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第五百二話 「客観(カテゴリ)とは、一人の者が抱いていた違和感が、何気ない日常の積み重ねによって「悪い奴じゃない。でも少し疲れる」という曖昧な共通認識へと静かに変わっていく現象のことである」という話

ほどほどがいいよねぇ

十二月。

警視庁警察学校。


入校から二か月近くが過ぎていた。

朝六時。

まだ眠気の残る教場へ、同期たちが一人、また一人と集まってくる。


眠そうな顔。

欠伸。

誰もが無言で規律本を開く。

そんな空気の中だった。


「おはよう!!」


教場に響く、やたらと通る声。

佐伯拓海だった。


「お、田中。昨日の筋肉痛治ったか?」


「おう、まぁ何とか」


「良かったな!」


「山口、お前まだ眠そうだな!」


「……眠いよ」


「朝飯食ったか?」


「まだ」


「食え食え! 腹減るぞ!」


本人はいつも通りだった。

悪気など一切ない。

朝だから挨拶をする。

知っている顔だから話しかける。

それだけだった。


だから誰も嫌な顔はしない。


「おう」


「おはよう」


皆、普通に返す。

だが。

少し離れた席だけは違った。


「……」


松本龍平は規律本から顔を上げない。


「お、松本!」


「おはよう!」


返事はない。

拓海は数秒だけ首を傾げた。


「……?」


だが。


「まぁいっか」


何事もなかったように席へ向かう。

龍平も何も言わない。

朝はそれで終わる。


それが最近の教場だった。


午前の座学。

教官の説明が終わる。


「質問はあるか」


静まり返る教場。

誰も手を挙げない。


「はい!」


一人だけ手が上がる。


「佐伯」


「敬礼のあと報告に移るタイミングなんですが──」


質問自体は真面目だった。

教官も普通に答える。


「基本はそうだ」


「分かりました!」


それだけ。

授業は終わる。


休憩時間。


「佐伯」


同期が笑った。


「お前毎回質問するな」


「そうか?」


「いや、悪い意味じゃないぞ」


「分かんねぇからさ」


拓海は肩を竦める。


「聞いた方が早いだろ?」


「まぁ……そうなんだけどな」


同期は苦笑した。


「普通、あの空気で手挙げねぇよ」


「そうなのか?」


「そうなの」


「へぇ」


本当に知らなかった顔だった。


昼。

食堂。

各班が自然と固まる。


その中で、一人壁際の席に座ってパンを食べている同期がいた。


午前中の走場訓練で足を痛めたらしい。

静かに休みたかった。

それだけだった。


そこへ。


「お、いたいた」


拓海がトレーを持って歩いてくる。


「隣いい?」


「あ……ああ」


返事を待つより早く座る。


「足どうした?」


「ちょっと張っただけ」


「大丈夫か?」


「うん」


「湿布あるぞ」


「いや、本当に平気」


「遠慮すんなって」


「遠慮じゃなくて……」


同期は困ったように笑う。


「本当に少し休めば治るから」


「でも貼っとけ」


「いや(笑)」


「ほら」


バッグをごそごそ探し始める拓海。

周囲で昼飯を食べていた同期たちがちらりと視線を向けた。


(いや……)


(本人、大丈夫って言ってるんだけど)


誰も口には出さない。

拓海は心配しているだけだ。

悪意なんてない。

それも分かっている。

だから止めづらい。


「ほら」


「いや、本当にいいって」


「そうか?」


「うん」


「なら良かった!」


拓海は満足そうに笑った。

その笑顔を見てしまうと、やはり誰も責める気にはなれなかった。


午後。

術科訓練。


終わったあとの自販機の前。


同期が数人集まって缶コーヒーを飲んでいた。


「佐伯ってさ」


一人がぽつりと呟く。


「悪い奴じゃないよな」


「うん」


「いい奴」


「真面目だし」


「覚えるのも早い」


そこまでは全員一致だった。


「でもさ」


少しだけ間が空く。


「疲れね?」


「あー……」


何人かが笑った。


「分かる」


「悪気ないんだよ」


「悪気ないから余計に何も言えない」


「今日も湿布貼ろうとしてたもんな」


「あれ本人、本当に休みたかっただけだろ」


「だと思う」


「俺も一人になりたい日あるし」


「あるある」


「でも佐伯って、多分そういう発想ないんだろうな」


「困ってそうなら声掛けるもんな」


「しかも毎回全力」


「そう」


「嫌いじゃない」


「でも毎日だと、ちょっと疲れる」


誰かがそう言うと。

誰も否定しなかった。


その時、ほんの偶然で

龍平が廊下を無言で通り過ぎる。


同期が小さく


「……松本が避けるのも、まぁ分からなくはないか」


と漏らす。

龍平は聞こえていても振り返らなかった。




ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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