第五百三話 「組織とは、巨大な悪意が一人の人間を狙うことではなく、世界中に張り巡らせた観測網のなかで、幾つもの違和感が静かに一本の線へと収束していく現象のことである」という話
やっと最後につながっていけるぅ┐(´д`)┌ヤレヤレ
十一月下旬。
警視庁警察学校。
厳格な規律と号令に支配された教場では、今日も変わらない一日が流れていた。
教官の怒号。
同期たちの短い雑談。
その全てが、毎日ほとんど同じ形を繰り返している。
だからこそ、小さな違和感ほど目立つ。
男①は、それを知っていた。
彼は誰か一人を見に来たわけではない。
見ているのは、日本の警察組織。
未来の幹部候補。
現場へ配属される新人。
その先にある組織全体の流れ。
その巨大な流れのなかに、一人だけ以前から知る名前が混ざっていた。
佐伯拓海。
英国。
寄宿学校。
大学。
ハミルトン家。
理解できない日本人。
それが男①の”認識”だった。
だから今回も、最初はその確認に過ぎなかった。
教場。
整列。
号令。
同期たちは規律に従い、同じ動きを繰り返す。
その中で一人だけ、空気の流れが違う男がいた。
佐伯拓海。
教官に呼ばれれば素直に返事をする。
同期へ笑いかける。
誰にでも同じ距離で話しかける。
拒絶されても怒らない。
理由を考えるより先に、次の行動へ移る。
大学時代と何も変わっていなかった。
男①は資料をめくる。
経歴。
勤務予定。
評価。
どれも平均的だった。
特別優秀という訳でもない。
問題児という訳でもない。
それなのに。
映像の中心には、いつもこの男がいた。
「……理解できない。」
小さく呟く。
利用価値があるからではない。
危険人物だからでもない。
ただ理解できない。
その一点だけが、大学時代から男①の観察を続けさせていた。
映像が切り替わる。
昼休み。
食堂。
同期たちが思い思いに席へ着く。
佐伯拓海は、今日も迷うことなく空いている席へ座った。
「お、そこいい?」
自然だった。
初対面でも。
昨日会った相手でも。
一年付き合った友人でも。
態度が変わらない。
その様子を、男①は無言で見続ける。
そして。
別の映像。
術科教場。
組み手。
そこでは、初めて男①の視線が拓海から離れた。
斜め後ろ。
一人の青年。
松本龍平。
必要以上に話さない。
誰とも群れない。
視線を合わせない。
だが。
佐伯拓海が近付く時だけ、その距離はさらに一歩広がる。
映像を止める。
男①は無言のまま数秒見つめた。
同期同士の衝突。
珍しくはない。
だが、この二人は少し違った。
佐伯は怒っていない。
松本も怒鳴らない。
口論もない。
それでも。
明確な拒絶だけが存在していた。
理由はまだ分からない。
だが。
そこには大学時代には存在しなかった、新しい情報があった。
男①は静かに映像を閉じる。
「……この男か。」
その一言だけだった。
観察対象が増えた。
それ以上でも、それ以下でもない。
教場を離れる。
東京の街は、夕暮れへ向かって人波を増していた。
男①は何事もなかったかのように雑踏へ溶け込む。
その途中。
一人の青年とすれ違う。
革靴。
落ち着いた足取り。
穏やかな表情。
男①は一瞬だけ視線を向けた。
(……。)
どこかで見た顔だった。
だが、思い出そうとはしない。
必要なら、その時に思い出せばいい。
男①は立ち止まることなく、そのまま人混みへ姿を消した。
*************
東京。
夕暮れの街は仕事帰りの人々で賑わっていた。
ジョージは日本支社での打ち合わせを終え、駅へ向かって歩いていた。
冬が近い。
風は冷たく、コートの襟元へ入り込んでくる。
そんな何気ない帰り道だった。
向こうから、一人の男が歩いてくる。
仕立てのいいコート。
無駄のない歩幅。
人混みに紛れながら、不思議なほど存在感を消している。
