第五百十九話 「評価(継承)とは、親の用意した道を歩くことではなく、自ら泥にまみれて積み重ねた信頼が、一人の警察官を組織へ認めさせる現象のことである」という話
あと100話で終われるか!(`・ω・´)
六月。
警視庁本部。
朝から続いた幹部会議を終え、巨大な会議室には資料を閉じる音だけが静かに響いていた。
席を立つ幹部たち。
その流れの中、一人の刑事が足を止める。
「失礼します。」
窓際で資料を整理していた男が顔を上げた。
【佐伯和也】
警視庁管理官。
長年、数え切れない事件を指揮し、多くの刑事を送り出してきた男だった。
「……何だ。」
短い返事。
それだけで部屋の空気が少しだけ張り詰める。刑事は胸元の資料を抱え直した。
「少し、ご相談があります。」
「世田谷署地域課、佐伯拓海巡査についてです。」
その名前が出ても、和也の表情は一切変わらない。
「……息子か。」
「はい。」
刑事は静かに頷く。
「外国人被害事案で何度か現場を共にしました。」
「語学力もさることながら、それ以上に現場対応が印象的でした。」
「刑事課として、一度こちらへ呼びたいと考えています。」
そう言って資料を差し出す。
しかし、
和也は受け取らなかった。
「必要ない。」
刑事は少し戸惑う。
「ですが……」
「評価するのは私じゃない。」
静かな声だった。
「現場だ。」
その一言だけで十分だった。
刑事は思わず背筋を伸ばす。
和也はゆっくりと言葉を続けた。
「私に何を聞きたい。」
刑事は少しだけ苦笑する。
「ご子息ですので。」
「ご意向だけでも伺えればと。」
会議室が静まり返る。
和也はゆっくり刑事を見る。
「私の意向か。」
一拍。
「なら答えよう。」
その声は低く、揺るがなかった。
「息子だから特別扱いはするな。」
刑事は黙って聞いている。
「推薦する理由が『佐伯和也の息子だから』なら。」
「今、この場で忘れろ。」
空気がさらに張り詰めた。
和也は続ける。
「警察は。」
「親が子を引っ張る組織じゃない。」
「現場が人を選ぶ組織だ。」
静かに言葉を区切る。
「現場がお前たちに。」
「『佐伯拓海が必要だ』と言うなら。」
「その時点でもう、あいつは私の息子じゃない。」
「一人の警察官だ。」
その言葉に、刑事は小さく息を呑む。
和也は最後に短く言った。
「使えるなら使え。」
「必要なら今すぐ引き抜け。」
「まだ足りないなら。」
「地域課でもう一度泥を這わせろ。」
「それだけだ。」
沈黙。
やがて刑事が小さく笑う。
「……厳しいですね。」
和也もほんのわずかに口元を緩めた。
「親だからな。」
「甘やかしたら。」
「あいつのためにならん。」
刑事は深く頷く。
「分かりました。」
「実力だけで判断します。」
「そうしてくれ。」
刑事が部屋を出ようとした時、不意に振り返った。
「最後に一つだけ。」
和也は視線だけを向ける。
「父親としては。」
「どう思われますか。」
一瞬だけ。
管理官ではない時間が流れた。
和也は小さく笑う。
「……嬉しいよ。」
それだけだった。
そしてすぐに表情を戻す。
「だが。」
「それは家で聞け。」
「今は勤務中だ。」
刑事は思わず笑う。
「失礼しました。」
一礼して部屋を出ていった。
広い会議室に、一人残る。
静寂。
机の上には、置いていかれた評価資料。
和也はようやくそれへ目を落とした。
そこには事務的な文字が並ぶ。
外国語対応能力
地域住民対応
現場判断能力
勤務成績
刑事課推薦候補
それだけだった。
派手な言葉は何一つない。
和也は資料を閉じる。
窓の外へ目を向ける。
六月の東京。
そのどこかで、今日も拓海は交番勤務をしている。
住民の相談を受け。
自転車で走り。
外国人を案内し。
泥だらけになって。
自分の足で評価を積み重ねている。
親の名前ではなく、
自分の名前で。
和也は静かに息を吐いた。
「……そうか。」
誰もいない会議室で、ほんの少しだけ口元が緩む。
「ちゃんと、自分で歩いてきたか。」
その笑顔は。
警視庁管理官・佐伯和也ではなく、
誰にも見せることのない、一人の父親だけが浮かべる、小さく穏やかな笑顔だった。
遠隔観測:イギリスの魔王(静かな継承編)
深夜のハミルトンホール。
ジョージは一枚の報告書をエドワードの机へ置いた。
「日本からだ。」
エドワードは静かに目を通す。
警視庁。
佐伯和也。
刑事課。
そして最後の一文。
『ちゃんと、自分で歩いてきたか。』
エドワードは報告書を閉じ、静かに窓の外へ目を向けた。
ウィルトシャーの夜は静かだった。
(……和也さん。)
(あなたも、私と同じだったのですね。)
(あの光が、自分の力で歩いていく日を、ずっと待っていた。)
伯爵は何も言わない。
ただ静かに紅茶を一口飲み、再び書類へ視線を戻した。
遠く離れた極東で、一人の警察官が、自分の名前だけで未来を切り拓いたことを知りながら。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




