」
拓海。
「知らん。」
箱を開ける。
全員。
「…………。」
牛肉。
ラム。
鹿肉。
厚切りベーコン。
生ハム。
ソーセージ。
ローストビーフ。
冷凍庫でも入りきらない量。
総重量。
”約八十キロ”。
「業者かよ!!」
刑事課中にツッコミが響いた。
一番上には、一枚の便箋。
*************
タクミへ。
ジョージから刑事課は忙しいと聞いた。
栄養だけはきちんと摂りなさい。
食べ切れない分は皆さんで。
Earl Edward Hamilton
*************
先輩刑事。
「……誰だ。」
拓海。
「親友。」
「英国の?」
「うん。」
「…………。」
刑事課全員が黙った。
「親友のスケールがおかしい。」
誰かが呟いた。
拓海は気にしない。
「みんな持ってけ!」
「食わねぇと腐る!」
刑事課が臨時精肉店になった。
十分後。
巨大な保冷バッグを抱えた拓海が、合同デスクの龍平の前へ現れる。
「松本。」
「いりません。」
「まだ何も言ってねぇ。」
「肉でしょう。」
「当たり!」
ドン!!
保冷バッグが机へ着地する。
龍平。
「……重い。」
「二十キロくらいだ。」
「くらい、じゃありません。」
「冷凍しろ。」
「入りません。」
「じゃあ食え。」
「無理です。」
「祖父母さんに供え……」
そこまで言って。
拓海は口をつぐんだ。
龍平も黙る。
一瞬だけ。
空気が止まる。
拓海は何もなかったように笑った。
「じゃあ刑事課で配れ。」
「……。」
龍平はため息をつき、保冷バッグを持ち上げた。
「重い。」
「筋トレだ!」
「意味が分かりません。」
離れたところで先輩刑事が腹を抱えて笑っている。
「松本。」
「諦めろ。」
「佐伯は『持ってけ』って決めたら絶対引かねぇ。」
龍平は静かに目を閉じた。
「……チッ。」
その夜。
ハミルトン日本支社。
ジョージは世田谷署から届いた事件資料に目を通していた。
偽造旅券。
押収品。
発行番号。
……
ページをめくる手が止まる。
「……。」
机の引き出しから古いファイルを取り出す。
数年前。
英国本部から送られてきた注意喚起資料。
特徴。
番号。
ホログラム。
一致。
ジョージの表情から笑みが消えた。
「……繋がった。」
静かに受話器を取る。
ウィルトシャー。
ハミルトンホール。
「ハミルトン様。」
『どうした、ジョージ。』
「報告が二件あります。」
『聞こう。』
「まず一件目。」
「タクミへ送った肉ですが。」
「世田谷署刑事課が臨時精肉店になりました。」
受話器の向こうで、小さなため息が聞こえた。
『……そうか。』
「なお、松本刑事も二十キロほど受領しました。」
『…………。』
「二件目です。」
ジョージの声色が変わる。
「今回押収された偽造旅券ですが。」
「数年前、英国本部から共有されていた偽造ルートの特徴と一致しました。」
長い沈黙。
そして。
『……そうか。』
紅茶のカップが静かに置かれる音だけが、受話器越しに響いた。
『ジョージ。』
「はい。」
『その件は……調べ続けてくれ。』
「承知しました。」
極東では、新米刑事が今日も肉を押し付け合って笑っている。
その足元で。
まだ誰も気付かない巨大な影が、静かに動き始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