すれ違う。
その一瞬。
男は静かにジョージへ視線を向けた。
ジョージも、自然とその顔を見る。
「……。」
何かがおかしい。
知っている。
だが思い出せない。
男は立ち止まらない。
そのまま雑踏へ消えていく。
ジョージだけが足を止めた。
振り返る。
もう背中しか見えない。
「……どこで、お会いしましたかねぇ。」
記憶を探る。
ロンドン。
大学。
夜会。
ハミルトンホール。
どこにも結び付かない。
それでも。
胸の奥に、小さな違和感だけが残っていた。
その違和感を、ジョージは知っている。
放っておくべきではない違和感だ。
*************
日本支社。
ジョージはコートも脱がず、セキュリティルームへ入った。
照明だけが静かに点いている。
机へ座る。
認証。
暗号キー。
二段階認証。
いくつものプロテクトを解除し、一つのフォルダを開く。
『気になる男①』
数年前。
英国。
学園都市。
自分しか知らない個人フォルダ。
画面には古い写真が並ぶ。
ラウンジ。
大学構内。
歩道。
ガラス越し。
そして。
”今日すれ違った男”。
ジョージは二枚の写真を並べた。
数秒。
静かに見比べる。
「……やっぱり。」
同一人物。
間違いなかった。
最初に見たのは学園都市。
二度目も学園都市。
そして今日。
三度目。
今度は日本だった。
ジョージは椅子へ深く腰掛ける。
敵意は感じない。
尾行もされていない。
話しかけてもこない。
だが。
偶然というには、少しだけ出来すぎていた。
「……報告だけ、しておきましょうかね。」
通信回線を開く。
ウィルトシャー。
ハミルトンホール。
深夜。
執務室では、今日もエドワード・ハミルトンが書類へ目を通していた。
『ジョージ』
「こんばんは、ハミルトン様。」
『日本支社からか。何かあった?』
「ええ。少しだけ。」
ジョージは写真を転送する。
学園都市。
今日。
二枚。
エドワードは黙って見比べた。
『同じ人物か。』
「はい。」
『目的は。』
「分からないな。」
ジョージは素直に首を振る。
「敵意も確認でない。」
「接触もない。」
「ただ。」
「三度目、だね。」
部屋が静かになる。
エドワードは写真をもう一度見た。
視線は男ではない。
撮影日時。
場所。
そこへ向けられていた。
『……日本か。』
「ええ。」
『どこで見かけた?』
「警察学校の近くだね。」
その一言だけで、エドワードの手が止まった。
ほんの一瞬だけ。
沈黙が落ちる。
「もちろん、偶然かもしれない。」
ジョージは付け加えた。
「この方の目的もわからない。」
「警察学校とも無関係かもしれない。」
「ただ。」
「大学時代から保存していた違和感が、今日また一つ繋がった、かな。」
エドワードは静かに息を吐いた。
『……そうか。』
断定はしない。
警戒もしすぎない。
ただ。
『ファイルを共有しておいてくれ。』
「了解。」
『継続しておこう。』
「ええ。」
通信が切れる。
部屋に静けさが戻った。
エドワードは机の上の写真をもう一度見つめる。
学園都市。
日本。
そして、警察学校。
まだ一本の線にはなっていない。
だが。
違和感だけは、確かに残っていた。
エドワードは静かにファイルを閉じる。
「……偶然なら、それでいい。」
誰へ向けた言葉でもない。
書斎には、暖炉の薪がはぜる音だけが響いていた。
その頃。
東京では何も知らない大型犬が、同期へ向かって笑っていた。
「おい、バカ! 昼飯行こうぜ!」
今日も変わらない日常。
だから誰も気付かない。
大学時代に小さな違和感として保存された一枚の写真が、静かに未来へ繋がり始めていたことを。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




