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四百八十六話 「初日とは、教場へ足を踏み入れる行為ではなく、それぞれ異なる人生を抱えて辿り着いた人間たちのなかへ何も知らない大型犬が通常運転のまま放り込まれる現象のことである」という話

ここから本格的に拓海のターンかなー

十月一日。

朝。

秋の冷たい風が東京の街路樹を揺らしていた。


佐伯拓海は、肩に重いバッグを担ぎながら警視庁警察学校の正門を見上げた。


大きかった。

想像していたよりもずっと大きかった。


「うお……」


思わず声が漏れる。


警察学校。

子供の頃から何度も口にしてきた場所。


”刑事になる”。


その夢を語るたびに、必ずその途中に存在していた場所。

だが、実際にここへ立つのは今日が初めてだった。


門の向こうには広い敷地が広がっている。


校舎。

訓練施設。

グラウンド。

規則正しく並ぶ建物。


その全てが、これから始まる半年間を静かに告げているようだった。


拓海は深く息を吐いた。

緊張しているかと言われれば、少ししている。


だが、それ以上に。


「始まるんだな」


という気持ちの方が大きかった。


ロイギリスから帰国して三ヶ月。

あっという間だった。


実家で飯を食って。

兄と話して。

母親に怒られて。

菜摘に健康診断を忘れるなと説教されて。


気付けば十月になっていた。


本当に早かった。

もっと長く感じると思っていた。

だが実際には、一瞬だった。


そして今日。


空白期間は終わる。

新しい日常が始まる。

拓海は門をくぐった。


周囲には同じように入校してきた人間たちが歩いていた。


誰もが緊張している。

表情が硬い。

声も少ない。

まるで受験会場のような空気だった。


「すげぇな……」


拓海は思わず周囲を見回した。

年齢も様々だった。

大学を卒業したばかりらしい若者。

社会人経験がありそうな落ち着いた人間。


女性もいる。

背の高い男。

小柄な男。

眼鏡をかけた真面目そうな人間。

スポーツ経験者らしい体格の人間。


”ここにいる全員が警察官になるために集まっている”。


そう考えると少し不思議だった。

きっと全員、違う人生を歩いてきたのだろう。


違う家庭で育ち。

違う学校へ通い。

違う悩みを抱えて。


それでも最終的にこの場所へ辿り着いた。

そう思うと少し面白い。


拓海自身もまた、少し変わった経歴だった。

高校卒業後すぐに大学へ進学したわけではない。


イギリスへ渡った。

寄宿学校へ入った。

大学へ進んだ。

卒業した。

帰国した。


そして今ここにいる。

振り返ってみると、自分でもよく分からない人生だった。


だが後悔はない。

むしろ恵まれていたと思う。


たくさんの人に助けられた。

たくさんの人に迷惑もかけた。


笑った。

怒られた。

殴られそうにもなった。

本当に色々あった。

それでも最後は、ちゃんとここへ来ることができた。


だから大丈夫だろう。


【何とかなる】


拓海の人生は大体いつもそんな感じだった。


案内に従って校舎へ向かう。

廊下を歩く。

指定された教室を探す。

そして教室の扉を開いた。


空気が変わった。


静かだった。

誰もが周囲を観察している。


席へ座っている者。

規律本を眺めている者。

窓の外を見ている者。

誰もがどこか落ち着かない。


拓海は指定された席を探した。


見つける。

座る。

周囲を見回す。


やはり知らない顔ばかりだった。


当たり前だ。

ここにはエドワードもいない。

ジョージもいない。

クリストファーもいない。

ラグビー部の連中もいない。

本当に誰もいない。


知らない場所。

知らない人間。

知らない環境。


十五歳でイギリスへ渡った時以来かもしれない。

完全なアウェイというやつは。


けれど。

不思議と嫌な感じはしなかった。

むしろ少しだけ懐かしい。


あの時も同じだった。

知らない場所だった。

知らない人間ばかりだった。

何とかなるかと思っていたら、本当に何とかなった。

だから今回も何とかなるだろう。


そんなことを考えながら席へ深く腰掛ける。


その時だった。


視界の端に一人の男が映った。

少し離れた席。


年齢は近そうだ。

痩せている。

真面目そうな顔。

静かだった。


教室へ入ってから一度も周囲と話していない。

規律本を開き、そのまま黙って目を通している。


疲れているようにも見えた。

眠そうにも見えた。

あるいは最初から周囲と関わる気がないのかもしれない。


拓海は少しだけ気になった。

だが、それだけだった。


知らない人間。

ただの同期。


今のところはそれ以上でもそれ以下でもない。


教室には他にも色々な人間がいる。

だから特別気にすることもなかった。


やがて教室前方の扉が開いた。


空気が一瞬で変わる。


教官だった。

先ほどまで響いていた小さな物音が消える。


誰も喋らない。

誰も動かない。

教官は教壇へ立った。

教室を見渡した。


その視線だけで空気が引き締まる。


拓海も自然と背筋を伸ばいていた。


「本日より諸君らは――」


低い声が教室へ響く。

警察学校生活が始まった。


半年後。

ここにいる全員が同じ場所へ立っているとは限らない。


仲良くなる人間もいるだろう。

ぶつかる人間もいるだろう。

一生付き合う友人ができるかもしれない。

二度と顔も見たくない相手ができるかもしれない。


だが今はまだ誰も知らない。

ここにいる全員が、ただの同期だった。


そして拓海もまた。

そのなかの一人に過ぎなかった。


【Takumi OS:知らない人ばっかりだな。でもまぁ何とかなるだろ】


そうして。


長い警察学校編の最初の一日が静かに始まった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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