第四百八十四話 「将来とは、まだ来てもいない未来の話を二人で笑いながら語り合うことであり、その会話を読者だけが曇った目で見守る現象のことである」という話
高坂君いいやつなんだが。
八月。
仕事帰り。
東京の喧騒が少しだけ遠のく駅前のカフェ。
窓際の席に向かい合って座る二人の間には、どこにでもある平日の夕方らしい
穏やかな空気が流れていた。
社会人二年目。
大学を卒業してから二年。
忙しくはなった。
責任も増えた。
学生時代のように毎日会えるわけでもなくなった。
それでも。
高坂にとって菜摘は、相変わらず世界の中心にいた。
大学一年の頃から付き合い始めて、気が付けばもう随分長い。
喧嘩もした。
すれ違いもあった。
それでも今日まで一緒にいる。
それが高坂にとっては当たり前の日常だった。
「……なぁ、菜摘」
「ん?」
アイスコーヒーを口に運びながら、菜摘が顔を上げる。
いつも通りの笑顔。
高坂は少しだけ視線を逸らした。
「来年さ」
「うん」
「どうする?」
菜摘が首を傾げた。
「どうするって?」
「いや、その……色々」
「色々って何(笑)」
「だから色々だよ」
言いながら、自分でも説明になっていないことは分かっていた。
だが上手く言葉にならない。
仕事の話なら説明できる。
数字の話なら説明できる。
将来設計も説明できる。
けれど、菜摘を前にすると何故か全部駄目になる。
菜摘はそんな高坂の様子を見て、くすくすと笑った。
「高坂くん、今日ちょっと変じゃない?」
「変じゃない」
「変だよ」
「変じゃないよ」
「変だって(笑)」
高坂は諦めたようにコーヒーを飲んだ。
菜摘は楽しそうだった。
それを見るだけで少し安心する。
こういう時間が好きだった。
特別なことは何もない。
ただ仕事帰りに会って、他愛もない話をして、一緒に帰る。
そんな普通の時間が。
「仕事どう?」
「忙しい」
「だろうね」
「そっちは?」
「忙しい」
「だろうな」
二人とも笑う。
社会人二年目なんて大体そんなものだ。
忙しい。
疲れる。
帰りたい。
そして休みたい。
その繰り返し。
それでも。
「来年はもう少し落ち着くかな」
菜摘がぽつりと呟いた。
「そうかもな」
「旅行とか行きたい」
「いいな」
「温泉」
「いいな」
「美味しいもの食べたい」
「いいな」
「高坂くん、それしか言ってない」
「全部いい案だからな」
菜摘がまた笑う。
高坂も笑った。
未来の話だった。
まだ来てもいない未来。
一年後かもしれない。
もっと先かもしれない。
けれど二人とも、当たり前のようにその続きを信じていた。
その時だった。
菜摘のスマホが小さく震えた。
画面を見る。
そして少しだけ笑った。
「あ、拓海だ」
高坂もつられて笑う。
「珍しいな」
「ほんとにね」
通話ボタンを押す。
『おーい』
開口一番だった。
元気だった。
無駄に元気だった。
『警察学校の案内来たぞ』
「あ、そうなんだ」
『おう』
「おめでとう」
『おう』
それだけだった。
本当にそれだけだった。
「頑張ってね」
『おう』
「じゃあね」
『おう』
通話終了。
菜摘はスマホを置いた。
高坂は吹き出した。
「相変わらずだな」
「相変わらずだね」
「案内来たぞ、しか言ってないぞ」
「拓海だから」
「それで通じるのか」
「通じる」
不思議な説得力だった。
高坂は苦笑しながら窓の外を見る。
警察学校。
そういえば、そんな話をしていた気がする。
昔から刑事になると言っていた。
本当に行くのか。
「あいつもいよいよだな」
「だね」
菜摘が頷く。
それ以上の話はしなかった。
拓海は拓海だ。
昔からそうだった。
目の前のことを全力でやって、気が付いたら前へ進んでいる。
だからきっと今回もそうなのだろう。
高坂はそう思った。
そして再び菜摘へ視線を戻す。
「で」
「ん?」
「来年の話だけど」
「まだ続くの?」
「続く」
菜摘が笑う。
高坂も笑った。
八月の夕暮れ。
二人の間には穏やかな時間が流れていた。
まだ来ていない未来を、当たり前のように信じられるほどに。
■ジョージの日本支部・機密ログ
(八月某日・都内カフェ観測記録)
八月某日。
高坂くんは非常に良い男だ。
誠実で、真面目で、菜摘さんを大切にしている。
そして現在、将来について考えている。
極めて正常な社会人二年目である。
一方でサエキは警察学校の案内が届いたことを報告し、
「おう」を三回繰り返して帰っていった。
極めて通常運転である。
なお当人たちは誰も気付いていないが、それぞれの未来は着実に前へ進んでいる。
経過観察を継続する。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




