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第四百八十一話 「空白とは、次の戦場へ向けて英気を養う期間のことではなく、学生生活が終わったあと気が付けば目の前に現れていた「何もしなくていい時間」を、ただ消費していく現象のことである」という話

拓海君の休日?

七月。

ロンドンの霧と、ハミルトンホールでの騒がしい日々に別れを告げ、佐伯拓海は日本へ帰国していた。


十月の警視庁警察学校入校まで、あと三ヶ月。

驚くほど予定がなかった。


大学は卒業した。

卒論も終わった。

帰国も済んだ。

引っ越しも終わった。

就職活動もない。

研修もない。

試験もない。


気が付けば、目の前には三ヶ月分の空白だけが残されていた。


「……暇だな」


自室のベッドに転がったまま呟く。


時計を見る。


午前十時四十分。

学園都市にいた頃なら、とっくに起きていた時間だ。


ハミルトンの法によって「うるさい、タクミ。早く起きろ」と

真顔で引きずり起こされていた時間でもある。


だが今は違う。

起きる理由がない。


もう一度寝ようかと思ったところで、奥から母の声が飛んできた。


「拓海ー! 起きてるならご飯食べなさい!」


「起きてるー!」


「返事だけ元気ね!」


「腹減ったー!」


「だったら早くきなさい!」


相変わらずだった。


拓海は笑いながらベッドを降りる。

リビングへ向かう。


”帰ってきたのだ”と実感する瞬間だった。


「いただきます!」


炊きたての白米。


味噌汁。


焼き魚。


特別豪華なわけではない。


だが、妙にうまい。


「帰ってきてからそれしか言わないわね」


「だってうまいじゃん」


「向こうで何食べてたのよ」


「色々」


「雑ね」


「肉」


「雑ね」


「魚」


「雑ね」


「パスタ」


「それしか出てこないの?」


「あとエドワード」


母の箸が止まった。


「はい?」


「いや」


「いや何よ」


「何でもない」


「何でもなくないでしょ」


「いや、あいつ飯うるさいんだよ」


「どういうこと?」


「野菜食えとか」


「正しいわね」


「魚食えとか」


「正しいわね」


「寝ろとか」


「正しいわね」


「運動しろとか」


「正しいわね」


拓海はしばらく考えた。


「……あれ?」


「全部正しいじゃない」


「マジか」


「マジよ」


理不尽だった。

だが反論できなかった。


昼過ぎ。

いつものように自主トレへ行こうとしたところで首根っこを捕まえられた。


「どこ行くの」


「走り込み」


「却下」


「は?」


「買い物付き合いなさい」


「なんで」


「スーツ」


「持ってる」


「大学の入学式のやつでしょ」


「着れる」


「社会人がそんなこと言わないの」


有無を言わせない口調だった。


結果。

拓海は都内の百貨店へ連行された。


「別に今のでいいじゃん」


「良くない」


「警察学校だぞ?」


「だからよ」


母は真顔だった。


「あなたもう学生じゃないの」


「……」


「警察官になるんでしょ」


「まぁ」


「だったら一着くらいちゃんとしたもの作りなさい」


逃げ道はなかった。


採寸が始まる。


肩幅。

腕。

胸囲。


店員が少し困った顔をした。


「お客様、何かスポーツを?」


「ラグビーです」


「ああ……」


納得された。


どういう意味だ。


試着室から出る。

母が見る。


「それ」


「うん」


「駄目」


「なんで!?」


「何か違う」


「何がだよ」


「全部」


横で店員が困った顔をしていた。


結局。

三着目でようやく許可が出た。


「最初からこれで良かったじゃん」


「最初から出してません」


店員が静かに訂正した。

帰宅した頃には夕方だった。


「疲れた……」


「情けないわね」


「買い物ってこんな疲れるのか」


「まだ半日よ」


母は元気だった。

拓海はソファに沈んだ。


夜。


玄関が開く。


「ただいま」


兄だった。


大学病院勤務の兄はネクタイを緩めながらリビングへ入ってくる。

そして拓海を見る。


「まだいたのか」


「実家だぞ」


「邪魔だな」


「ひでぇ」


兄は冷蔵庫から麦茶を取り出し、一気に飲み干した。

ようやく人間に戻ったような顔になる。


「今日も忙しかったのか?」


「忙しくない日があると思うか?」


「ないな」


「正解」


夕飯を食べながら兄は病院の話をした。


病棟。

外来。

当直。

救急。

医師不足。

聞いているだけで胃が痛くなりそうな話ばかりだった。


「寝る時間あるのか?」


「ない」


「マジで?」


「マジだ」


「嫌だな」


「警察も変わらんだろ」


兄は肩を竦める。


「働くってそういうことだ」


妙な説得力があった。


「夢も希望もねぇな」


「夢はある」


「どこに」


「給料日」


「現実的だな」


「現実だからな」


兄は少しだけ笑った。


「まぁ頑張れ」


「おう」


その一言だけだった。

だが、それで十分だった。


夜。

自室。

昼間買った小物類の紙袋が机の横に置いてある。


十月まで、あと少し。


警察学校。

刑事への第一歩。

ずっと目指していた場所。


”楽しみ”だった。


不安がないわけではない。

だが、それ以上に楽しみだった。


「まぁ、何とかなるだろ」


小さく呟く。


窓の外では夏の虫が鳴いている。

何も起きない一日だった。

けれど、そんな一日も悪くない。


拓海はそう思いながら、ゆっくりと目を閉じた。


【Takumi OS:何とかなるだろ(1200%通常運転)】


何もしなくていい時間。

それは案外、悪くないものだった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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