第四百八十九話 「同期とは、傷つけ合わないよう距離を取る存在ではなく、大型犬の境界線ゼロの距離感に縦社会が静かに崩されていく現象のことである」という話
最初のイメージって大事だよね
十月中旬。
警視庁警察学校。
入校から二週間。
最初は全員が他人だった。
教室へ入っても挨拶は小さく、食堂では空席を一つ挟んで座る。
誰もが相手を探り、距離を測っていた。
警察学校という閉じた世界で、余計なことを言わず、余計な敵を作らない。
そんな空気が確かにあった。
だが、人間というものは不思議なもので、毎日同じ顔を見ているうちに、少しずつ輪郭が見え始める。
「あいつは運動ができる。」
「あいつは勉強が得意だ。」
「あいつは話しやすい。」
自然と役割が生まれ、小さな輪ができる。
その中で、一人だけ最後まで分類できない男がいた。
”佐伯拓海”。
「佐伯ってさ」
昼休み。
食堂で同期の一人がぽつりと口を開いた。
「最初はもっと変な奴かと思ってた。」
「ああ。」
向かいの同期が苦笑する。
「俺も。」
「海外帰りって聞いてたからさ。もっと近寄りがたい感じかと。」
「でも全然違うよな。」
「距離は近いけど。」
「悪い奴じゃない。」
「教官に怒鳴られても普通に返事するし。」
「翌日にはちゃんと直してくるし。」
「覚えるのも早い。」
「質問もするしな。」
「そうそう。」
一人が笑った。
「あれ最初びっくりしたわ。あの空気で普通に手ぇ挙げるんだもんな。」
「あれ普通できねぇよ。」
「怒られるかと思った。」
「でも教官も普通に答えてたじゃん。」
「結局、質問の内容まともだったしな。」
誰かが小さく頷く。
「……何ていうか。」
「空気が読めないっていうより。」
「空気より先に『分からない』が来るんだろ。」
「そう。」
「知らないから聞く。」
「怒られたら直す。」
「それだけなんだよな。」
悪意がない。
計算もない。
だから怒りようもない。
扱いに困る。
そんな評価へ少しずつ変わっていた。
その時だった。
「おー、何の話?」
噂の本人が、トレーを持ったまま輪へ近付いてきた。
「……。」
一瞬だけ空気が止まる。
拓海は首を傾げた。
「ん?」
「あ、いや……。」
「佐伯の話。」
「俺?」
「悪口じゃねぇよ。」
「よかった。」
拓海は笑って、そのまま空いている席へ腰を下ろした。
遠慮がない。
だが、不快でもない。
自然すぎるのだ。
「海外ってそんな違うの?」
誰かが聞く。
「んー。」
拓海は味噌汁を飲みながら考える。
「違うな。」
「知らない奴でも普通に話しかけるし。」
「寮なんか放っといたら半年誰とも喋んねぇ奴とかいるから。」
「だから最初に話しかけたもん勝ちなんだよ。」
「へぇ。」
「日本って逆なんだな。」
「逆?」
「みんな最初、様子見するじゃん。」
「……まあ。」
「俺、それ最近やっと分かった。」
本人は笑っていた。
周囲もつられて笑う。
その様子を、少し離れた席から松本龍平は黙って見ていた。
(……まただ。)
誰とでも話す。
誰にでも笑う。
教官にも。
同期にも。
昨日まで知らなかった相手にも。
壁がない。
最初から存在しないかのように。
(理解できない。)
龍平は目を伏せた。
普通なら、人には境界線がある。
初対面。
同期。
友人。
親友。
少しずつ距離を縮める。
そういうものだ。
だが、佐伯拓海には、その順番が存在しない。
最初から一番近い。
だから腹が立つ。
(……嫌いだ。)
その感情だけが、日に日に輪郭を持ち始めていた。
嫌な奴だからではない。
横柄だからでもない。
むしろ逆だった。
悪意がない。
裏表もない。
だからこそ。
龍平には、その距離感だけが、どうしても受け入れられなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




