第五百二十一話 「辞令(ログイン)とは、新しい部署へ異動することではなく、一人の地域警察官が泥の現場で積み重ねた日常を背負ったまま、刑事という名の別の戦場へ足を踏み入れる現象のことである」という話
相棒登場(`・ω・´)
七月。
夏の熱気が世田谷の街を包み始めた頃。
地域課に配属されて約二年。
サエキ拓海は、今日も交番でいつも通りの朝を迎えていた。
落とし物。
道案内。
巡回。
近所のおばあさんとの世間話。
外国人旅行者への英語対応。
そんな"いつもの日常"を終えた昼過ぎ。
主任が静かに声を掛けた。
「—佐伯。」
「はい!」
いつものように大きな返事。
主任は一枚の辞令を差し出した。
「本部からだ。」
「辞令?」
拓海は首を傾げる。
主任は静かに告げた。
「……刑事課への異動を命ずる。」
交番が一瞬静まり返る。
「え?」
拓海自身が一番固まっていた。
「……俺?」
「刑事?」
後ろから先輩が吹き出す。
「おい佐伯、お前が一番驚くな!」
笑いが起きる。
主任も少しだけ笑った。
「英語が話せるから選ばれたと思ってるか?」
拓海は苦笑いした。
「半分くらいは。」
「違う。」
主任は首を振る。
「お前は放っておけない奴だ。」
「面倒事を見ると首を突っ込む。」
「困ってる人間を見ると、自分が損すると分かってても走る。」
「地域課じゃ何度も胃が痛くなった。」
交番中が笑う。
「でもな。」
主任は拓海を真っ直ぐ見た。
「刑事にも。」
「そういう奴は必要なんだ。」
拓海は静かに頷いた。
「……はい。」
二年前。
"警察官って何なんだろう"
そう悩んでいた青年に、
現場は、答えを返してくれた。
その日の夕方。
交番では小さな送別会が開かれた。
「刑事になっても事件起こすなよ!」
「だから俺が起こしてるわけじゃねぇって!」
笑い声が響く。
帰り道。
拓海は新居へ帰った。
引っ越したばかりの二人暮らし。
キッチンでは菜摘が夕飯を作っていた。
「おかえり。」
「ただいま。」
「辞令出た。」
菜摘は振り返る。
「……刑事?」
「おう。」
「忙しくなる。」
菜摘は少しだけ考え、
「あ。」
と言った。
「明日、お弁当箱買い換えよう。」
「刑事ってご飯食べられる時に食べないとダメなんでしょ。」
拓海は笑う。
「そこかよ。」
「そこ。」
「倒れたら困る。」
「了解。」
恋人らしい言葉はない。
けれど。
この何気ない会話こそが、二人らしかった。
異動の日。
主任は交番の前まで見送りに来た。
帽子を脱ぐ。
「佐伯。」
「はい!」
主任は短く言う。
「刑事になっても。」
一拍。
「走れ。」
拓海は笑った。
学生時代と何一つ変わらない、あの真っ直ぐな笑顔で。
「はい!!」
敬礼。
主任も返す。
地域課は、これで終わった。
翌朝。
世田谷警察署・刑事課。
重い扉を開く。
「本日付で地域課から参りました!」
「佐伯拓海です!」
「よろしくお願いします!」
刑事たちは顔を上げる。
「ああ。」
「あの英語の巡査か。」
「違います!」
拓海は即座に返す。
「英語だけじゃありません!」
刑事課に笑いが起きた。
その時だった。
会議室の扉がもう一度開く。
「成城署刑事課です。」
「合同捜査の件で参りました。」
聞き覚えのある声。
拓海が振り返る。
「……あ。」
入ってきた青年も足を止めた。
一瞬だけ視線が交わる。
拓海はいつもの笑顔で手を挙げた。
「お、松本!」
龍平は無表情のまま見つめる。
数秒。
そして、
「……チッ。」
その一言だけ残し、席へ向かった。
拓海は苦笑いする。
「相変わらずだなぁ。」
学生時代と何一つ変わらない。
けれど今度は学生ではない。
世田谷署刑事課。
成城署刑事課。
二人は同じ事件を追う刑事として、再び同じ戦場に立つことになった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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